第45話 魔術を使えるということ
とはいえストーンランク、すなわち初級冒険者に過ぎない二人では常識的には狂奔のミノタウロス相手に勝ち目などありようはずもない。
そもそもミノタウロスというモンスター性質自体が、まぐれ勝ちなど望めないタイプの敵だからだ。
頑強な肉体による防御力、凄まじい怪力と斧による攻撃力、人間の数倍サイズの巨体による敏捷性、そのすべてを兼ね備えた怪物である。
相対する冒険者が持ちうる優位性は、装備の質や数の暴力である。現状のテイルとニアにはどちらも望むべくもなかった。
そんなミノタウロスの上位種、強化版と呼ぶべき狂奔でも同じことが言える。
むしろもっと条件が厳しいだろう。
相手は中堅冒険者と高ランク冒険者とを選別する実力の壁である。
事前準備を万全にし、そのうえで挑んだ冒険者パーティの培ってきた実力が敵を上回っていれば倒せるし、そうでなければみじめに殺されるしかない。
だからこそ地下十階以降に進めた証として――銀級以上の冒険者は、ギルド内外から別格として扱われる。
「作戦会議をしましょう」
と、テイルは真剣な顔で告げた。
一度戦端を開いてしまったら悠長に相談している暇はないから、狂奔がこちらに気づいていない今だけがそのチャンスだと。
ニアも賛同した。
だが、作戦会議をしたくらいで倒せる敵なら誰も苦労はしない。
多くの冒険者がそこを境に冒険を――人生を終えた。
準備万全で挑んですら勝てなかった先達が無数にいると二人は知っている。
「狂奔の弱点とか、なにか有効な情報が?」
「弱点ってわけじゃないですが、行動パターンというか、突破者の話の又聞きみたいなものはあります。基本的には総合力必須ってオチではあるんですが」
「敬語敬語。それなら作戦会議って何をするの」
「僕たちは互いができることをまったく知らないから、まずそれを教え合うところからかな。たとえば……ニアは一応剣は振れるみたいだけど、その細腕で、しかも僕と同じくらいの背丈だから、ミノタウロス相手に有効打にはならないよね」
この最悪の状況で、二人は手持ちの札の組み合わせだけで勝ちの目を拾うしかないのである。
「むっ。きみよりぼくのほうが背は高いよ」
「ほんの少しだし」
「あ、気にしてるんだ?」
テイルは答えず、話を続けた。
「言いたくないことは言わなくていい。ただ、抱え落ちはやめよう」
「抱え落ち? どういう意味?」
「ええと、せっかくピンチを打開できる武器とか切り札を持っていたのに、うっかりそれを使い忘れて死ぬのは馬鹿らしい、ってこと意味です」
「ふうん。聞いたことない言い回しだけど、なるほど」
ニアが不思議そうに首を傾げた。
最後にですます口調に戻っていたが、今度は指摘しなかった。
言葉の意味より、説明するときに慌てた様子の方が気にかかったらしい。
より深くへ、より先へ。
実力と経験を積み重ねた冒険者か、強さや未知を求め続ける狂人、あるいは途方もない天才だけが、その壁の向こう側へと突き進むのだ。
というわけで、サルカーニャの冒険者の大半は、自分の才覚を自覚し、地下九階以降に進むのを諦めるものも多かった。
そこまで進めれば充分稼げるし、一廉の冒険者としての実力も認められる。
「では言い出しっぺの僕から」
テイルは充分にもったいぶって、端的に口にした。
「魔術が使える」
「へー、まじゅつが使えるんだ。それはすごい……えっ!?」
ニアが一度頷いてから、目を見開いた。あまりにも想定外だったらしい。
疑いの目を向けられても、テイルは不満そうな顔をせず話を続けた。
「あのミノタウロスにどこまで通じるかは未知数だけど、牽制くらいにはなると思う」
「いま魔術って言った!? テイルって魔術師だったの!?」
まだ信じていないようだが、気持ちはわからなくもない。
魔術というものの特製、難しさに詳しいからこそ出る反応だからだ。
