牢獄の対話
吸血鬼と人間。相容れぬ問答の行方は……。
教会の地下は昔、罪人を繋ぐ牢屋として使われていたらしい。
当時は西洋的な鉄の牢屋ではなく、日本式の座敷牢だったらしいが組織がこの土地に根を張ったときに、元々あった牢屋を改装して今のような冷たい鉄の牢屋にしたらしいことを秋瀬はこの時初めて知った。いや、そもそも教会の祭壇の下に階段があり、そこからこんな拷問部屋のように暗くじめじめとして日も射し込まない地下室があるなどということ自体が初耳だった。
そしてここで組織の諜報員達が持ち帰った吸血鬼への尋問が行われようとしていた。強化ガラスによって秋瀬達のいる側と吸血鬼のいる牢とは完全に遮られている。さらに秋瀬達のほうから吸血鬼の様子は見えるが吸血鬼の側から秋瀬達を見ることはできない。そういう仕掛けのマジックミラーになっていた。
そしてガラスの向こうでは今まさにその吸血鬼の再生作業が行われる。まず、頭を切り離した身体から衣服を剥ぎ取りそれの手足を牢屋に繋ぐ。そして頭を、その身体の切断面の上におく。もちろん、普通ならば切られた首が繋がるはずがない。だが、この吸血鬼の生命力は異常なほど強かった。首を切断面に押し付けた途端、一気に再生が始まったのである。まず骨同士が結合され、次に体組織の再生が始まる。そしてそれと同時に首の安定のために切断されたはずの皮が、綺麗に繋がれていく。そして一分も経たないうちに首は完全にもとの状態へと戻り、それを見ていた諜報員達は口々に叫び声を上げた。その中で秋瀬だけはその様子を無言で見つめていた。吸血鬼の再生能力は並みではない。それはよく分かっており、第二の脳の機能が生きているのならば自然なことだ。
その時、首の繋がった吸血鬼の身体が僅かに震えそして閉じられていた瞼がゆっくりと開いていく。青い眼が半分ほど開いたとき、やっと焦点が合ってきたのか顔を秋瀬達のほうへ向ける。その眼が秋瀬を捉える。
秋瀬はそれを見た瞬間、反射的に眼を逸らした。直視してはいけない、と思ったのだ。目の前の存在が吸血鬼だと分かっていても姿かたちは若い女。秋瀬の中の何かが――それは秋瀬が子供達と遊んだり、人間として物事を綺麗と感じたり心に留めたりするようなそういう何よりも人間的な何かが、尊厳を奪われた吸血鬼の視線を直視することに耐えられなかった。
だが吸血鬼は秋瀬を見たわけではないようだった。きょろきょろとまるで赤子のように周囲を見渡しているようだ。約一時間ぶりに身体と繋がって視力を回復したのだったらこういう風になるのも無理ないのかもしれない。
やがて吸血鬼は周囲の状況を把握したのか、秋瀬達のいるガラスの向こうを幻視するように、すぅと眼を細めると、くくくと笑ってそのまま項垂れた。
秋瀬はそこで尋問を試みることにした。マイクを手に取り、変声機のスイッチを入れる。組織の記録にはこれまで生きた吸血鬼と戦闘以外で話したというものはいない。ならばこれが組織にとって、いや人類にとって史上初の、生きた吸血鬼との対談だ。
秋瀬は緊張とともに生唾を飲み込み、そして言葉を発した。
「ごぎげんよう、吸血鬼。まずは君の名を教えてくれないか?」
秋瀬の声は何種類もの声が混ざり合った不確かな声となって吸血鬼の部屋に響き渡る。その声に吸血鬼は顔を上げた。息を呑みそうになるほどにその顔は美しい。牢屋の中の青白い灯が、その顔を照らし出す。
吸血鬼はその質問にすぐに質問で返した。
「他人に名前を問うときは、自分から名乗るべきではないのか?」
吸血鬼はそう言って口元に笑みを作った。秋瀬は吸血鬼からの意外な問い返しにしばし面食らっていたが、ごほんとひとつ咳払いをしてその質問に冷静に答えた。
「失礼。私の名は秋瀬という。私が代表して君に質問させてもらう。……と、これでいいか?」
