Chapter:02-17
Chapter:02-17
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【民間輸送船『りゅうぐう』主格納庫】
『エアー、入りました! 沖田少佐、お疲れ様です! そのまま機外に出られて問題ありません!』
主電源を落とした『ライトニング』のコックピット・ハッチの前、様々な観測器具に身を固めた男性技士が呼び掛けてきた。
「了解」
一つ答えた沖田、ヘルメットを首元に固定、ハッチを開いた。新鮮とはさすがに言えないものの、格納庫内の空気が沖田の顔を大いに洗い立てた。機械油だったりシンナー類、またちょっとしたガス臭の入り交じるそんな空気は軍艦のそれと全く代わらない。
「完璧な車庫入れ、感謝です少佐!」
ビシ、とVサインを作ってくる技師。今はもう、その肉声が聞き取れるようになっている。
「どーも!」
無重力設定の庫内に、沖田は私物他の詰められたデイパックを片手に飛び出した。空中で簡単な姿勢制御を行い、格納庫の主観、天井部に固定された『ライトニング』に目を向ける。
「よーし、各員、ブリーフィング通りにチャッチャと行くぞー!! 『RL-000(アール・エル・ゼロ)』、フルメンテモードを開始ーーーーっ!」
現場監督と思われる先程の男性技士が発した野太くも良く通る声に、オース、と雑多な声が続いた。どこから湧いてきたのだ、とばかりの人数、技師達が早くも『ライトニング』に群がり始めていたが。いや、マジで一体全体、何を行おうというのだろうか。ざっと目視確認で二十名前後――多分、管制室みたいなところにも人員は存在するに決まっているから、これは本当に凄い人的規模である。
事情が事情、特殊に過ぎる由来により、やはり異様な運用が行われてきた愛機『ライトニング』。しょぼい一介のパイロットとしては何ら、権利を持っていない身の上ではあるが、さすがに『何が行われようとしているのか』位は知っておきたい……。
誰か顔見知りでも居ないものだろうか、と格納庫内を見渡した沖田だったが。
『ウォーイ、沖田くーん、こっちこっちぃいーーーー!!』
拡声器の類? と格納庫床面に視線を落とした沖田である。ビンゴ、これ以上の無い、顔見知りが米粒のように存在していた。日村瑠璃子、その人である。
返事を行うにしても果たして声が届くだろうか、と逡巡も一瞬、沖田はその身体を床面へと向けることを優先した。行動で示すのが手っ取り早く、最善。
「沖田少佐、参りました」
全く危なげなく、理想的な速度でやはり理想的なポイント、つまりは日村瑠璃子の眼前でのスタイリッシュ着地に成功した。
「あー、良く来てくれたねえ。疲れているところ申し訳ない」
右手が差し出されたので、それとなく握り返した。色気の全く無いシンプルなツナギに、やはりブカブカの白衣を肩掛け。やや浅黒い肌を持つ瑠璃子は、その癖のある頭髪を揺らしながらニヒ、と一つ笑うのだった。その年齢は自分より低いぐらいの筈なのだが、どうしたことか、頭の上がらない存在でも彼女はあるのだった。
「……で、早速でアレなんですけど『震電』――『ライトニング』に何をしようってんです?」
そんな質問を行う沖田の背後では、大型のクレーン類までが起動を始めていた。相当に大掛かりの整備ミッションには違いないのだろうが。
「ああ、まあ想像通りだと思うけれど、大気圏突入用の『シールド』を取り付けるのさ。また、ついでに幾つかのスラスターを大気圏内仕様に切り替える」
「……そんなこったろうと思ってはいましたが、『シールド』なんて呼ばれるようなモンで果たして大気圏突入に耐えられますか?」
いよいよ『りゅうぐう』他、例えば高速船への積載による大気圏突入の可能性は完全に消滅したのだな、どこか諦めに似た境地の沖田。
