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漆黒の対話

 前回とは微妙に対になっています。


「ここは私がひとりの時間を作りたくて特別に作った部屋なの。ついてきてくれる?」


 そう言って玲子は地下室へと足を進めた。大門も躊躇しながらもその後についていく。湿気ているのか、壁を触るとぬめりとした嫌な感触があった。硬いコンクリートの階段を靴が踏むたびに、カツンという冷たい音が響き渡る。


 大門は後ろを僅かに振り向いた。そこには明かりの灯った通常の家屋となんら変わりの無い風景がある。テレビがあり、ソファやベッドがあり生活感があった。だが、今しがた招待されたこの地下室に続く階段はどうだ。ここは人間の香りがまったくしない。下から吹き上げてくる妙に生暖かい空気はまるで獣の息づかいのようだ。


 下へと降りていくたびに、壁についた手から伝わってくるぬめりのような感触が生々しさを帯びて、いよいよ生き物の体内じみてくる。


 先に下へと辿りついた玲子は、重そうな扉の前で大門の到着を待っていた。大門が顔を青くしながら下へと降りてくるのを見て、


「あら、顔色が悪いわよ。大丈夫?」


 と心配するような声を出したがその顔は言葉に合わない妙な笑顔だった。大門は気味が悪くなって返事もせずに顎で扉を示して聞いた。


「その扉が?」


「ええ、ここが私のプライベートスペースなの」


 自慢のペットでも紹介するような口調で玲子は言い、そして重そうな扉を開けた。


 その瞬間、大門の目に肌色が白と黒の二色が映り込んできた。その単純な対比の色で分けられるほどにこの部屋は殺伐としていた。白は壁、黒は床と天井だ。二色の四角い部屋の中心には白い背もたれのついた小さな椅子がひとつと、それと向かい合う机と椅子が一組。あとはその隣に本棚がひとつ置かれていた。


「趣味が悪いな」


 大門が吐き捨てるように言ったが、その声は震えていた。何か、この部屋と宮崎玲子に尋常でないものを感じ取っていた。長らく人間に対する恐怖という感情を忘れていた大門だったが、この部屋はまさしくそんな眠っている恐怖の具現だった。


 玲子は大門の声の震えを感じ取ったのか、口元でふふと笑いながら、


「そうかしら? 結構気に入っているのよ」


 と別段怒るわけでもなくむしろ上機嫌で言った。


 そして玲子はその部屋へと歩を進めた。一歩、黒い床へとつま先が触れた瞬間、カツンと鋭い音色が響いた。まるでピアノの旋律のように、玲子が進むたびにその音が鳴る。大門はその様子を圧倒されたように見つめていたが、それに気づいた玲子が部屋の中心にある椅子の傍らで手招きした。


 大門は床を見つめる。真っ黒だ。底無し沼のような印象を受ける。一歩踏み出せばずぶずぶと足首から呑まれていくような錯覚すら受けるほどの、黒。


「どうしたの? 早く来て。話ができないわ」


 甘い声で玲子が誘う。大門はその瞬間に、ぐっ、と歯をかみ締め覚悟を決めた。


 一歩、その黒い床へと足をつける。一歩目は意外と平気だった。何の変哲も無いただの床だと、少し安心する。しかし、二歩目。両足をその床についた瞬間、妙な浮遊感が大門の脳を直撃した。まるで何も無い空間に取り残されたような感覚だ。床を見ていられなくなって思わず天を見上げた。しかし天井もまた同じだ。一面の黒。自分の真上だけは、そうやって天井を見つめる自分の姿が逆さに映されている。


 大門は天井から視線を外し、目を閉じた。そしてゆっくりと真正面を向いて目を開ける。そこには玲子がいた。その傍らには机と本棚。天井も床も見ていられない大門は中心にいる玲子を見ながらでしか進めそうに無かった。


 玲子はそれが分かっているのか、大門のほうをじっと見つめている。仕方なく、大門は玲子のいる場所へと足元を見ないようにしながら進んだ。


 随分時間がかかって、やっと中心までたどり着くと玲子は背もたれのついた椅子を差し出し座るように促した。


 大門は警戒しながらもそれに座る。それと同時に玲子も大門の真正面の机に腰掛けた。ふたりはそれで黒と白の部屋の中心で向かい合うような形となった。

玲子は机の上のコーヒーメーカーから黒々とした液体をカップに注いでいる。そしてそれを大門に勧める。それを無言で受け取り一口、口に含んだ。


 苦くて熱い液体が胃に運ばれ、思わずうめき声をもらしそうになるが何とか耐える。玲子は大門と同じはずのコーヒーを何の感情も見せずに一口飲んで、カップを机に置いた。


「――さて、どこから話せばいいかしら」


 玲子は大門の目を真っ直ぐに見て言った。鳶色の瞳だった。


「あなたは何を知りたい? 言ってみて。答えられる範囲内なら、私は答えるわ」


 そう言われて大門は迷った。一体何を聞くべきなのか。ここで聞くべき優先事項はもちろんハルカのことだが、この女は大門自身のことにも詳しそうだ。いったいどこからどこまで自分のことが知られているのか、それを聞いておこうと大門は思った。


「どこまで知っているんだ? ハルカのことも、俺のことも」


「全てよ」


 あまりにも短く、簡単に告げられたその言葉に大門は一瞬相手が何を言っているのか分からなかった。


 全て。


 その言葉が大門の中に浸透していくに従って、それはありえない、と否定する論理的な自分がいる。

だが、その間にも玲子は言葉を続ける。


「あなたには理解できないでしょうけど、全てという言葉が一番理にかなっているのよ。ハルカのことについて私は全てを答えられる。あなたのことについてなら……、そうね。〝因幡悠斗〟なら八割、〝大門鉄郎〟になったあとなら完璧に語れるわ」


 大門はゆったりと腰掛けながら告げられるその言葉の意味が分からなかった。


 ――因幡悠斗なら八割語れるだと?


