第30話 ~危機~
北の大門上空、咆哮の範囲外にいた本郷と音無は眼下の状況を目にして息を飲んだ。
千人近くいた大隊の半数以上が戦闘不能に陥ってしまっているのだ。
「私たちも鋭くんの加勢に向かおう!」
「うん!」
黄金の飛竜の背で、二人は真剣な眼差しを交わして頷き合う。
そして音無が飛竜の背を撫でると、その想いに従ったかのように一気に下降する。
◆ ◆ ◆
「鋭くん! セルリアさん!撃ちます!!」
雲間から急に飛び出してきた飛竜の背から、叫び声のような大声で呼び止められた二人は即座にエクリプセから距離を取る。
飛竜の背に跨る本郷の手には弓が構えられており、既に七色の矢を限界まで引き絞っているところであった。
「はッッ!!」
矢が一層輝きを増してエクリプセの頭上へと降り注ぐ。
七色の尾を引くその光景は、まるで女神が零した涙が天空から降り注いでいるようであった。
しかしあながちその表現も間違っていない。
んんなぜなら彼女が握る【霊弓アルテミス】は、月の女神であるアルテミスが愛用していた弓をモチーフに【想造】された武器だからである。
そして現在本郷の意識には女神アルテミスのイメージが重なっており、霊弓の力を十二分に発揮することが出来るのだ。
『ガァッッ!!』
エクリプセは巨大な力が迫りくる天空を仰ぎ見ると同時に漆黒のブレスを超高圧で噴き出し、槍のような鋭さで七色の矢にぶつけてきた。
刹那、強烈な破裂音と共にお互いの攻撃が跡形もなく相殺する。
その直後、本郷たちを乗せた飛竜の真上に紫色の靄が発生した。
「お前ら、上だ!!」
「え……?」
本郷がそれに気が付いたのは靄から大樹のような尾が射出された瞬間であった。
このままでは二人は飛竜ともども大地に叩きつけられて命を落とす。
「【迎え撃って!!】」
しかし音無によるとっさの懇願が黄金の飛竜を突き動かした。
本来の反応速度の限界を優に超えた超反射で、迫りくる尾に向けて逞しい鉤爪を振るった。
甲高い音をあたりに振りまきながら尾の先と鉤爪が激突する。
あれだけの射出速度の尾を咄嗟の一振りで抑える黄金の飛竜のポテンシャルは、並みのモンスターとは桁が違う。
それでも鉤爪はボロボロに砕け散り、迎え撃った右腕は鱗が剥がれ落ちて稲妻のようなひびが肩まで広がっていた。辛うじて拮抗している状態ではあるが、それも時間の問題だろう。
「離れてッッ!!」
叫び声の直後、エクリプセの尾が爆撃されたかのように連続した衝撃に見舞われる。
長くはもたないであろう状況を見過ごすことなく行動したのは、音無の隣にいる本郷であった。
彼女が行ったのは威力は落ちるものの手数の多い速射であった。
今の一瞬で十を超える矢を放って、こちらに圧力をかけるエクリプセの尾を吹き飛ばしたのだ。
「きゃッッ!!」
その攻撃の反動によって飛竜もろとも二人が落下し始めた。
エクリプセに叩き落されるよりは断然安全であり、地上に叩きつけられる前に飛竜が浮上すれば問題はない。
しかしエクリプセは落下する彼女たちを照準して再びブレスを放とうとしていた。あんな状態でブレスを放たれれば一巻の終わりだ。
「させるかよッッ!!」
それを先読みしていた灰葉とセルリアが左右からエクリプセに飛びかかる。
ブレス発射の直前、黄金のオーラを纏う灰葉の右脚がエクリプセの頭を捉えて振り抜かれる。
命中した蹴りはブレスの照準を大きく狂わせ、ブレスは山岳の一部を大きく削り取った。
「させるかッ!!」
直後、エクリプセの左からとびかかったセルリアは自身の周囲に浮遊している剣に五属性の魔力を乗せ、車輪のように高速回転させながらエクリプセの腹部を切り裂いた。
『グオォォォ!!!』