「問題無いはずよ。最悪、『ライトニング』は自力での突入は可能なわけだし」
ん、デジャヴュ? も糞も無い。つい先刻、やはりあれも相手は頭の上がらない女性との遣り取りだったではないか。
「……いや、それついさっき、別の人にも言ったんですけど、死んじゃいますって……本当に今、ここにこうして立っているのが奇蹟みたいなもんでして」
「ま、半分冗談――装備するのはただの『物理シールド』じゃないから、安心して欲しい。『ライトニング』の機構とリンク、その装甲表面に特殊な力場、フィールドを発生させる仕組みです。オマケみたいな機能だけれど、ついでに大気圏内での飛行も行える筈です」
「それは『重力波フィールド』ってことですか?」
いわゆる無形障壁、バリアとでも呼ばれるこの存在は現時点では『ライトニング』を除いては各種試験艦艇にしか装備されていないものである。
「そうそう。無論、シールド単体にも立派な強度耐性があるからね、まず問題は無いわよ。その気になれば、サーフィンの様な運用も可能の筈。まあ、念の為に機体投影面積、その胸部前面での降下を推奨したいところだけど」
「サーフィンなんてやったことないし……まあ、乗るのが僕、となると本当に皆、好き勝手言ってくれるよなあ……」
果たして今回も生きて還ることが出来るのだろうか。心無しか、長くも無い人生の走馬燈がぐるんぐるん廻り動いているような……。
「その点はご安心を、沖田君。今回は私も同乗します。これで満足?」
コーヒーにミルクと砂糖を入れておいた、みたいな口調で瑠璃子。
「ファッ!?」
想定外も想定外の発言に沖田は戸惑うしか無い。えーと、一人乗りだよね、これ……。
「大気圏突入には私も立ち会います、と言った」
「……お、おう……」
聞き間違いじゃなかったわ。
「それに伴い、コックピットの簡易改装の作業を並行して行います。まあ、狭くなるけれど勘弁してね」
ああ、うん、補助席の類を取り付けるのなら、話はそれは分かりますが……この人と一緒とか……なんだかなあ。
「アタシと二人っきりとかイヤか!? イヤなのか!? え、おい!! ムッチムチプリンプリンのお姉さんだぞ、これでも!!」
沖田の首元をその腕でロックしながら瑠璃子さん。返す返すも沖田は本当に小柄なのだった。しかしお姉さんって……アンタ僕より年下の筈ちゃうんかい。
「……アリガタキシアワセデアリマス」
沖田の涙声に、あははははっ、と格納庫各所で笑い声が上がった。どうやら、自分達の会話はここの技師達に筒抜けのようであった。まあ、なんとなくそうだろうと思ってはいたが。
「ともかく、あんたに命を預けるから、宜しく頼むよ――」
「心得ました。機長として快適なフライトを御約束します」
キリッ、と取り敢えず居住まいを正す沖田少佐である。
「うむ――でまあ、後はアンタ、ここに居ても意味ないから、ちょっとでも休んでおいで。部屋は用意してあるから、少しでも手足伸ばして眠っておいて欲しい。シャワーも使える個室だからね」
実際、そうなのだろう。こうして二人で話をしている時も、瑠璃子は端末各種を忙しなく操作、し続けている。これ以上は自分と言う存在が物理的にも邪魔になるのは間違いない。
「そうします――が、最後に主操縦士、意見具申宜しいでしょうか!」
去り際にこれぐらいは良いだろう、沖田は判断、完璧な挙手を作った。
「……発言を許す、少佐」
どこか諦めたような瑠璃子の顔は、控え目に言っても珍しいものだったか。
「本機の名称をいっそ『ゼータ・ガンダム』に変更してみませんか!?」
この沖田の発言に、いよいよ格納庫の空気が爆発した。あちこちで悲鳴に似た笑い声が連鎖的に巻き起こり、沖田さんサイコー!! さんせーい!! アリ寄りのアリーー!! 等の歓声もチラホラ。沖田達の背後、仮設された卓上で作業に従事していた連中は文字通り、腹を抱えて笑っている。
