第39話 ~世界再創世~
「さて、どうする?」
大門が崩壊し、黒鉄が消滅して静寂が降りた浮島で愁翔は音無に問いかけた。
極めて優しく、この絶望的状況にそぐわない柔らかな声で。
「……愁君にも聞こえたの?」
「なんのことだ?」
「女の人の声、さっき押し負けそうになった時に聞こえた……」
「!!」
先ほどの声は愁翔だけに聞こえたものではなかったのか。そしてそれを理解したと同時に、黒鉄の言葉の真意を理解する。
先ほどの言葉は愁翔の中の『彼』、そして先ほどの声の主の二人を指していたのだ。
「あぁ、俺にも聞こえたよ」
「あの声は今までは私にしか聞こえてなかったんだ。けどあの時は愁くんにも聞こえて、逆に私も愁くんの中に誰かがいることが分かったよ」
音無の発言に愁翔は小さな希望を見出した。
そして先ほどの状況を作り出すために再び彼女の手を握った。
「えっ!? ど、どうしたの……?」
「もう一度、心を通わせるんだ。そうすれば『彼ら』を呼び出せるはずだ」
突然の手を握られた音無は頬を朱に染めたが、その発言によって意図を理解した。
「う、うん……!」
そして二人は瞳を閉じ、互いの存在を確かに感じながら繋いだ手に意識を集中させる。
やがて二人の意識は溶け合うように一つとなり、真っ白の世界へと誘われた。
◆ ◆ ◆
「おい、いるんだろ!?」
いつもの深い闇の中ではないが『彼』の存在はより強く感じる。それに加えて隣に手を繋いだままの音無が具現化した意識として存在している。
「あぁ、ここにいる」
その声はまたも背後から聞こえた。音無と共にそちらに振り返ると、これまでとは異なり『彼』は実体を持ってそこに居た。
長めの紫がかった黒のウルフカットに、金に近い茶色の少し釣り上がった目、百八十センチ近くある身長に細身だがしっかりとした筋肉が付いているように見られる。
「あんたが……」
「あぁ、俺は七咲慎。この世界、ミッドガルドの開発メンバーだ」
「「!!」」
愁翔と音無は声もなく驚愕した。
しかし愁翔の中ではこれで全てが繋がったという感覚もあった。
愁翔が時折見てきた誰かの記憶の追体験の夢、闇の中での対話、窮地の時に救ってくれたこと。
その全てが開発者である『彼』こと七咲 慎が内にいたから起きたことであったのだ。
「なぜ開発者であるあんたが、ただの高校生である俺の意識の中になんているんだ……?」
「さてな、俺にもそれは分からない。けどこれを偶然で片付けるのは少し違うよな」
七咲はお手上げのジェスチャーをしながら首を振った後、真剣な表情でそう言った。
確かにただの偶然では済まされないほど愁翔は彼に救われてきた。彼がいなければ愁翔はこうして最後の戦いまで生き残ることは出来なかっただろう。
「俺はお前たちを必ずあっちの世界へ還す。 けど肉体を持たない俺だけの力じゃそれは不可能だ」
「肉体を持たないってことはあなたはもう……」
音無は七咲の言葉に内包された悲しみを感じ取り、自身なさげに問いかけた。彼はそれに小さく頷き、目を伏せた。
愁翔は記憶の追体験でそれを知っていた。
ミッドガルドを蹂躙しようとしていた異形を相手に、七咲とあと二人の開発者たった三人で立ち向かってこの世界を守った。
しかし破壊の限りを尽くされたミッドガルドは形を保つことが不可能となり、七咲と女性のメンバーはそれを作り直すために命を賭して消滅していったのだ。
そして生き残った一人は青の賢者としてこの世界を治め、未だにその子孫が統治を続けている。
「だからこそ、まだ生きているお前たちをこの世界に取り残すことは出来ない」
「で、でもどうやって……? 大門は無くなっちゃって世界は壊れ始めてるんですよ」
音無はミッドガルドの置かれている絶望的な状況を言葉にした。
「あぁ、見ていたよ。だから世界そのものを再構築して、崩壊を食い止めるんだ」
「!! けどそれは……!」
愁翔は追体験で七咲たちの死を見ているため、それがどれほど危険なことであるかを理解していた。
「大丈夫だ、お前たちが命を賭けるようなことにはならない。いや、させない」
七咲は瞳に決意の炎を灯して愁翔を射抜いた。
「彼女の中にいるんだろ、沙耶……?」
七咲は囁くような優しげな声で音無に、いや彼女の中にいるであろう誰かに問いかけた。