その一撃は先ほどの大魔法で疲弊した鱗を深々と切り裂き、黒々とした鮮血をまき散らせた。
それぞれ一撃を見舞った灰葉とセルリアは即座に最前線から退避し、不破のいる位置まで戻る。
その間に急速落下していた本郷たちは、地面すれすれのところで飛竜を操り墜落を免れていた。
「ちッ……一瞬でも気を抜いたらやられる……!」
これまでの一瞬を思い返して灰葉が歯を食いしばりながら呟いた。
「エルア! 戦闘不能者の退避は終わったか!?」
「あと二割程度です!!」
「あの短時間でよくやった!」
セルリアは眼前のエクリプセを注視しながら後方に声を放って現状を確認した。
戦闘不能者の退避は殆ど完了しており、エクリプセにもダメージを与えることが出来た。
咆哮で削られた戦力分はダメージを与えることが出来たのではないだろうか。そう考えつつセルリアは前方を睨む。
エクリプセは切り裂かれた腹部の痛みにもがくかのように果ての大門に巻き付いている。
「再攻撃はこねぇみたいだな」
「あぁ、この間に態勢を立て直して……!?」
その様子にほんの少し安堵した二人だったが、足元を這う何かを目にして戦慄する。それは影のように黒々とした霧であった。
「口を塞げ!! どんな影響を及ぼすか予想できない!!」
自身も口を塞ぎながらセルリアは背後の部隊に指示を飛ばす。
そして霧の発生源を目で追ってみると、それは宵闇蛇が零した血液であった。落下して地面を溶かした際に生じる煙がこちらに流れてきていたのだ。
「優! でけぇ盾でエクリプセとこっちを分断しろ!」
「う、うん!!」
灰葉の指示によって不破は咄嗟に前方へと手をかざし、瞬時に高さ五メートル、全長数五十メートル近い、壁のような盾を【想造】した。
しかし時すでに遅し。霧は二、三メートル先すら見通せないほどに部隊全体を覆いつくしていた。
「皆さん、よく聞いてください! 兵士の方は魔術部隊の方と合流、魔術師部隊の方はなるべく大人数で集まって防御魔法を多重展開してください!!」
戦線に動揺をもたらしたその現象に、エルアは対応策の指示を飛ばす。それに即座に従った魔術部隊の詠唱の声がそこら中から聞こえてくる。
防御魔法の多重展開の指示の理由、それは次の瞬間にこの場の全員が理解することになる。
「ぐあぁぁぁ!!!」
「ガッッ!!!」
大地を揺るがす轟音と共に王国兵の絶叫が飛び交う。
轟音と絶叫は数秒に一回という頻度で連発し、周囲から人の気配を刈り取っていく。
「これは……!」
「間違いねぇ、視界を奪われたオレたちに向けて上から尻尾を撃ってるんだ」
それがエルアの指示の理由である。
エクリプセは大きなダメージを受けたため、真っ向からの勝負をやめ、視界を奪ったところを叩き潰すという力技に出たのだ。
こちらの視界は零に等しいが、不破の盾によってそれは向こうも同じことだろう。
しかし盾のこちら側に無作為に尾を打ち下ろすだけでも、数百人はいる部隊のどこかには命中してしまう。
このままでは壊滅だ。
「心咲!! 飛竜でオレを拾え!!」
「わ、分かった!!」
どこからか応答する声、その直後に空を切って灰葉の頭上を黄金の飛竜が通り過ぎる。
それによって灰葉の周囲の霧は吹き飛ばされ、彼の居場所が音無から見えるようになった。
「ッッ!!」
灰葉は地を割り砕いて大跳躍を行い、旋回してくる飛竜の直線上に躍り出た。
跳躍した灰葉を飛竜が通り過ぎる瞬間、二つの手が彼の手をつかんで飛竜の背に引き込んだ。
「ホントに無茶しますね、あなたは!?」
「ゆったり乗る時間もなかっただろ」
飛竜の背で、本郷が灰葉の無茶を見て呆れる。
「それで、どうするのかな……?」
飛竜を操作して灰葉のことを拾い上げた音無が問う。