テイルは首を横に大きく振った。
「僕は魔術師じゃない」
「でも」
「いくらか魔術が使えるだけで、本物の魔術師ではないです」
「む、距離を取られた。年齢に見合わない知識量と落ち着きだし、なにかありそうだと思っていたけど……そっかそっか。テイルは魔術が使えたんだ。それなら地下二階くらい手ぶらで来ても、そう危ないことにはならない。なるほどね」
ようやく飲み込めてきたのか、ニアはだんだんと信じる顔になった。
それから、本当に余計なお世話だったね、と自嘲をこめて少し笑った。
テイルの告白が事実なら、子供扱いは怒るだろう。
自分の足で立っている冒険者相手に、お前は守られるだけの子供であると侮辱したようなものだった。
ニアがあらためて頭を下げると、テイルは肩をすくめた。
「怒っていたわけではないです。呆れてはいましたが」
「そんなあ……」
「僕はわりと好きですよ。見た目だけで侮ってくれるひと」
「……うっ、いじわるだ」
魔術師は、冒険者のなかでは特別視されるだけの理由がある。魔術が使えるという触れ込みだけで、高名な冒険者パーティに勧誘されることもある。
一概に魔術にも魔術師にも、ピンからキリまであるのだが、あまり詳しくないと魔術というだけですごいと思ってしまいがちである。
テイルが魔術師を標榜しないのは、本物について、きちんと理解しているからなのだろう、とニアは得心した。
「あと、謝るなら、むしろ僕の方かもしれません」
「え、どうして?」
「僕とミリーさんの話にニアが聞き耳を立てていなかったら、こんな異常事態に巻き込まれていなかったと思われるので」
敬語はやめようと言っていたのに、わざわざ口調を戻した意図を考えた。
一瞬だけ混乱し、それからはニアは、テイルをまじまじと見つめた。
すごい高度な皮肉に聞こえたし、たぶんその意図もあったと気づいた。
「盗み聞きして申し訳ありませんでした! 全部ぼくの自業自得だよ! というかテイルって年齢誤魔化してない!? 一番刺さる言い方選んでるよね!?」
「……あはは」
「え、ホントに?」
「まあいいじゃないですか」
「そうやって誤魔化されるの本当に怖いんだけど」
あからさまにテイルは目をそらし、ついでに話もそらした。
「冒険者の本登録も規則上は十二歳からってことになってるけど、あんなの自己申告ですからね。まあ、たとえば孤児だったりすると、自分の年齢とか誕生日とか分からないから厳密にできない、って理由もありますが」
「もしかして本当に……え、だとしたら、そういうこと!?」
サルカーニャのダンジョンが初心者向けと揶揄されるのは、《狂奔》のミノタウロスに挑戦する者が近年では大幅に減ったからである。
地下十階以降に進もうとさえ考えなければ、このダンジョンは本当にリスクが少なく稼げるのだ。
それこそ地下一階に、冒険者見習いの子供が大勢いる理由でもある。
階層を進むごとに一段階ずつ強くなるモンスターと、緩やかに難易度が高くなっていく迷路やトラップ。
大きな怪我もなく地下九階まで進めたのなら、その冒険者にはもう余所のダンジョンでも充分通用する実力が身についている。
「……あー。そっかそっか。それを先に言われちゃったら、ぼくも明かすしかないってことか。なるほど、テイルは本当に頭がいい」
「なんのことだか」
「いいよ。どうして気づいたと言うか、よく知ってたね……もしかして、ぼくより詳しいのかな。その手の話にも」
しかし、自分に才能があると勘違いして無謀にも《狂奔》に挑み、無惨に散っていった若い冒険者の数は数知れずだった。
その苦い経験があるから、サルカーニャの冒険者ギルドも、先輩冒険者たちも情報公開をいとわなかった。
狂気じみた情熱や実力があるものだけが、地下十階の試練に挑めば良い。
それ以外の勘違い野郎は、わきまえろ。