吸血鬼はその問いに頷いた。
「結構だ。では私も名乗ろう。私の名はクインアハト。この街に侵入した吸血鬼のひとりだ」
「ひとり、ということは他にもいるということか。何人侵入してきている?」
「答えられない」
Q8はきっぱりと言い放つ。
「答えられない、とはどういうことだ」
それに秋瀬は低い声で質問した。
「答えたくない、ということだ。いや正確には、答えたとしてもそれは正しい解答にはなりえない、と言ったほうが正しいか」
Q8は面白がるようにくくくと笑った。それに対して秋瀬が苛立ちを隠しながら質問を続ける。
「ではその問題は置いておこう。次の質問に移っていいか?」
構わない、とQ8は言った。
「では君達の目的を教えてくれ。この街に来た君達の目的はなんだ」
「それも答えられない。こちらは、今答えるには適さない、と言ったほうがいいな。今質問した二つの問いは後に回してくれると非常に助かる」
飄々と、吸血鬼はそう言ってのける。秋瀬は奥歯を噛んで苛立ちを抑えこみ、さらなる質問を頭の中で構築する。
「ならばなぜ、大門鉄郎、いや因幡悠斗の家に行っていた? まさかこれも答えられないというのではないのだろうな」
「いや、それには答えても構わない」
Q8は秋瀬の問いに平然とそう答えて、話し始める。
「頼まれたんだ」
「頼まれただと? 誰にだ」
「私の仲間に、だ。いや、この言い方もまた適切ではないな。そうだな、適切な言葉を使うとすれば――私は私自身に頼まれた、と言ったほうが正しいかもしれない」
秋瀬はQ8のその言い方に疑問を持った。自分自身に大門鉄郎を殺すことを頼まれる――? それはどういうことなのだろうか。
「それは自分の意思で大門鉄郎を殺しに行ったということではないのか?」
「そう取ってもらっても構わない。だが私は心の底から大門鉄郎を殺したいと思っていたわけではないからその言い方もまた適切ではないが、この状況であなたの理解を促すためならばその言い方に甘んじても構わない」
秋瀬はQ8のその遠まわしな言い方に疑問と同時に憤りに近い焦りを感じていた。このやりかたで本当に吸血鬼から確かな情報が得られるのか、もしかすると自分の問い方が間違っているのではないかという焦燥が秋瀬の頭を占めていく。
「どういう意味だ。殺す気が無いのに殺しにいったとお前は言いたいのか?」
「ヒトがヒトを殺すのにだって昨今は理由なんて希薄じゃないか。なのにお前は吸血鬼の場合は理由が欲しいのか?」
Q8は口元に笑みを浮かべながら逆に秋瀬に問い返した。その言葉に秋瀬は苛立たしげに机を殴りつけながら立ち上がって叫んだ。
「今はそういうことを聞いているんじゃない! お前がどういった目的を持って大門鉄郎に接触したのか、それだけをお前は言えばいい!」
その怒声にQ8だけでなくその場にいた諜報員までも沈黙した。秋瀬はそんな空気を感じ取り、すまなそうに席についた。
「すまない。質問する側でありながら……」
秋瀬はマイクに向かって謝罪した。今、目の前の吸血鬼の機嫌を損なうわけにはいかないのだ。確かな情報を得るためにも冷静に向き合わなければならない。焦るあまりにそれを失念していたことを秋瀬は恥じた。
Q8はそれを聞いて、口元の笑みを消して真面目な顔をして言った。
「こちらこそ悪かったな。お前と平等に話すつもりだったのだが、いつの間にか言葉遊びになってしまった。謝罪しよう」
秋瀬はそれを聞いて驚いていた。吸血鬼が謝罪するなど、あるとは思っていなかったからだ。その動揺は周りの諜報員達も同じのようで部屋の中が俄かにどよめき始めた。
――もしかしたら目の前の女性は吸血鬼ではないのではないか。
そんな言葉すら出始める。秋瀬はそれを聞きながら、そのもしかしたらの可能性を試してみることにした。
「質問を続けよう。君は本当に吸血鬼なのか?」