愁翔にはその名前に聞き覚えがあった。
七咲の追憶の中にたびたび出てきた黒乃 沙耶という名の女性だ。
そしてまた彼女も、七咲と共に壮絶な最後を迎えていたはずだ。
『えぇ、けれど私は器すら失った不安定な存在よ……』
その声は先ほどの愁翔たちを奮い立たせた声そのものであった。しかしあの時ほどの力強さはなく、弱々しい声音であった。
「ここは意識の深層だ、そんなものは関係ない。お前はここにいるんだよ」
言い切るような七咲の言葉の直後、音無の隣の空間に煌めく数列が集まり始めた。
そこに長身で凛々しい、浮世離れした美しさを備えた女性が姿を現す。
彼女は腰まで届くほどの指通りの良さそうな黒髪を揺らしながら、その表情に驚愕を貼り付けていた。
「慎……」
そして黒乃は正対する七咲の姿をその黒瞳に映して、目尻に雫を浮かべた。
彼女はそれを零さないように必死にこらえるものの、とめどなく溢れていく涙は堪えることは出来なかった。
真っ白な世界に無色透明な雫が次々と落ちていく。それは弾けるや、世界に煌めきを広げていった。
その様子を見て、七咲が黒乃に歩み寄る。そして彼女の目尻をそっと拭いながら言葉を紡いだ。
「沙耶、力を貸してくれ。 彼らの未来を閉ざさせないために……!」
七咲は隣に立つ愁翔と音無に視線を配った後、真っ直ぐに黒乃の瞳を見つめた。
彼女は見詰められてなのか、泣き腫らしたのか、頬を朱に染めた後に涙を止めた。
「えぇ……必ず二人を現実世界へ還すわ……」
そして凛とした表情で七咲の頼みに答えた。そして彼女は音無へと向き直り口を開く。
「音無さん、あなたのおかげで私はまた慎に会うことが出来た。ありがとう……」
「い、いえそんな……。 私にはあなたの声が聞こえていただけですし」
黒乃は音無に対して目礼し、彼女なりに心からの感謝を述べた。それに対して音無はオドオドとしながら言葉を発した。
「いいえ。 あなたがこの世界に来てくれたことで、私の四散した魂は辛うじて存在を取り戻すことが出来たの。それは慎の方もきっと同じよ」
黒乃は愁翔の方にも目を向けて淡々と説明した。
追体験で彼らはミッドガルドを再構築するために魂をすり減らし、作り変えて魂を四散させたのだ。
その魂の残滓はひとりでに歴史を刻み続けていたミッドガルドをさ迷い続け、やがて迷い込んできた愁翔たちの中で存在を取り戻したのだろう。
「さて、そろそろ意識をあちらに戻して行動に移ろう」
七咲が右手を掲げて高らかに指を鳴らすと、真っ白の世界が激流と化して流れ去り、暗闇の世界を経て愁翔たちの意識がミッドガルドに存在する仮想の身体へと戻った。
◆ ◆ ◆
文字通りに半壊した浮島には手を繋いだままの愁翔と音無がたった二人で佇んでいた。
大門があった位置はミッドガルドの大地を見渡すことが出来る島の端であった。そこから見る世界は外側から崩壊を始めていた。
「本当に、壊れ始めてる……」
「あぁ……」
二人は眼下に広がる光景に唖然としていた。
この世界にはプログラムとは思えないほど人間に近い、いや現実世界の人間よりも余程人間味に溢れる人々が生きているのだ。
それを単なるプログラムの集合体として切り捨てることは、もう今の愁翔たちには出来ない。
「それで、俺たちに何が出来るんだ……?」
愁翔は自身の内にいる七咲に向けて問いかけた。
どれほど強力な魔法を重ねようとこの崩壊は止まらないだろう。しかし開発者である彼らであれば何かしらの手立てがあるのではないだろうか。
『黒鉄の消滅によってマスター権限が俺に返ってきた。けど俺はそれを行使できる肉体を持たない。だから権限の行使を二人に代行して欲しい』
「代行って、プログラムコードの知識なんて何一つ無い俺たちに何が……」
『マスター権限でしか扱えないプログラムコードを私たちが魔法文へと変換してあなた達に伝えるわ。二人はそれを紡いでくれればいい』
愁翔の疑問に黒乃の美声が具体的に答える。あっさりと説明されると容易なことのように聞こえるが、問題はその文節数だ。
「世界再構築の魔法……一体何文の領域なんだ……?」
『……十二文だ』
「「!!」」
愁翔と音無は桁違いの文節数に絶句した。