基本的に大事な情報は抱え込み、他人には教えたがらない冒険者が《狂奔》やそれにまつわる話だけは気前良く教えてくれる。
それは、試練を超えた一握りの存在への憧れであり、尊敬であり、そして狂奔越えに失敗した知人友人への哀歌である。
「きみも気づいていた通り、ぼくは貴族に連なる出自なんだ。ギルドから特別扱いしてもらったのも、その通り。とはいえ、年齢は誤魔化してないし、試験もちゃんと受けたけどね」
「ええっ、そうだったんですか。まったく気づいていませんでした」
「棒読みがひどいよ。だからさ、敬語はもういいよ。爵位持ちでもないし、なんでもないぼくは、頭を下げてもらえるほど偉くもなければ立派な功績もない。単に貴族の家に生まれただけの、見ての通りの放蕩者だもの」
テイルはすごい顔をした。文句と、不満と、悲しみと、憐憫の、どれでもありどれでもない表情に、ニアは一瞬言葉を失った。
自分のしゃべった内容のなにかが彼の感情に影響したのだろうが、謝るのもなんか違うな、と小さく笑って済ませた。
「で、魔術が使えるってことは、実はテイルも貴族出身だったりする?」
「言いたくないことは」
「言わないでいい。そうだった。ならぼくも詳しいことは言わないし、聞くこともやめておこう。でもテイルの考えは少し分かった。つまりぼくの使える手札――得意な魔術について詳しく明かせって意味だよね?」
テイルはにこりと微笑んだ。
ニアは目の前に佇む、なんだかよくわからないがいろいろなことに通じている相手を疑いそうになるのをこらえた。
自分とそう変わらない年齢のくせに、知識の出どころも、態度も、ところどころに透けて見える価値観や判断基準も、領内で見られる子どもとは異質過ぎる。
彼も自分と似たような境遇なのだろうか、とニアは一瞬考えた。
疑おうと思えばキリがないのだ。そして、そんな状況でもない。
手順を踏むのは、大事なことだ。
先程の皮肉も、貴族によくある迂遠な言い回しの一種と思えてきた。
お互いの事情には目を瞑って、まずは生き延びるために協力し合おう、というメッセージなのだろう。
たぶん。きっと。
「魔術師がすべて貴族ではないが――」
「――どんな貴族も、魔術を使うことはできる、だったっけ」
よく言われるフレーズをテイルが語り、ニアがあとを引き継いだ。
この王国における貴族とは、凄まじい功績を挙げた高名な魔術師を祖に持つ、その尊い血や魔術を受け継ぐ存在とされている。
「でもさ、テイル。こういう場面で魔術が使えるって公言するのは、自分は貴族ですって言うのとほとんど一緒じゃないかな」
「一応、ニアの勘違いを訂正しておきます。冒険者のくせに自分は魔術師ですって名乗るのは、貴族じゃないって表明しているのとだいたい一緒ですよ」
「え!?」
ニアの言葉は、実態は逆であると真正面から否定されてしまった。
魔術が使える冒険者は一目置かれる。
と同時に、面倒ごとの原因になったり、本人のせいでなくとも厄介なトラブルを引き寄せやすくもなる。
遠距離大火力、範囲攻撃、索敵と、魔術の用途は多岐にわたるがゆえに、冒険者として活動するような魔術師は引く手あまただ。
「冒険者なのに魔術師を名乗る連中は、基本的にモグリですよ」
「もぐり? 偽物ってこと?」
「そもそも魔術を使えない詐欺師もいれば、使えても火球一発だけとか、まともに敵を狙えなくて味方ごと巻き込むやつとか……ああ、もちろんちゃんと魔術を使いこなせる冒険者もなかにはいますが、そういうひとほど魔術師とは名乗りません」
テイルは嘆息しつつも、冒険者における自称魔術師の実態について語った。
ニアには理解できないようだった。
「ええっ、なんでそうなるの!?」
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