09-01:追いつ追われつ
一月十二日朝、ツギオとワイプルダンヤはウラプンガという所にあるアラワ族集落の小屋で目覚めた。戸外ではバラマンディと呼ばれる五十センチ程の魚を焼く煙が立ち上っていた。
「兄弟、起きたかい」
小屋の主人、ヘンリー・ティウィの声がした。
「お早うございます。よく眠りました」
ツギオは眼を擦りながら小屋から出て辺りを見回した。小屋の回りはまばらな森になっており、そこここに巨大な蟻塚が奇妙な姿を見せている。小屋のすぐ前には幅十メートル程の川が音もなく流れていた。
「その川、ローパー川違いますか。こんな近くに川あること知りませんでした」
「そうかい、それに随分疲れてもいたようだね」
ヘンリーは愛想よく白い歯を見せた。
「あっ、バラマンディの匂いだ。僕大好物なんだよ」
ワイプルダンヤが小屋から出て来るなりそう言った。
「今朝ちょっと行って釣って来たんだけど、そっちの兄弟の口に合えばいいんだがね」
「おいしいの匂いです」
ツギオの言葉に相好を崩したヘンリーは森に向かって大声をあげた。やがてディンゴ犬を追って一人の少年が戻って来ると、すぐにティウィ家の朝食が始まった。ツギオの前にはバラマンディの他に、一片の白い肉が置かれていた。
「この白いの何の肉ですか」
「ニシキヘビですよ、バラマンディが口に合わないといけないって、うちの人が言うもんだから」
ヘンリーのおかみさんが、はにかみながら言った。
「それでは、これ皆で分けましょう。私バラマンディきっと好きです」
「それは出来ないんだよ兄弟、ニシキヘビは年寄り用の食物で、私ら若い者には病気とか特別の時以外タブーなのさ」
「どんな味しますか」
「そうさねぇ、……多分……ニシキヘビの味さ」
ヘンリーはそう答えて首を傾げた。
「ヘンリー、上の息子さんはどうしたの、確かもう一人いたと思ったけど」
と、ワイプルダンヤが回りを見回した。
「今朝早く、ニシキヘビの残りを持たせてミッションまで様子を聞きにやったんだよ。昼頃には帰ってくるだろうから、それまでゆっくりしてったらいい」
食事が終わった頃から、ヘンリーの小屋の前にはアラワ族の子供たちが七、八人集まって水浴を始めた。
「この車、おじさんたちの」
子供たちの一人がシローのジープを小屋の横に見付けた。
「そうだよ、昨日ダーウィンから乗って来たんだ」
ワイプルダンヤが車から布製のバケツを取り出しながら答えた。
ツギオとワイプルダンヤが洗車を始めると、それを待っていたかのように子供たちも手伝い始め、砂で汚れていた車体はたちまちピカピカに磨き上げられた。
「おじさんたち、サファリに来たの」
「人を捜してやって来たんだよ」とワイプルダンヤ。
「それ、アラワ族の人なの」
「違うよ、悪い奴なんだ、モスグリーンの車に乗っているんだけど、君たち見なかったかい」
「僕は見てないけど、もしかしたらトビ―が知ってるかも、いつも道の方を見てるから。本当に車が好きなんだ」
「その子の家は遠いの?」
「マタランカの方へ行ったとこだよ」
ジープは子供たちを満載して西に向かった。三十分程走るとローパー谷、道の左手に南に延びるビークルズトレースが見えて来た。トビ―の家はこのT字路の近くにあった。
「その車なら見たよ。T字路の所に停まっていたんだけど、すっごくおっかないお爺さんが乗ってて車に触らせてくれないんだ。白人の女の子も乗ってたよ」
トビ―はジープの運転席に座らせて貰って、ご機嫌で答えた。
「それはいつのことだったの」
「昨日の朝」
「ツギオ、間違いないね、奴はここへ来てたんだ……それでその車はどっちへ行ったの、見てたんだろう」
「ううん、見てなかった。だってあんまり口惜しいから石を投げて逃げちゃったから」
「それじゃ、他に白人の男の人は来なかったかい。その女の子を捜して」
「知らないよ、僕は見なかった」
二人はひとまずヘンリーの小屋に帰ることにした。昼前にヘンリーの長男が戻って来た。
「聞いて来ましたよ。彼らはミッションに来たんだって、十日の夜に。もう夜も遅かったんでその晩だけ泊めてやって、昨日の朝帰って貰ったって言ってたよ」
「帰って貰ったって、それどういう意味ですか」
ツギオが怪訝な顔をしたのを見てワイプルダンヤが解説した。
「ミッションはアボリジニ居住区の中にあるんだ。だからそこに行くにはダーウィンにある州政府の社会福祉局の許可がいるんだよ。奴がそんなの持ってる訳ないだろう」
「それで分かった。彼、ミッションを十一日の朝追い出されて、そしてローパー谷まで来た、それからさっきのT字路の所に。彼、南に行った思う」
「僕もそう思う。奴はマタランカから来たんだろう。だからもう一度そこへ戻るつもりなら、あんなところでぐずぐずしてる筈はないもの」
