紅海航路——思いはペルシャ湾へ
世界情勢を考えると、この航路は現実的とは言えません。それでも、どうしてもこのエピソードで伝えたいことがあるのです。
東京・BMM本社。
会議室の空気は、張り詰めていた。
「反対です。」
安全管理部長の声が、はっきりと響く。
「攻撃事案が発生している海域です。クルーズ船を投入する合理性がありません。」
資料が机に置かれる。
「燃料費の高騰、保険料の上昇、人的リスク——いずれも許容範囲を大きく超えています。」
沈黙。
その向かいで、エリコ・白鳥・アズナブールは静かに腕を組んでいた。
「合理性ならあります。」
短く言う。
視線が集まる。
「うちの船が、あそこにいるんですよ。」
一拍。
「通信は断続的。状況は不明。」
「——それを“分からないままにする”方が危険では?」
安全管理部が即座に返す。
「衛星情報で把握は可能で——」
「現場は映像では分かりません。」
エリコの声は低いが、揺るがない。
「人が乗っているんです。士気は、数字では測れない。」
室内がわずかにざわめく。
「クリスタニアに何が出来るんですか?」
「軍艦ではないんですよ。」
「ええ、そうよ。」
即答だった。
「だから行くのです。」
一拍。
「軍艦ではないからこそ、攻撃対象にしにくい。」
空気が止まる。
「我々は英国海軍からの招待を受けている。」
誰もすぐには言葉を返せない。
エリコは一歩も引かない。
「行けるのは、クリスタニアしかいません。」
その一言が、場を押し切る。
「……それとも。」
わずかに視線を鋭くする。
「ここで見捨てますか?」
沈黙。
「ここで見捨てれば、タンカーもバルカーも——」
一拍。
「全部、信用を失います。」
やがて、安全管理部長が深く息を吐いた。
「——条件付きで承認します。」
全員の視線が向く。
「任務は限定。」
資料をめくる。
「現地状況の確認。自社船舶との通信確立。そして——士気維持。」
一拍。
「紅海ルート採用時は滞在最小限。全行程、逐次報告。」
さらに静かに続ける。
「航路判断の最終責任は——現場。」
「船長に委ねます。」
エリコは頷いた。
「十分です。」
「先方にも伝えます。」
その一言で、すべてが決まった。
⸻
晴海埠頭。
白い船体が、朝の光を受けて静かに輝く。
クリスタニア。
ブリッジでは最終確認が進んでいた。
「航路が確定しました。」
オフィサーが告げる。
「喜望峰案は破棄。紅海ルートを採用。」
ルイが軽く息を吐く。
「来たね。」
リヒトは短く返す。
「ああ。」
通信士が振り返る。
「本社より最終指示。」
「読み上げろ。」
「自社船舶の状況確認および通信確立を最優先とする。」
一拍。
「航路は紅海。第一寄港地コロンボ。」
「続いてサラーラ、バレッタ、ジブラルタル。」
ルイが肩をすくめる。
「合理的すぎて怖いね。」
リヒトは前を見据えたまま言う。
「問題ない。」
一拍。
「それでいい。」
静かな声。
「寄港間隔はおよそ一週間。」
「補給、調整、全て織り込み済みだ。」
ルイが小さく笑う。
「完全に戦時モードだ。」
リヒトは答えない。
ただ一言。
「この船なら行ける。」
そして、低く続ける。
「ドラゴンの加護がある。」
⸻
甲板。
タグボートが接続され、係留索が順に解かれていく。
「出港準備、完了。」
「機関、異常なし。」
静寂。
リヒトが言った。
「——出港する。」
汽笛が鳴る。
低く、長く。
その音が、東京湾に響き渡る。
クリスタニアが、ゆっくりと動き出す。
岸壁から離れる白い船体。
見送る社員たち。
険しい表情の安全管理部。
すべてを背にして、船は外洋へ向かう。
その先にあるのは——紅海。
そして、まだ見えない船たち。
ルイが窓の外を見ながら、ぽつりと呟いた。
「随分と遠い迎えだな。」
リヒトは答えない。
ただ、前を見据える。
そして、静かに言った。
「この船が迎えに行くのは——」
一拍。
「彼女だけじゃないんだ。」
クリスタニアは進む。
第一目標、コロンボ。
その先に続く航路の意味を、まだ誰も語らない。
今回のような航路には、いくつかの大きなリスクがあります。
まず最大のリスクは、武力衝突や攻撃の可能性です。特に紅海・中東周辺では、商船であっても被害を受ける事例が現実に起きています。
次に、航行制限や急な航路変更による運航の不安定さ。これにより燃料消費やスケジュールへの影響が大きくなります。
さらに、保険料の高騰や寄港制限など、経済的な負担も無視できません。
こうしたリスクを踏まえ、実際の海運では慎重な判断と多層的な安全対策が取られています。
それでもなお船が動き続けるのは、世界の物流を止めないためです。




