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勝龍寺城の天守にて、明智光秀は激しい焦燥感に突き動かされ、狂ったように部屋を行き来していた。

(じり貧だ……このままでは、確実に干殺しにされる……!)

目の前に広がる光景は、光秀の精神を完全に打ち砕くに十分だった。

南からは、既に山崎を突破したと聞く羽柴秀吉の数万の大軍。そして信長公の乳兄弟たる池田恒興の鋭兵が、怒涛の勢いで押し寄せている。それだけではない。これに父の仇討ちに燃える織田信孝の軍勢が、現実にその禍々しい旗印をなびかせて布陣を完了していた。

さらに光秀の息の根を止めたのは、東の近江方面から織田信雄の大軍が明智の領国へ容赦なく侵入しているという絶望的な一報だった。

「南から秀吉、恒興、信孝……そして東からは信雄……。これほど完璧に退路を断たれ、包囲されるとは……!」

如何に堅固を誇る勝龍寺城と言えども、これほどの「四方からの挟撃」を受けては、籠城したところで遠からず兵糧が尽き、なぶり殺しにされるのは必至。もはや一刻の猶予もなかった。

(座して死を待つくらいならば、乾坤一擲の打開策に打って出るしかない。……勝機は、どこにある?)

光秀は血走った目で机の上の地図を睨みつけ、極限の思考の末に、ひとつの結論を導き出した。

(勝龍寺城を棄てる。我が本拠たる近江の坂本城へ退却するのだ!)

そして、そこからが光秀の逆転のシナリオだった。

坂本へ退いた後、そのまま東から迫り来る「織田信雄」の軍勢を迎え撃ち、これを電撃戦で完膚なきまでに叩き潰す。

信雄――その名は光秀にとって、最大の好機に見えた。

在りし日の織田信長が存命の折、信雄は伊賀攻めで無策極まる大失態を演じ、実の父親から「親子の縁を切るぞ。」とまで激怒された暗愚な男である。西国で毛利家をも圧倒し、いまや怪物となりつつある羽柴秀吉に比べれば、信雄などいくらでも与し易い相手に過ぎない。

(そうだ。秀吉や池田の化け物どもとこの狭い城でまともに殴り合うのは愚策。だが、あの無能な信雄が相手ならば、坂本城の防衛力と我が明智の精鋭をもってすれば必ず勝てる! そこで信雄を討ち取り、近江を手に入れれば……再び秀吉に対抗する足がかりができるはずだ!)

「生き残る道は、東にある……!」

光秀の顔に、狂気混じりの決意がみなぎった。すぐさま「城を棄てる! 坂本へ退却するぞ!」と全軍に密令が下され、勝龍寺城の内部は退却のためのあわただしい熱気に包まれた。

その頃、城外の池田軍本陣。

夜の闇に紛れ、勝龍寺城の灯りが不自然に消え、城内から微かな騒めきが漏れ聞こえてくる「異変」に、池田恒興は素早く気がついた。

「おい……久秀。城の様子がおかしいぞ。松明の数が急に減った。光秀の奴、まさか夜襲でも仕掛けてくる気か!? 突撃してくる前に、こちらも迎撃の陣形を組まないとヤバいって!」

現代人ゆえのビビリ全開で、慌てて兵を動かそうとする恒興。

しかし、その肩を、冷ややかな手が見事に制した。

「……動いてはなりませぬ、恒興様。静かに見守るのです」

暗闇の中からぬっと現れた松永久秀は、珍しくドヤ顔の笑みを消し、静かに城を睨みつけていた。

「なんでだよ! 逃げられるか、攻め込まれるかの瀬戸際だぞ!?」

焦る恒興が問いかけると、久秀はただ一言、冷徹な響きを帯びた声でこう告げた。

「――光秀の武運は、尽きました。」

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