 その言葉に大門はかぶりを振って反論する。


「ありえない。あんたは見た感じ俺と同年代か、年上と見ても二、三歳だろう。それなのに俺が因幡悠斗のときまで語れるなんてことはありえないし、大門鉄郎になってからも俺は転々と居場所を変えてきた。そう簡単に知れるわけが――」


「因幡悠斗。一月十四日生まれ。血液型はA型、両親の名は因幡辰雄、因幡綾香」


 大門の言葉を遮って玲子が淡々と告げる。大門は繰り出される言葉の数々が自分を指していることが分かり、口をつぐんだ。


 玲子はさらに語る。


「十歳のときに事故に遭う。ガス爆発と報道された事故。それで両親は死亡。まだ息があった因幡悠斗を医師、宮崎勝也が執刀。それで因幡悠斗は一命を取り留める。一ヶ月入院した因幡悠斗はその後、親戚の間を転々としながら少年時代を過ごす。両親の不在からか次第に生活は荒み、いつの間にか交友関係が悪化。その過程である人物と出会い、現在の職業、偽造パスポート作りの請負人となる。その時に親類関係、友人関係全てを清算する。これは因幡悠斗の依頼を受けた殺し屋の手によるもの。そして因幡悠斗はその職に就くと同時に名を捨てる。――つまり、今のあなた。大門鉄郎がここで誕生する」


 最後に大門を指差して玲子が言った。


 大門は目を見開いて玲子を見つめていた。今しがた玲子が語ったことは全て真実だった。自分が誰にも明かしていない〝因幡悠斗〟と〝大門鉄郎〟の真実だ。それをまるですべて見たように語る玲子に大門は一種の恐怖すら抱いた。その恐怖は危機感に変わり、大門の手は自然と懐の銃へと伸びていた。


「どうしてそんなに知っている?」


 いつでも銃を出せるようにグリップをコートの下で掴みながら大門は訊いた。玲子はそれを見透かしながらも、今にも銃を取り出して突きつけそうな様子の大門に恐れを抱く様子は無い。むしろ余裕ありげに微笑んでいる。


「知っているものは知っているのよ。というよりも、知っていなくては手紙なんて出せないわ」


「……やっぱり。お前があの手紙を書いていたのか」


 低い声で大門が言うと、玲子は頷いた。


「ええ。きちんとミヤザキレイコと書いていたでしょう?」


 飄々とした様子で玲子は語る。その調子に大門はいい加減苛立っていた。


「何の目的で俺を追い回していた!」


 その苛立ちは言葉を荒らげさせる。しかし玲子の様子は依然変わらず落ち着き払っていた。


「追い回していたなんて嫌な言い方ね。それに最初は別に追い回そうと思って追い回していたわけじゃないわ。あなたがさっき言ったとおり、私はつい最近まであなたの存在をここまで詳しくは知らなかったんだもの」


 その言葉に一瞬呆気に取られる。


 最近まで存在を知らなかった?それは本当なのか。大門は苛立ちも忘れて尋ねていた。


「なに? それは一体どういうことだ」


 玲子はその言葉に対して、頬杖をつきながら答える。


「だから、最初のほうにあなたに手紙を渡していたのは私じゃなかったということよ。それにあなたが大門鉄郎になるまでの記録を集めていたのも私じゃない」


 思いもよらない回答に大門は絶句した。


 どういうことなのか。最初の手紙が玲子ではないとしたなら、誰が大門を追っていた〝影〟だというのか。


「……あまりふざけたことを言うと――」


「ふざけてなんかいないわ。これは事実よ。あなたを最初に観察していたのは私じゃない。私はその後を引き継いだだけ」


 その言葉に銃を出しかけていた手が止まる。踏みとどまった大門の思考に新たな疑問としてその言葉が刻まれる。


 ――引き継ぐ。


 それはつまり目の前の宮崎玲子の前に自分を観察していた人間が何らかの理由で自分の観察を彼女に託したということだ。だがそうまでしてどうして大門を観察したのだろうか。引き継いでまで自分を観察し続ける理由なんてあるのか。


「どういうことだ。その、あんたの前に俺を観察していた人間ってのは誰なんだ?」


 その質問に玲子はコーヒーを一口、口に含んで目を閉じた。その味に陶酔しているのか、はたまた過去を思い出しているのか大門には判別がつかなかった。


 やがて玲子は静かに目を開けて、呟くように言う。


「父よ」


「何だって?」


 玲子はカップを机の上に置き、大門を真っ直ぐに見据えて言った。


「あなたの監視を頼んだのは私の父、宮崎勝也。さっきのあなたの来歴でも言ったでしょう。十三年前のガス爆発のときの、あなたの執刀医よ」


 大門は玲子が何を言っているのか理解できなかった。宮崎勝也。名は覚えていなくても姿くらいなら思い出せる。優しそうな男性だった。両親を失った大門に優しい言葉をかけてくれたのを今でも覚えている。だが玲子はそんな人が、自分の監視をしていたのだと言う。それは大門にとって信じがたいことだった。 


 ――何を、言っているんだ。


 そう口にしようとするが、その前に玲子が先に言葉を発した。


「信じられないかもしれないけど、これは事実。十三年前のガス爆発。その時に父が行った、〝大いなる実験〟が、すべての始まりというわけよ」


「大いなる、実験……だと」


 呟きの意味も解せぬままに、玲子は妖しく笑んだ。

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