「……殺すよ?」
蟀谷、眉根をピクピクと痙攣させながら瑠璃子。
「え、そんなに駄目っすか?」
「駄目!」
「いっそね、本機単体で完全変形とかさせれば良いだけの話でしょ?」
「『ゼータ』のアレを言っているのだとしたら、あれは『変形』とは言わん、『変態』とでも言うべきシステム。無理」
『やめて下さい! 私が死んでしまいます!! 『ウェイブライダー』になんてどうやってもなれません!!』
『ルミナ』の演技抜きの悲鳴、抗議にやはり、笑いの渦が拡散していく。
「まず胸部を割ります」
沖田、さながら三分クッキングのような解説を真顔で開始。
『もうそこでいきなり無理だよ!! 割れないよ!! と言うか沖田さんも一緒に割れることになるよ!?』
『ルミナ』の抗議、と言うよりもツッコミもキレッキレではある。
「膝を二箇所で折り曲げてそれぞれの足を畳みます」
『えー!! そんな構造持ち合わせておりませんがあ!!』
「割った胸部、そこに頭部をめり込ませます」
『いやあああああああ!!!! 有り得なぁああああいっ!!!!』
「沖田君、実に興味深くかつ楽しい提案ではあるのだが、仕事にならんのでとっととオヤスミ頂けないだろうか」
これぐらいの軽口で気分を害する女史で無い事は明白だったが、実際にスケジュールが押しているのかもしれない。潮時だな、と沖田は判断する。
「はい、わかりました」
「部屋はここ――分からなかったら案内させるが」
空中に表示された立体ディスプレイを瑠璃子が弾き、沖田の端末が情報を受信。船内図と、該当個室までのルートが示される。
「ん、問題無いようです。一人で行けます」
これで迷うようであれば、宇宙軍人として致命的と言わざるを得ないだろう。
「君に言うことでは無いと思うけれど、休める時に休んでおいてくれ。ホテルのルームサービスとはいかないけれど、何を食べて飲んでもいいからね」
「はい、それも自分の仕事ですから――では皆さん、『震電』をよろしくお願いします。『ルミナ』、皆の言う事をちゃんと聞くようにね」
『はあい!』
『ルミナ』の元気な返事と、格納庫全域からの返事に満足して、沖田は『りゅうぐう』主格納庫を後にした。
◆ ◆ ◆
【同日、同時刻】
【衛星基地『ハイランド』】
「ふんふんふーん♪」
全くご機嫌状態のシモーヌ・ムラサメ大尉、若干の千鳥足。『NO.058沖田』と記されたルームプレートを前に、髪の毛をささっと整え撫で付けた。
「あらムラサメ大尉、ご機嫌よう」
ぬうっ、としか表現しようのない登場の仕方、メイド長ことマリベル・リンス大尉である。
「ぬ、ぬぉっ――マリベル、どうしてここに!」
「こっちの台詞ですよ、シモーヌ――また隊長に夜這い??」
コレ良く考えたらスゲー日本語だよなあ、マリベルは失笑を禁じ得ないが、表立ってはその表情筋を真顔のそれで維持、続けた。
「ま、またとか言うんじゃねえよ……ふ、副長として色々、隊長に対する報告の義務がある、とか思ってだなぁ」
「後ろに隠した『YES/ハイ枕』が無ければ信じても良いところだったけど……」
この『YES/ハイ枕』とは、シモーヌお手製による恐ろしい枕の名称である。相手側、この場合は目標である沖田からあらゆる選択肢を没収すると言う恐ろしい存在であり、類似品として『Oui/Ja枕』他、更なる多国籍版が認められているようである。ちなみにこの悪魔の枕が効果を発揮したことは、一度も無かったと言う。
「おぅふ――いや、これは、あわよくば――とかそうじゃなくて、お疲れの隊長を気遣って、のアレ、なのよね……」
罪の無い――存在自体が罪だろうが、と言いたくなる主張には物凄く説得力があると思うが――『YES/ハイ枕』をほとんどその背後でミシミシと潰しながら、シモーヌ。
「お疲れだったらそのまんま休ませておいてやんなよ……ったく」