十二文など対エクリプセ戦で愁翔とヴァルアが見せた原初の魔法よりも遥かに長いではないか。
「そんなこと出来るわけない、途中で暴発するのが関の山だ!」
『方法は、これしかないのよ……』
黒乃の苦しげな声音に、愁翔は呻くことしか出来なかった。
いくら七咲と黒乃の力が加わったとしても、十二文なんて途方もない文節数を紡ぎ切れるとは思えない。
それは音無も理解しているのか、繋いだままの手から伝わってくる力が強まっている。
しかしそれでもこれを成功させなければ、愁翔たちの命運はミッドガルドとともに潰える。
「愁くん……やろう」
音無が上目遣いで愁翔を見上げながら小さく呟いた。その表情は今にも泣き出しそうだったが、絞り出した勇気が滲み出ていた。
いつも弱気で自分の意見をあまり表に出さなかった音無が、愁翔の手を引いて前に進もうとしている。
それに応えられないようなら愁翔は音無と共に現実世界へ還ることなど許されないだろう。
「そう、だな……。俺たちはあいつらに帰るって約束したんだよな」
愁翔は瞳を閉じて、先に現実世界へと帰還した三人の顔を思い浮かべた。
必ず還る。そう約束したんだ。
それを破ったら灰葉が怒るだろう。
本郷と不破が涙を流すだろう。
そして哀奈や神咲に癒えない傷を与えてしまうだろう。
「頼む。力を貸してくれ……!!」
『それはこっちのセリフだ!』
七咲は口角を釣り上げて笑った、ように愁翔は感じた。
その直後、愁翔と音無の胸の内から溢れかえるような魔力が湧き上がってきた。
この膨大な魔力を制御して魔法を完成させろというのか。
流石は開発者、無茶を言う。だが無茶を通さなければこの状況を打開することなど叶わない。
『詠唱は交互に行い、詠唱していない方はバランサーとして魔力をコントロールするんだ!』
七咲の指示の後、魔法文へと変換したプログラムコードが黒乃の声として二人の頭の中に響く。
「【彼らの記憶から大地は創られた】」
一文目で黄土色の魔法陣が、
「【喜びの記憶から樹木が】」
二文目で黄緑色の魔法陣が、
「【怒りの記憶から山々が】」
三文目で深緑色の魔法陣が、
「【哀しみの記憶から波打つ大海が】」
四文目で青色の魔法陣が、
「【楽しき記憶から大空が】」
五文目で水色の魔法陣が、二人の足元に円を描くように発生していった。
「【彼の優しき心が人のこの楽園を創った】」
六文目でそれらが回転し始め、やがて収束して二人を中心とした白色の魔法陣と化した。
「ぅ……」
六文を超えたところで音無が小さく表情を歪めた。
まだ半分に到達したばかりとは言うもののそれでも六文。常人ではここまでたどり着くだけで途轍もない偉業だ。
だが今愁翔たちに求められているのは偉業程度の領域ではない。それこそ神話の如き超越級の大魔法だ。
「ッ……」
今回ばかりは流石の愁翔にも並行詠唱して音無を励ますような余裕はない。
代わりに音無の詠唱中に魔力の膨張を抑える役割をこなしていた。
「【愛おしい新たな世の民よ】」
「【アダムとイブの尊き子らよ】」
「【我が言葉に耳を傾けよ】」
七、八、九とゆっくりだが着実に文節数を重ねていく。
その度に意識が吹き飛びそうなほどの魔力が全身を暴れ回る。
七咲と黒乃が行った世界再構築とはこれほどのものであったのか。
今愁翔と音無は二人の補助があって辛うじて詠唱を続けることが出来ている。
開発者として仕組みを熟知しているとはいえ、途中で魂が千切れてしまいそうなほどの負荷がのしかかる再構築をやり切ったのは物凄い精神力だ。
『いける、頑張ってくれ!』
七咲が愁翔の内から、この詠唱の全てをコントロールしながら二人に激励を送った。
「【創造の神が我に望んでいる】」
そして黒乃によって伝えられた十文目を紡いだところで、愁翔にも変調が起こった。
全身を暴れ回る魔力がもたらす不快感が徐々に痛みへと変質してきたのだ。
それは音無も同じようで、泣きそうに顔を歪めながらもその痛みを耐え忍んでいた。彼女がこれほど頑張っているのに弱音を上げるわけにはいかない。
愁翔は自分にさらなる負荷がかかることを分かっていながら、自分の詠唱の際に生じる魔力量を跳ね上げさせた。そうすることで次文を紡ぐ音無の負担が少しでも減るはずだ。