その質問に諜報員達のざわめきが水を打ったように止まった。それを聞いた吸血鬼は最初、面食らったかのように向こう側の見えないガラスを見つめていたが、やがてその口元に笑みを作り始めた。
「なぜ、そんなことを聞く?」
「君は吸血鬼らしくない。我々が知る吸血鬼はもっと獣じみている」
秋瀬は正直に語った。Q8はその言葉でさらにおかしそうに笑う。
「確かに、我々の仲間には確かにそういう獣じみた奴もいる。だがそれを私に言ってどうする? 私は確かに吸血鬼だ。まぁ、正確に私を吸血鬼と断定する根拠は無いに等しいし、お前らが抱いている吸血鬼のイメージと私が異なるのは認めるがな」
それを聞きながら秋瀬はQ8の言い方におかしな点があることに気がついた。他人事のように自分のことを話すのだ。冷静に自己の感情を分析し、そしてその感情の問題点があれば補足説明を適切に行う。
これはまるで機械のなすことだ。だが、吸血鬼には謎も多い。機械のような自己分析が可能でも不思議ではない。
しかし秋瀬はそれでも疑問を捨てきれない。
それはどうにも解決できない違和感だった。言葉をはぐらかされているから、というだけではない違和感。まるで目の前にいる吸血鬼と対峙しているにも関わらず、秋瀬は別のものを相手取っているような気がしていた。それは感情を持った生物ではない何か。網を張って獲物を生け捕りにするときのような狡猾さに似ている。しかしその狡猾な生物自体ではない。狡猾な生物が張った網自体のような――。
「どうした? ほかに質問は無いのか。生きた吸血鬼との初対談なのだろう」
秋瀬が考えている間にQ8が言ってきた。その言葉で秋瀬は思考を中断し、額に手を置いて再度質問を考える。
だが、いまこの場で効果的な質問がどうしても浮かばない。どれを選んでも、狡猾な生物の張る網目のような何かに絡め取られているような気がするのだ。それは囲い込まれた逃げ場の無い場所にいつの間にか追い詰められているような感覚に似ている。どの選択肢もこの場では答えにはならない。
秋瀬はマイクのスイッチを切った。諜報員達はそれを見て、どうしたのかと秋瀬に言う。
「すまない。少し休ませてくれ」
諜報員達がその言葉に何か言う前に秋瀬はマイクを置き、壁際に立てかけておいたケースに入った神託兵装の剣を手に取り、部屋を出た。少し頭の中を整理する時間が欲しかった。
足早に地下からの階段を上がりそして教会から出たとき、無数の銀色が舞い降りてくるのが見えた。天から運ばれてくる調べのように緩やかに降りてくるそれは柔らかな雪だった。それを見て、子供達が喜ぶなと秋瀬は思った。子供達のことを考えると先ほどまで荒んでいた秋瀬の心の中心に暖かなものが戻ってくるのを感じる。秋瀬は優しげに降る雪を見つめながら子供達がこの雪の中で遊んでいる景色を想った。
きっと男の子達は真っ先に雪合戦をするだろう。いや、もしかしたら雪だるまが先かもしれない。
皆が雪遊びをしている間、自分はかまくらを作ろう。皆が入れるような大きなかまくらを。そこで緩やかに時を過ごそう。ただ雪を見ながら皆でいられればそれでいい。戦いを遠く忘れて、遥か向こう側にあるはずの平和を――。
その時、視界の端で中庭のほうを急ぎ足で歩いていく何人かの姿を見つけた。その中に見知った人間を見つけ、秋瀬はそちらを注視した。
どうやら六人いるらしい。その中にはアルヴァとジョシュアもおり、白装束ふたりが付き従っている。そしてその後ろに負傷した女を抱えた男がついていっている。
秋瀬はそれを見て不審に思った。どうしてこんな非常事態にアルヴァは中庭に向かうのだろう。中庭には何も無いはずなのに。しかも何をそんなに急いでいるのか。
秋瀬は何か胸騒ぎのようなものを感じ、足音を殺してその後をつけていった。