段々、マリベルの言葉遣いも『ぞんざい』なモノとなり始める。まあ、階級は同じですし、立場が立場なのと一応シモーヌが先任であったから、これでも気を使っているのだが、普段は。
「……はいはい、半分は冗談ですよ、っと」
ぶー、と口を尖らせるシモーヌだったが、半分が冗談ならばもう半分は何だと言うのだ。マリベルは鼻からフー、と長い溜息を吐くのだった。まあ、愛すべきアホではあるな、この人も。隊長に対する好意をまるで隠さない真っ直ぐな生き方はどこか、羨ましく思わないでも無いところではある。
「……ちなみに、隊長ならいないわよ」
まあ、事実を伝えるのが一番、手っ取り早くはあるわね。
「??? えええ???」
器用に両目、口、顔全体で疑問符を露骨に浮かべるシモーヌ。
「隊長はいない、と言ったのよ」
「もしかして他の女、或いは男の部屋にシケ込んでいるとか!? シッポリやってるとか!?」
おのれー、と怒りを露わにするムラサメ大尉。違う、そうじゃねえ。
「アンタの創造力の逞しさには敬意を表したいレベルだけど、そう言う事じゃなくて、隊長はこの『ハイランド』に物理的に存在していない、ってことよ」
「隊長はいつも私達の心の中に――ってそういうアレ? なんかこう、青空背景で敬礼している隊長みたいな。まあ、いつも無茶してるもんね」
そう、忘れていたが基本的にこの女、酔っ払いであった。
「あーもー、沖田隊長は特命を帯びて、『ハイランド』をついさっき『震電』で出て行った、オーケー??」
「あー、そゆこと……」
うんうんうん、なるほどなあ、と腕組みしながら頷くシモーヌ。やっぱり流石の副長である、とすべきところか。
「……まあ、理解が早くて助かる、ってしとくか……全然早くねーけど。じゃ、ま、そういうワケだから」
基地時間で明朝は『ラリー・インダストリー』の輸送船が到着する、ってことだし自分も早めに部屋に戻って『白州』を一杯だけ貰ってオネンネしよ――ささやかな幸せ、未来ある自室に向けて一歩を踏み出したマリベルだったが。
「ふ、ふっふっふっふ」
「……何かおかしいことでも……?」
マリベル、足を止めて振り返らざるを得なかった。
「ふーーーーざけんなぁああああああ!!! ゴルアァアアアア!!!」
シモーヌは大切な筈の枕を勢い、床に叩き付けて咆吼を立てるのだった。
「!?!?」
ブゥー、と唾を飛沫と噴くマリベルだった。イヤだ、メイド長たる私、はしたないにも程が……ってそう言う場合じゃねえ!!
「まーーーーった勝手になにしくさってくれるんやぁああああああ!! あのダボが!! オタンコナス!!」
「ちょ、お前、シモーヌ、落ち着け!! 寝てる人もいるからっ!!」
瞬間湯沸かし器さながらのシモーヌをどうにか、その四肢を駆使して抑え付けながらマリベル。やべえ、普段から鍛えているからナントカドッコイだけど、体格差がキッツイ……この女、無駄に身長高いっ!!
「いいいいいーーーーーーーーーーーっつもそうだよあのヴァカ!! ロクデナシ!! 色男!! クソがぁああああああ!!!!」
おいいいい、一つ悪口じゃないのが混じっているぞぉおおおって、どうしようこれ。どうしよう。
「やかましいぞ、ムラサメ大尉!!」
開かれた扉から半身をこちらに向けてきたのはレスター大佐である。寝間着姿のようで、正に就寝直前、と言った所なのだろう。ごめんなさい、ほんとごめんなさい。
「ああんッ!?」
シモーヌ・アイは破壊力。ギンヌッ、としか表記できない擬音がレスターに対して向け放たれた。
「チョットシズカニシタホウガエエンチャウカナトオモッタダケデスヨ」
えらい勢いでサッと自室の扉を閉めるレスター大佐である。さすが、空気の読み方が半端無いわ。こうして見るとやっぱり沖田隊長の師匠っぽいんだよな-。
にしても。にしても!!!