しかしその行為は予想以上の負荷を愁翔にかけることになり、体内の魔力が爆発寸前にまで膨張してしまった。
「ッ……!!」
『愁翔!!』
このままでは自分という存在が数列と化して弾け飛んでしまいそうだ。
『ダメ! 具体的に想像したら現実になってしまうわ!』
変換した魔法文を伝えることに従事していた黒乃が、跳ねるような声音で愁翔に警告した。
「ッッ!?」
しかしそれは一瞬遅かった。
音無と繋いでいない左手が、数列として吹き飛んだのだ。
肉体の崩壊は右手を始点として、身体の内側へと侵食を始めた。
「ぐッ、ぁ……」
音無は愁翔の様子を横目で見て愕然としていたが、それでもここで詠唱を途切れさせるわけにはいかないため十一文目を紡いだ。
「【ひとりでに歩んできた世を成すことを】」
愁翔が負荷を背負ってくれたおかげか、痛みと化して音無に襲いかかる負荷はかなり軽減されていた。
しかし問題はこのあとだ。左手が吹き飛び、詠唱どころではない彼が最後の十二文目を紡がなければならない
。
『愁翔!! 気をしっかり持つんだ!』
『この世界では想像が全て、左手の崩壊はあなたの想像が生んだ幻想よ』
七咲が叱咤激励し、黒乃が落ち着き払ったような声音で愁翔に声をかける。
声色は異なるものの、どちらも言葉の端々に焦燥を浮かべていた。
「くッ……」
想像が生んだ幻想と言われても左手が吹き飛んでいるのは事実であり、そこから伝わる激痛も途轍もないものだ。それを打ち消すほどの精神力は愁翔にはない。
『愁くん……』
痛み、焦燥、絶望が綯い交ぜになった愁翔の頭の中に柔らかな声音が介入してきた。
七咲と黒乃の声は辛うじて聞こえた程度であったが、音無の声はまるで自分の心の声のようにはっきり響いた。
『愁くんがいなくなったら、わたしは向こうに還らないよ。二人揃ってじゃないと、意味無いよ……』
今にも泣き出しそうに震える声音は愁翔の心を大きく揺さぶった。
この時彼は自分が消滅することを厭わずに十二文目を紡ごうとしていた。
しかし【詠唱連結コネクト)】によって繋がっているためか、音無にそれを言い当てられてしまっていたのだ。
「はは……」
笑った。
愁翔は自分が消滅するかもしれないこの危機的状況で、小さく微笑んだのだ。
音無が思い出させてくれた。
二人で還るという彼らとの約束。それを忘れて違えるところだった。
「心咲……」
愁翔は並行詠唱のリスクを顧みずに、隣に立つ音無へ声をかけた。
その行動に七咲と黒乃が驚倒したような気配がしたが愁翔は気にしなかった。
「うん……」
音無は肉声で答え、愁翔の右手を強く強く握り返した。
愁翔は行動をことある事に先読みされてほんの少し驚いたが、精神的にも物理的にも繋がっている以上そうなるのかと納得した。
瞳を閉じて深く息をつくと、痛みやら焦燥やらの雑念がふっと抜けていった。
その瞬間、吹き飛んだ左手があった空間に、愁翔の左手を構成していた数列が再結集して形を取り戻していく。
そして小さな閃光が発生して、愁翔の左手が完全に再生した。
想いの力、想われる力。
それらが合わさって愁翔の身に奇跡を齎したのだ。
「還ろう、俺たちの世界へ」
その言葉の直後、足元に収束していた魔法陣が、愁翔と音無を中心として一気に膨張した。
それは浮島の全てを覆い尽くし、さらに広がってミッドガルドの大陸全土を包み込んでいた。
もはやこの魔法は自分たちが現実世界へ還るためだけに完成させるものではない。
ミッドガルドの全ての命を、この世界が歩んできた歴史を守るために紡ぐのだ。
この世界を守ることはきっと、現実世界の未来をも大きく左右する結果となるはずだ。
「【灯火のような命を救済することを】」
そして愁翔の囁くような声音の詠唱により、十二文という途方もない詠唱に終止符が打たれた。
「「【グレンツェント・ヴェルト】」」
愁翔と音無の声が完璧に重なり、魔法名が紡がれる。
刹那、二人の身体の内に押し込められていた十二文の魔力が一気に解き放たれた。
世界中を覆った魔法陣をその魔力が循環するように満たしていき、線が放つ光を強めていった。
段々と強まっていった柔らかな魔力光はミッドガルド全域を覆い尽くし、世界の全て光で埋め尽くした。




