058⚫️ノストラ・騙す
プロ野球の優勝予想を外した解説者が、潔く丸坊主になりファンに詫びる光景を見たことがある。そこには、言葉に責任を持つ勝負の世界の清々しさ(?)がある。一方で、経済評論家という人々はどうだろうか。
例えば、鴨倉タケシさんはバブル並みの好景気が到来すると声高に公言していたが、現実の景気は冷え込んだままであった。
しかし、鴨倉さんを含め経済評論家が己の非を認めて頭を丸めることはない。彼ら彼女らは「円安が想定を超えた」「外部環境が変化した」と、外れた理由を後付けの理屈で上書きするだけだ。経済は複雑だという盾を使い、予想が外れた事実を曖昧な分析の中に埋没させてしまう。
この「言いっぱなし」が許される言論空間は、責任を取るスポーツの世界と比べれば、あまりに無責任で不誠実であるかのようにに映る。
的中すれば予言者として、外れれば新たな危機の解説者として居座り続ける。そんな「予言のプロ」たちの言葉に、我々は過度な期待を寄せるべきではない。所詮は高みの見物のエンターテインメントだと割り切り、醒めた目で眺めるのが正解なのだろう。
「だからね、言ったこと、やったことには責任がともなう世界にしたいよね。」
「そうだよな、エイミー。」
「それじゃあ、ミサヨちゃんとココアちゃん、’ふたりともオレが守る’、って言ってた責任に取り方を考えておいてよね、アキラ。」
「うぇえ・・・」