以下はほんの数時間前、沖田とマリベルの遣り取り。
『……副長、シモーヌさんにお伝えするのは本当に事後、で宜しいの?』
『あー、大丈夫、多分、いや間違いなく察してくれているよ、あの人はね。今のみんなに水を差すべきでは無い、ってことも百も承知だろうしね』
以上。
「全ッ然、察してくれてねえええええええっ!!!」
隊長の嘘吐きーーーーっ!! マリベルもまた、誰ともなく叫んだ。もうヤケクソだ!
「いっつもそーなんだ!! 沖田は、アタシ達を置いて、何の相談も無く!! 勝手に!! 勝手に!!」
えぐっ、えぐっ、とまさかの号泣を開始するシモーヌ。修羅場にも程があるなあ……ンモー。
「こっちゃ不安で仕方ないってんだよぉ――いつか居なくなっちまうんじゃないか、ってさあ!!」
演技抜きのべそっかき、シモーヌ。なるほど、彼女の真なる心配点はそこにあったのか、ようやく窺い知ることの出来たマリベルだったが。
「大丈夫大丈夫、直ぐに戻ってくる、って言っていたし――久し振りの地上でお土産を爆買いしてくる、って言っていたから何を買ってきて貰うか考えながら、今日は寝ましょう! ね!!」
「うん、わかった……」
シモーヌの急速なトーンダウンが何に由来するのかは分からなかったが、ともかく落ち着いてくれた事には感謝。見れば、何人かの隊員が薄く開けた個室、ドアからこちらの様子見をしているようだったが。まあ、シカト決め込む連中では無いから何か退っ引きならない事があれば間違いなく飛び出してきてはくれるんだろうが。まあ、出来れば関わり合いになりたくないわよね、私でもそーする。間違いなくそーする。
えぐっ、えぐっとしゃくり上げ続けるシモーヌの自室まで、或いはベッドまでは付き合ってやろう、そう決めたマリベルさんであった。正直、身長が180近いシモーヌの背中に手を当て続けるのもこれはこれで難儀だったが。
……繰り返しになるが、沖田クリストファがこの『ハイランド』に戻る事は、二度と無かった。
◆ ◆ ◆
【同日、同時刻】
【地球本星、オーストラリア】
「――オキタ准将とのホットラインが繋がっております」
トイレから出てきたヘイスティング元帥に対して、次席副官であるロワーズ少佐が遠慮がちな面持ちで携帯通信機を差し出してくる。エテルナ大使を交えたささやかな食事会は恙無く終わり、続いてのお茶会名目の会談へ移行する、そのほんの僅か、隙間の時間だった。
「お、さすがに海の女王、行動が早い」
ヘイスティングは通信機を片手にその相好を不器用に崩した。
『こちらソフィ・A・オキタ海軍准将です』
想像していたよりも電波の調子が良好なのか、艦長周囲の賑やかな雑音も共に飛び込んできた。出港直後との事だったので、地味に忙しいタイミングではあったのかもしれない。まあ大きな船であるし、中間指揮官も沢山存在していることは身を以て知っている事もあったから、ヘイスティングは余り気にしてはいない。
「やあ、あれから一日も経っちゃいないが日本の方はどうだ? 何か問題あるかね??」
『……それが、全く無くって拍子抜け……と言うとアレですが……まあ、本国では予てより『惑星連合政府』に対する不満と苛立ちが溜まっていたこともあって、寧ろ歓迎? の流れに落ち着いているようです』
「暴動一つ起こらないのは素晴らしい国民性だと思うがね」
