転生
「殿! 殿、お目覚めになられましたか!」
大音量に私は跳ね起きた。目の前には髭面の渋いおじさんが。涙目で私の手を握りしめている。
周囲はコンクリートの天井ではなく、立派な木造の梁と畳。
「……ここ、どこ?」
「何を寝ぼけたことを! ここは我が伊丹城にございますぞ!」
おじさんは大真面目。伊丹城? 兵庫県の?
いや、それより自分の声が妙にドスの効いた低音なのが気になる。恐る恐る手元を見ると、毛深く、無数の刀傷が刻まれた筋骨隆々の腕があった。
(えっ!俺の手って、こんなにゴリラみたいだったっけ……?)
姿見の代わりに置かれた水盆へ駆け込み、水面に映る自分の顔を覗き込む。
そこにあったのは、三十代半ばほどの。顎ヒゲを蓄えた絵に描いたような武骨な戦国武将の顔だった。
「だ、誰だこれ……!?」
「殿、やはりまだ意識が混濁されておいでか。私は家老の伊木忠次にございます。殿のお名前は池田恒興様! 織田家が宿老たる、あなたご自身にございます!」
池田恒興。
脳内の歴史知識に問い掛けると織田信長の乳兄弟。清洲会議の四宿老の一人で、最後は小牧・長久手の戦いで討ち死にする、あの渋すぎる中堅武将か!?
なぜ私が!混乱する私を置き去りにして、部屋の障子が勢いよく左右に跳ね上がった。
「父上! 一大事にございます!」
飛び込んできた若い武者が、床に深く額をこすりつける。息子の池田元助と輝政だ。
「京にて明智光秀が謀反! 本能寺及び二条御所が襲撃され、主君・信長様、ならびに信忠様の安否は不明……おそらくは、いずれも厳しい状況にあるかと!」
「……は?」
思わず、素っ頓狂な声が出た。
本能寺の変。よりによって日本史最大の政変。京からここ伊丹城までは目と鼻の先だ。
(終わった。転生即デッドエンドかよ。どうする、どうすればいい!?)
中身はただの現代人である私は、恐怖のあまりガタガタと震え出した。
しかし池田恒興の肉体はあまりにも強面だ。その恐怖の震えは、側から見れば「主君を失った怒りと、敵討ちを前にした武者震いしている姿」にしか見えなかったらしい。
伊木忠次と、息子の元助と輝政が、不敵な笑みを交わし合う。
「……ご安心召されよ、父上。殿が気絶されている数時間の間に、我らで手を打っておきました」
元助が顔を上げ、自信に満ちた目で言った。
「すでに摂津の国人衆……高山右近、中川清秀らに対し、『池田に味方せねば即座に叩き潰す』と圧力をかけ、すべて我が陣営に囲い込みました。いつでも一万の兵を動かせます!」
「……え?」
仕事が早過ぎる。私はまだ一言も「戦う」なんて言ってないぞ。
「これより光秀の動向を探ります。殿はどうぞ、お体をお休めくだされ!」
そう言って、優秀過ぎる家臣たちは嵐のように部屋を去っていった。
一人残され、どっと座り込む。このまま大人しく「中国大返し」で戻ってくる羽柴秀吉の配下に入れば、史実通り生き残れるはず。よし、秀吉を待とう。
そう結論づけ、ふぅと息を吐いた時だった。
「……素晴らしい家臣をお持ちだ。これならば、羽柴の猿の首を取ることも容易い。」
背後から、誰もいないはずの部屋の隅から、低く艶のある声が響いた。
心臓が跳ね上がる。振り返ると部屋の影に一人の老人が、まるで最初からそこにいたかのように平然と座っていた。
仕立ての良い着物をまとい、白髪交じりのあごヒゲを蓄えた、異様な色気を放つ老人。
「な、誰だお前! いつからそこに――!!」
叫ぼうとした私の言葉は、老人の顔を凝視した瞬間に喉に張り付いた。
見覚えがある。歴史の教科書、あるいは戦国ゲームで嫌というほど見た顔。
信長を何度も裏切り、東大寺大仏殿を焼き払い、最後は信長が欲しがった名茶器『古天明平蜘蛛』に爆薬を詰め込んで爆死したとされる、戦国屈指の梟雄。
(いや、おかしい。本能寺の変は1582年。こいつは1577年に死んでるはずだ!)
「お初にお目にかかります、恒興殿。」
老人は冷酷かつ妖しい笑みを浮かべ、誰もが聞き惚れるような渋い声で囁いた。
「私の名は……松永久秀。さあ、織田信長なき今、我らで天下を奪いに行こうではございませぬか。」
歴史のバグが、目の前で笑っていた。




