迷いはない
シーラデン領の薬草園でラルスと遭遇して七日が経った。未だ自分という枷からラルスを解放してやれていないと知り、どうするべきか悩むローゼライトを置いて日常は過ぎていく。万能薬付きのポーションの作成は今朝完了し、今は瓶に詰めていく作業をしていた。今回優先的に回すのはダヴィデに一存しており、ローゼライトは黙々と手を進め、時折ラルスを思い出しては忘れる様に頭を振った。
「おーい、ローゼライト」
「ダヴィデ」
作業が終わるなり出掛けていたダヴィデが戻った。一旦瓶詰の作業を止め、彼を迎えに出入り口へ向かったローゼライトはダヴィデの他にもう一人いると知る。お客様? と思った直後、相手の顔を見て驚愕した。
目が合うと気まずそうにされるが視線は逸らされなかった。
二人の微妙な空気を感じているだろうにダヴィデは気にせず、手に持つ袋をローゼライトに渡した。
「王都で買った土産だ。好きに使え」
「あ、ありがとう」
中身は肌触りの好いタオルケットで仮眠を取る時に使えそう。等と考えたのは一瞬。タオルケット入りの袋をテーブルに置いたローゼライトが二階へ向かうダヴィデを呼び止めた。ら、ラルスに呼ばれてしまった。
「ローゼ。ダヴィデ様に無理を言って連れて来てもらったんだ。最後だと思ってもう一度ローゼに会いに来た」
「ラルス……」
真摯な眼に見つめられると追い帰す選択肢が消えていく。悩んでいれば、二階に上がったダヴィデが柵から身を乗り出して、とことん話し合え、と言い残し部屋に入って行った。
二人立ち尽くしても時間が過ぎていくのみ。なら、とローゼライトはラルスを中に入れた。
食事を摂る際に使用するテーブルに座ってもらい、飲み物の用意の為棚の前に立つとラルスに断られてしまった。
「気を遣わなくていい。勝手に押し掛けたのは僕の方なんだから」
「でも」
「それよりも、ローゼにどうしても聞いてほしいことがある」
ラルスがこう言うなら飲み物を用意するのは諦め、ローゼライトは向かいに座った。
「父上にローゼが生きていると話したら、父上は陛下に聞かされていたと初めて知った」
「陛下は私が生きているとご存知だったの?」
「ああ。シーラデン伯爵が死亡届を出す間際、陛下に話したみたいなんだ」
生きていると解っているとはいえ、娘の死亡届を出すのは父でも拒否してしまい、内密という事でローゼライトの生存を陛下に報せた。ベルティーニ公爵にローゼライトの生存を報せるのは陛下が父に確認を取ってから行われた。
「お父様が……」
普段の表情や態度から分かり難いが父はローゼライトは勿論、養子のフレアの事も深く愛している。ローゼライトの意思を尊重しつつ、心にあった抵抗感を捨てられず、結果こうなってしまったのだ。
「ローゼは最近の社交界については何も知らないよね?」
「ええ。お父様やフレアが今の生活に集中出来るようにとあまり言われません」
「そうか。なら、ヴィクトリアの婚約が解消されたのも知らないな」
「え?」
突然聞かされたのはヴィクトリアの婚約解消。一年前の様子を見ても婚約解消をする気配はまるでなかった。ラルスに訳を聞き、運がなかったとしか言えない内容にローゼライトは言葉を見つけられなかった。苦笑するラルスは次の婚約者候補として自分が挙がっていると出した。婚約者がいなくて、ヴィクトリアと年齢もそう離れていない高位貴族の男性といえばラルス以外いない。今日を最後にと言って会いに来たのはヴィクトリアと婚約する報告の為? と過ったローゼライトの予想をラルスは否定した。
「ヴィクトリアとも話したけど、僕はヴィクトリアと婚約する気はない」
「ラルスの好きな女性だったのよ? きっと婚約したらラルスだって」
「それはない。七日前にも言ったけど僕が好きなのはローゼライト。君だけだ。長年一緒にいた情なんかじゃない、僕の本心だ」
一年振りに再会した七日前はお互い動揺していたのがあって落ち着いていられなかった。
今は落ち着いて話せる分、相手を見る余裕がある。
ラルスの発する言葉に嘘は感じられない。真っ直ぐローゼライトを見つめる瞳に一切の揺らぎはない。
ローゼライトが好きだという言葉や気持ちに嘘がないのは本当。
「……だとしても、私は既に死んだ人間になってるのよ? どう足掻いたってラルスといられない」
「父上と取引をした。僕に一年の猶予が欲しいと」
「一年?」
「ああ。親類に今年で十歳になる男の子がいるんだ。僕がその子に一年でベルティーニ家の後継者となれると父上に認められるよう教育すれば、僕の願いを何でも一つだけ叶えてもらうことにしたんだ」
「ちょっと待って! それだとラルスはベルティーニ家の後継者の座を降りると言っているようなものよ」
「その通りだ」
あっさりと言い放たれ愕然とする。これまでラルスが公爵になる為、努力を惜しまず励んでいたとローゼライトはよく知っている。伊達に長く側にいた訳じゃない。
長年の努力を手放したラルスに抱くのはただただ後悔の念。解放してあげるどころか、増々縛り付けてしまった。どうしてこうなってしまうのか、と思考が暗闇に落ちかけたローゼライトを現実に引き止めたのはラルスの声。
「これだけは分かってほしい、ローゼ。僕の決断は決してローゼのせいじゃない。僕自身が考えて決めたんだ」
「私が死を偽装したせいでしょう?」
「ないと言ったら嘘になるけど……でもお陰で僕自身でなりたい自分を見つけられた」
席を立ち、ローゼライトの側に回ったラルスが跪いた。
「親類の子を一年で育てられたら、僕はローゼと同じ場所に行く」
「ラルスも魔法使いになって働くの?」
「うん。ダヴィデ様の許可ももう貰ってる。後は、ローゼの許可が欲しいんだ」
ローゼライトと共にダヴィデの下で魔法を習い、一人前の魔法使いになれればベルティーニ家にとっても利益となる。優秀な魔法使いの伝手はあればあるだけその家の力となるのはローゼライトも存じている。
「……」
いつかの夜会で聞いたラルスの本音を聞いて以降、ぽっきりと折れてしまった心は二度と元には戻れない。今もそう。必死に訴えかけるラルスに多少の情は湧けど心が動かない。
ただ。
「時間を急ぐつもりはない。ローゼに認めてもらえるまで僕は何時だって待ち続ける。そのくらいの覚悟はしてきた」
後はローゼライト次第。
「……ヴィクトリア様は、ラルスが婚約を断ったことに納得しているの?」
「全く。ただ、ヴィクトリアの件は父上が断ってくれている。僕は僕のしたいようにしろとだけ言われた」
「そう……」
椅子を降りたローゼライトは跪くラルスと目線が合うようしゃがんだ。
「昔みたいに仲良くは出来ないかもしれない」
「うん」
「ラルスのことは嫌いじゃない。今でも同じ。男の人としてまた好きになれるか分からない」
だから、とローゼライトは自分よりも大きな手を両手で包んだ。
「ダヴィデに魔法を習う者同士としてやり直しましょう。それでどう?」
「僕にとっては十分だ」
好きな人になれるかどうかは分からない。婚約者としてじゃない、友達というより弟子同士としてまずは最初からやり直す事にした。
——二階から様子を見ていたダヴィデは、手に触れ、笑い合うローゼライトとラルスを見て安堵の笑みを浮かべていた。余計なお節介も偶にはいいものだ、と心の中で呟いて。
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