事実、場所によっては世界状況の激変に乗じたデモ、暴動、からの略奪行為が無数に発生しているようだった。まあ、元々そう言った火種を抱えていたのだから、突き放した言い方をすればそうもなろう。
『……一概に『良い悪い』は小官などに判断出来るところではありませんが、個人的には我等日本人は『良い意味での諦め』が良いのだと感じています。暴れても何にもならないでしょ、的なね』
それこそ自らの諦観めいたものを口調に乗せてくる器用な『わだつみ』艦長である。
「私の由来、根源元であるフランスの状況を見ていると日本のそれは穏やかな天国にしか映らんがねえ」
『ああ、なんかパリはすげーことになっているようで……』
花の都、と呼ばれていたのも本当に遠い昔の話。今のパリ市街は暴徒による商店略奪、放火暴行、と手の付けられない状態になっている。報道が追い付いていないこともあろうが、現時点では北アメリカはサンフランシスコと、このパリにおける暴動がより、深刻なものとして世界的に認識されているようである。まあ、サンフランシスコのそれとパリのこれを同一、一緒にする訳にはいかないのだけれど。
「リアルで『パリは燃えている』んだ。もはや知ったことでは無いが」
どこか吐き捨てるような言い方になったが、これはささやか過ぎる思い入れの裏返し、と呼べるものであったのかもしれない。現在、多くの人間がそうであるように、ヘイスティングもまた、母国に対する純粋な愛国心とはほとんど無縁に生きてきた。それは無論、今の話し相手であるオキタ海軍准将にしても同じ筈である。大切な故郷、出身地以上の存在では断じて無いのだ。
『で、ご用件は――本艦、現在浦賀水道内でこれでもデリケートな繰艦が必要なタイミングでしてね』
そのバックからジリリとけたたましく鳴る何らかのベル群、チャイム音、そして操舵士他の復唱報告がヘイスティングの耳にも届く。世界的にも過密で知られる浦賀水道か、それはタイミング的に悪いことをしたかもしれない。
「そうだったな、悪い悪い――あのな、『アトラス』へ入港する前に、太平洋上で『とあるもの』を拾ってもらう可能性が出てきたんでな、軽くでも伝えておこうと思った次第だ」
『……ほう、『とあるもの』、ですか――まあ、本艦はぶっちゃけどなたでもウェルカムな空母ですが、詳細ぐらいは教えて頂けますか』
その気になれば爆撃機だって積載可能な恐るべし海の女王、『わだつみ』。無論、VTOL機(=垂直離着陸機)に限る、とは強調しておくべきだろうが。
「統合軍の特機、人型が一機。それを回収してもらう」
『……!!』
通信機の向こう側、オキタ海軍准将が息を呑む気配はしっかりと伝わってきた。
「最初は直接『アトラス』の空軍基地にでも降下させようとも思っていたのだが、なんでも特機の管理責任者――君に隠しても仕方ないから言ってしまうが日村博士からのリクエストで、可能ならば洋上での着艦試験をミッションに組み込んでみたい、とのことでな」
オジサマ、お願い――そんな語尾にハートマークを殊更に詰め込んだある意味で恐ろしい日村瑠璃子のボイスメッセージを受け取ったのはほんの十分程前だったか。まあ二十代の小娘に振り回されると言うそんな体験は新鮮は新鮮なので、決して悪い気分では無い。孫みたいな年齢の沖田クリストファとこの日村瑠璃子は、そう言う意味で彼にとっても貴重な存在なのであった。ぶっちゃけると基本、周囲にいるのが『じじい共』ばかりだし。自分含めて加齢臭すげえ的な。