挨拶もそこそこに二人はジープに飛び乗った。
昼過ぎ、二人はローパー谷の南二百キロのタヌンビリニの集落にいた。南に延びるトレースはこの先五十キロの地点でT字路にぶつかる。そこから西に行けばスチュアートハイウエイ、東に行けばカーペンタリア湾だが、東西各二百キロにわたって人家はなく、五十キロ四方に一か所あるかないかの牛の水飲み場だけが唯一のキャンプ可能地だ。
彼らはこの集落のとある農家で遅い昼食をとることにした。人のよさそうな初老の農夫は、二人を昼食に招待したうえ、彼の知人たちに無線電話で問い合わせしてくれた。
「その誘拐犯ちゅうのは、六十過ぎくれえの爺さんだって言ったね」
「ええ、モスグリーンのクライスラーに乗ってた筈なんですが」
ワイプルダンヤが答えた。
「クライスラーについちゃ分かんねえけんども、この先のニールちゅう男がそれらしい爺さんを拾ったって言ってるだ。昨日の夕方のことだ」
「小さな女の子を連れてたんですね」
「んだ。可哀相に耳が悪くって口が利けねえちゅうだ」
「嘘ですよ、口を利かないように脅されていたんでしょう」
「そう言うこった。何処となく胡散臭い爺さんだったっちゅうから。途中で車がぶっ壊れたとかで、村の北のはずれん所を歩いて来たっちゅうだ。その娘っ子が可哀相に足引きずってたんで、家に連れてって晩飯食わしてやったって言ってるだ」
「それからどうしたんですか」
「詳しいことはニールに聞くといいだ。野郎びっくらこいて、こっちへ飛んでくるちゅうから」
「ツギオ、これで半日は儲けたね」
分厚い生ハムを挟み込んだサンドイッチにかぶりつきながら、ワイプルダンヤがVサインを出した。
「おらが飛んでもねえことやっちまったちゅうのは本当かね、なあロンの父っあん」
間もなくやってきた中年の大男は汗を拭くのももどかしくそう言った。
「そうともよ。そこの兄さんたちがさっき話した人たちだ」
「済まねえことやっちまっただなあ。おらがもう少し気の付く男だったら、分からなきゃなんなかったに」
「いやそんなの普通分からないでしょう。仕方ないことですよ。……それで、今も話してたんですが、奴はどうしたんですか」
「家へ連れてって晩飯を食わしてやったっけが、その娘っ子がえらく行儀が良かっただよ。飯の前と後にはちゃんとお祈りまでしてよう。ありゃよっぽど親の躾がよかっただなあ。それに引き換えあの爺さんときたひにゃあ、お祈りのねえのはおらたちもご同様だけんども、ガチャガチャ音は立てるし手づかみにゃするし。おら、あん時妙だと思わなきぁなんなかっただよ」
「そんなに気に病まないで下さい。知らなかったんですから。それで、それからどうしました?」
「昨日の晩はそのまんま、家に泊めてよ。そいで今、買物のついでにダリーウォーターの飛行場まで送って来たとこだ。ほんの三時間くれえ前だ」
「あと、それから奴を捜して別の男の人がこの辺に来ませんでしたか」
ロンが身を乗り出した。
「それよ、さっきから気になってたのは」
「来たんですね」
「昨日のこった、その人に会ったなぁ。やっぱしモスグリーンのクライスラーを追っかけてなすった」
「どんな人でしたか」
「無精ヒゲだらけの顔だったがよ、背は、そうさなあ、六フィートってとこかな、四十二、三の、丁寧な言葉遣いの、本物の紳士ってなぁ、あんな人のことだべ」
「ライケンさんです、女の子のお父さんですよ。それで、どっちへ行きましたか、その人は」
「暫く村ん中で聞いて回ってらしたが、南の方へ行きなさった」
「南の方へ行ったとなると、今日中にもここに戻ってくるんじゃないかな」
「そうなるかね」
「間違いないと思います。ここから東の方のトレース沿いに、二つの集落があるでしょう。ボロルーラとアントニーラグーンと。この集落を捜せば、ダリーウォーターから東に入るトレースの要所は抑えたことになります。後は北上してアーネムランドに行くしかないんだけど、ここはその通り道でもありますからね」
「そういうことなら、通るべえな」
「それでお願いがあるんですが、彼がもう一度ここへきたら手紙を渡して貰いたいんです」
ワイプルダンヤは手早く手紙をしたためてロンに渡した。
ダリーウォーターの飛行場でティキがアリススプリングスに向かったということを聞き込んだツギオは、ワイプルダンヤと別れ、単身アリススプリングスに飛ぶことにした。彼は最終便までの数時間、待合室のベンチでうつらうつらしていたが、いつの間にか本格的に眠り込んでしまった。
「ツギオサン、飛行機が出ますよ」
ツギオは、聞き覚えのある声に眠気を払うように頭を振って起き上った。
「急ぎましょう、飛行機が出ます」
ベンチの前にはライケン氏が立っていた。