「オレたちは上空に出現する尻尾を叩く。その間に下で態勢を立て直してもらう」
「けど盾のこちら側だけでも相当な範囲ですよ? 出現と同時に放たれる尻尾にどう反応するつもりですか……?」
本郷の憂いに対して眼下を見下ろす灰葉は地上への指示で答える。
「セルリア!! 出来るだけ長文魔法で霧を吹っ飛ばせ!!」
「あぁ、承った!!」
返事と共に淡い緑色の燐光がセルリアのいるであろう場所から立ち上る。
そして本郷は尻尾への対応策を悟る。
灰葉は四方獣の、巨大な魔力に反応する性質を利用して尻尾の出現範囲を指定するつもりなのだ。
本郷は即座にそんな作戦を思いつく灰葉の頭の切れに戦慄していた。
「さぁ、分かりやすくていいだろ。あの緑の光の真上に出てくる、そこをお前が撃ち抜け。オレも拳撃をぶつける」
「ッ……!」
自分たちがミスをすればセルリアが無事では済まない。その重圧をはねのけて本郷は顔を上げる。
「分かりました!」
◆ ◆ ◆
灰葉の指示を瞬時に理解したエルアは後方部隊へと駆けていた。そこには吹き飛ばされたエリシアがいるはずだ。
風の小魔法で霧を払いながら突き進むと、視線の先にエリシアを中心として固まる後方支援部隊が見えた。
「シア姉さま!」
「エルア! どうしてここに!」
「先ほどのハイバさんの指示は尻尾の攻撃をセリア姉さまに絞って、それを上空で叩く作戦です。その間にぼくたちは態勢を立て直し、防御を固めます」
エリシアは神妙な面持ちでエルアの言葉に耳を傾けている。
その隣のアリアはというと、こんな状況でもほわほわとした表情を浮かべているが、内心は真面目に聞いているのだ。
その説明の途中、上空で爆音が轟き始めた。それは尻尾の迎撃が始まったことを示す。
「ぼくは霧の中ではぐれている者たちをできる限り回収してここに戻ってきます。その間にリア姉さまとアリア姉さまは盾のこちら側全てを氷の結界で覆ってください」
「!? そんな無茶なことを、それに万が一エクリプセがこちらに照準を向けたらどうするんですの!?」
「それに関しては問題ないです。『出来るだけ長文魔法で』という注文にセリア姉さまが普通に応えると思うんですか?」
エルアが呆れたような笑みを浮かべて緑色の燐光の発生源に目をやる。
「あぁ、そうでしたわ……。姉さまは【詠唱連結】で超級の魔法を放ってくるはずですわ」
【詠唱連結】。
それは一つの魔法の詠唱が完了し、魔法名で括ることなく次の魔法を詠唱し、二つの魔法を合わせる絶技である。
この技を使えるのはミッドガルドにセルリアを含めて、ヴァルアと愁翔しか存在しない。
「ですから姉さま方も二人で行う【詠唱連結】で結界を展開してくださ……」
「……」
エルアがそう言おうとした時にはすでに、エリシアは瞳を閉じて銀の錫杖を前方へ突き出していた。
周囲の冷気が渦を巻くように彼女へと集まっていき、氷属性として蒼の魔力光を灯し始めた。
「エルア、任せて。私たちがみんなを守るからね」
エリシアに寄り添うように立ったアリアが、普段は閉じて緩み切っている瞳を薄く開いて呟いた。
薄く開かれた瞼の奥に見える兄弟共通の空色の瞳は、普段のほんわかとした彼女とは思えないほど真剣な光を帯びていた。
「お願いします!」
そしてエルアは未だ黒い霧に飲まれている戦場へと駆け戻った。
「シア姉……私の力も乗せるよ……!」
「当り前ですわ。わたくしだけの力ではこの戦場を覆う結界なんて創り上げられませんもの」
「シア姉……」
「何をぼさっとしているんですの? 始めますわよ!」
「うん!!」
エリシアが紡ぎ、アリアが謳う。そして二人の意識が完全に同調し、色彩の異なった、蒼色と黄緑色の二つの魔法陣が重なり合った。