『……なるほど。本来、宇宙空間特化の人型兵器による空間機動試験を行うに際し、やれることはなんだってやっちゃおうかな、って所ですか。そして太平洋上、となると特機は直接の大気圏突入を単独で行う、ってことにでもなるんでしょうね』
なにこれこわい。まるで話を聞いてきたように言ってくれるじゃない……。そりゃ、無能者が地球上に四隻しか存在しない超弩級空母の艦長なんてやれる訳もないのだが。うーん、優れた人材というのは本当に清々《すがすが》しく、素晴らしいな。
「……慧眼には本当に恐れ入る……私から修正するところがまるで無い」
『お褒め頂く程のことでも。空母というのはその実、大規模な海上プラットフォームの様なものでありますから、新兵器群の試験やら訓練やらと、日常茶飯事なんです。見たことも無い『どっきりびっくりメカ』の類の扱いにもそれは馴れたものですわ――まあ、閣下には説明するまでもありませんね、これ』
ヘイスティング元帥が割合に長期間、食客として『わだつみ』のお世話となっていたのは歴とした事実である。船舶関係、特に軍隊のそれ、知識諸々を身を以て学び知ることが出来たのは本当に貴重な体験であり、今現在もその知見は間違いなく生きている筈だし、実の所、今後の事態推移に大きく影響している事は疑い無い。
「ええと、その特機に誰が乗ってくるか、とかは疑問では無いのか?」
意図的にオキタが話題から外しているのか、と感じなくも無かったが、ヘイスティングは自ら切り出すこととした。
『え??? どうしてか息子、クリストファしか乗れないんじゃありませんでしたっけ? あの『トンデモメカ』って』
「お、おう……」
余りにもアッサリ、当たり前のようなソフィ・オキタ准将の発言にヘイスティング、言葉が詰まってしまう。
『仮に息子が来ないとなると、なんかテンション凄い落ちますけどね、小官』
「……ちゃうちゃう、そりゃ降りてくるのは沖田クリストファ、少佐ともう一名、日村博士で確定しているよ」
『なんだ、驚く話でもありませんね。まあ、息子の機体を拾うってのは喩え仮初めでも母、からすれば順当真っ当なお話でしょう。日本語では『空の母』と書いて空母、と読みますしねえ』
「詩的だね、艦長――本当に素晴らしい」
現時点でこの両者、実は英語で会話を行っているので、表現はこうもなる。
『はいな、全力で拾って見せますよ。これでもね、彼に取り少しでも良い母親でありたいとは思っているんですから、私』
このソフィ・アレン・オキタ海軍准将が、義理の息子である沖田クリストファの『火星沖会戦』への従軍を止められなかったことを、今も尚、悔やみ続けている事をヘイスティングは良く知っている。その当時は止めるも止めないも無い、そんな無茶苦茶な混乱状態ではあったが、それでも、だ。
安全だと思ったから、宇宙軍士官学校に入れたのに!
当時のオキタ准将は『わだつみ』艦長室で息子クリストファの従軍を知らされ、周囲に憚ること無く絶叫したという。軍隊に志願した以上、そんな我が侭は通用しない、そんな単純な話ではこれは無かった。
当時の沖田クリストファは士官候補生、一学生に過ぎなかったのだから。最前線に引っ張られる、なんてどこの誰が想像出来ただろうか!
