そうなのか……?
小学校低学年くらいの夏。たぶんお盆で、母の実家へ行ったときの記憶だ。
俺は家族と墓参りに来ていて、とても暑かった。墓石に水をかける大人を見ながら、自分にもかけてほしいと思っていた覚えがある。
大人たちに倣って形だけのお参りを終え、さっさと帰ろうとしていたら、祖父に引き留められた。
「お地蔵様に手を合わせたか?」
言われてようやく、墓石の横の地蔵に意識が向いた。墓参りには何度も来ているが、いつも慌ただしい空気の中、適当に済ませていたから見落としていた。
そもそも、これは何のためにあるのだろう。なぜ、地蔵がある墓とない墓があるのだろう。
純粋な疑問を投げかけると、祖父はそっとその理由を教えてくれた。
そして、俺の知らなかったもう一つの事実を明かした。
「お前には、生まれてこられなかったきょうだいがいたんだよ」
「そうなの?」
驚く俺に祖父は続けた。
「ああ。まだとても小さいうちに、お母さんのおなかの中で死んじゃったんだ」
そんな話、両親は一度も口にしたことがない。今なら親の気持ちもわかるけれど、ずっと“第一子”として育てられてきたこともあって、当時はかなりのショックを受けた。
「かわいそう……」
「そうだな。もし生きてたら今頃、高校生か。きっと、いいお兄ちゃんかお姉ちゃんになってたろうな」
それを聞いた途端、俺は無性に悲しくなって、地蔵の前で泣いてしまった。
「よしよし、泣くな泣くな」
祖父は俺の頭を撫でながら言った。
「お前はきょうだいの分までたくさん遊んで、勉強して、元気でいる……。それから、こうして手を合わせて、『一生懸命頑張るから、見守っていてください』って伝えてあげなさい。それが供養になるんだ」
俺が目をこすりながらうなずくと、祖父は「おじいちゃんがお墓に入っても、お参りに来てくれな?」と縁起でもないことを言う。
不安が押し寄せ、「そんなこと言わないで!」と泣きながら怒る俺を見て、祖父はカラカラと笑った。
「さ、行こう。次に会うのはお彼岸だな。少しは涼しくなってるといいんだが」
そのとき俺を包んでいた、蝉の声、草いきれ、遠くの潮騒。
参道を進む親族の足音、祖父の笑顔と大きな手。顔をつたう汗と鼻水、涙。
さまざまなものが思い出され、最後に浮かんだ“陽炎に揺らぐお地蔵様の微笑”――それが目の前のオムカエさんと重なった。
心臓の鼓動がうるさいくらいに速くなる。
まさか。
「そうなのか……?」
意図せず踏み出した右足の下で、床がギィと軋んだ。
「あなたは、俺の……っ」
オムカエさんは答えない。ただ、黙って目を細め、呆然とする俺を見つめている。
何か言わなければと焦れば焦るほど、俺の言葉は形を成さなくなっていく。
「そういえば――」
すいとオムカエさんの視線が窓へと移る。
「――もうすぐお彼岸でしたな」
彼の視線の先は、俺の実家がある方角だ。眼下に広がる街の明かりの先には黒々とした山々がそびえ、そのもっと向こうには両親の住む家が、そして祖父母の眠る墓がある。
ざわりと胸がうずいた。
「ここで訊いときたいんですがね」
静まり返るキッチンに、オムカエさんの声が響く。
つられてそちらに目をやると、オムカエさんの手には四角いチョコレートがあった。
「もし今、“道”を選べたら、どっちにします?」
言いながら、彼が作業台の空きスペースにチョコレートを2つ置く。1つはきなこもち、もう1つはいちごゼリーだ。
「ジブンと一緒に逝きますか? それとも、ゆるりと生きますか?」
俺はじっと2つのチョコを見る。
生きていてもしょうがない。
何をしてもうまくいかず、毎日ただ息をしているだけ。俺の人生はずっとつまらないまま過ぎていくんだと思っていた。
でも、今日の巡り逢いでわかったことがある。ちょっとしたことで意外とワクワクしたり、笑ったりできる“心の余白”がまだ俺にも残っていたんだ。
それに――。
『お前はきょうだいの分までたくさん遊んで、勉強して、元気でいる……』
『おじいちゃんがお墓に入ったときも、お参りに来てくれな?』
忘れていた道しるべを思い出せたことで、俺の気持ちは驚くほどクリアになった。
何かが劇的に変わったわけじゃない。どうしたらいいかも相変わらずわからない。
だけど、なんとなく過ごしていた日々の中に、楽しみを見つけに行くのも悪くないんだと気づいた。
「きなこもちは、譲ったものですから……」
俺はあの日と同じように指先で目頭をぬぐいながら、いちごゼリー味のチョコを手に取った。
「こっちにしますかね」
「ですかー」
オムカエさんがきなこもちのチョコをつまみ上げた次の瞬間、彼の端末が小さく震えた。
通信が戻ったらしい。
「おや? システム、直ったみたいです」
「そうですか」
このタイミングで、か……。
皮肉な話だが、決まっていたことなら仕方ない。
“猶予期間”のおかげで、人生最後の時間が充実したことだけでよしとせねばな。
「さて、と――」
俺が小さく息を吐いたとき、オムカエさんはスマートフォンのようなものを眺めながら言った。