教育、訓練課程も半ばも半ば、当然卒業だって果たしてはいないし、配属は元より、また実階級だって持ち合わせちゃいない息子が超法規的措置、その実は強制的に従軍を強いられたとなると、これは一体、何なのだ! どうなっているんだ、宇宙軍はっ!! と。
結果的に、沖田クリストファ候補生の『従軍志願』が周囲からの強制的なものでは全く無かった事をオキタ准将は本人の口から直接聞かされる事となったのだが、それでも、だ。
「母親らしい事が本当に一つもやれなくて、ごめんね」
あの日、涙を堪えながら画面向こう、遠い場所にいるクリストファに呟いた時の気持ち、感情はどう表現すれば良いものだったのか、未だに答えは見付かっていないんですよ――『わだつみ』艦長室でウィスキー片手にそう口にしたオキタ准将の顔は、儚く、けれど大変に美しいものであったとヘイスティングは記憶している。
「しかし今回も、ご子息を盛大に巻き込む形にはなると思う――許して欲しい」
あの時のソフィの表現しようの無い顔を思い浮かべていたこともあり、そんな謝罪の言葉が口を吐いてしまったが。
『許すも許さないも無い、元帥閣下。それに、全ては『あの子』が決断、選択することでしょうに。ここで貴方からの謝罪なんて聞きたくないわねぇ!』
なんとも辛辣な、今のヘイスティングには痛みを伴う、オキタ准将の言葉であった。さながら、声で引っぱたかれたような、と言うべきか。自らの失言を自覚していたヘイスティングは、返す言葉を暫し、失ってしまった。
『――ちょっと言い過ぎました、こちらこそ謝罪を、シャルル』
ファーストネームで呼んでくれたことに、心から感謝するしか無いシャルル・ヘイスティングであった。
「いや、こちらこそ結果的に君と子息を侮辱したかもしれない、申し訳も」
『んじゃまあ、これで双方、手打ち、ってことで。詳細データ、なるべく早く送って下さいね。こちらにも根回しとか準備が必要なので、判明確定したものからじゃんじゃか送ってくれて結構です』
実際にパン、とその手でも叩いたのだろうか。オキタ准将の声色はいつものそれへと完全に戻っていた。
「分かった。タイムスケジュールはまた形にして随時送らせてもらう。差し当たり、君には状況だけを把握しておいて貰いたかった」
『了解しました、CVF-001『わだつみ』はこれより、状況に応じた柔軟な航行活動を開始することとします』
操舵長繰艦、と言う声が最後に遠く聞こえたが、これはオキタ准将の艦橋への命令であったのだろう。
「うん、まあ時間が余ったらアトラスの周りをぐるぐるしていればいいよ。忙しいところ悪かったな」
『ま、乗員の休暇を地味に切り上げた部分も有るので、のんびりさせてもらいます。これはこれで、皆も喜ぶことでしょう』
ふふ、と笑うオキタ准将。まこと、巨大とは言え閉鎖空間内での乗員の精神衛生管理は然程に重要なのである。
「『わだつみ』諸君等に、宜しくと伝えてくれ、オキタ」
『はい。では、データを待つ事とします。ご機嫌よう、シャルル』
ふう、と通信機の電源を切るヘイスティング。やはり賢者との会話はこれに勝る楽しさは無い、肝を冷やす場面もあったが、これもまた、重畳であると。
ちら、と取り出した懐中時計を改めたところ、まだ少しばかりの時間があるようだった。副官ロワーズに通信機を戻し、今一度洗面所へとヘイスティングは足を向けた。
豪奢な鏡、そこに映るのはただただ、疲れ果て、老い曝えた自分自身の顔。
備えられていた厚手のタオルを確認し、ヘイスティングはその顔を一度、洗うこととした。疲れている暇なんて無いんだぞ、シャルル。自分に言い聞かせるように。
それにしても……すっかりと、老人になってしまったなあ。
いよいよ引き返せないところまで、踏み込んできてしまったけれど。
フリストフ・ブルクハルトよ。
貴方が、今、ここにいてくれたら、生きてくれていたら。
どんな夢を、語ってくれるのでしょうか。
どう、僕達を導いてくれるのでしょうか。
どう、この酷く醜い世界に、光をもたらしてくれるのでしょうか。
Let bring us the Rights, Lights...
Both RLights...
「アール、エル――」
呟いて、湯気曇る鏡に『RL』と指先で記した。どこか本能のような、ものだった。
『RL____________』
迷いはあったものの、どこか許しを示す曇り、その余白に人差し指が自然と踊った。そうだ、ここで止めてはいけないんだ、この言葉はね、こう続かなければならないのだろう、アンナ……可愛い可愛い、私のアネット……。
『RLight=Bringer』
シャルル・ヘイスティング元帥が去った後、鏡に遺されていた文字、であった。




