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AIに支配された私をあの人が変えてくれた  作者: 亮誠翔


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第1章 誰かの手で作られたもの

生成AIが当たり前のちょっと未来の世の中を想像して描きました。

 天音凛は目覚ましの音で目を覚ました。何時何分か確認することはない。凛の睡眠状況とその日の予定をAIエージェントが考慮して最適な時間にセットしているからだ。

 クローゼットを開くと、白いブラウスと青いジーパンに、シンプルな一粒ダイヤのネックレスが前に出てきた。凛は何も考えずそれに着替えた。いつも通りの朝。

 リビングに行くと、母がテーブルにいた。左手にグラス、右手は空中に浮かぶインターフェースの上を滑っている。画面には英語が混じったテキストが流れている。朝からクライアントとやり取りしているのはいつものことだった。

「おはよう」

 凛が声をかけると、母は画面から目を離さないまま「おはよう」と返した。

「お父さんは?」

「昨日からシンガポール。金曜に戻るって」

 父が家にいないのは珍しいことではなかった。月の半分は海外で、家にいるときも書斎のドアが閉まっていることが多い。それでも誕生日には贈り物が届くし、ちょうど良いタイミングで父からのメッセージも届く。まあ、全部父のAIエージェントが自動で贈ってくれているのだけど。

「今日は何か予定あるの」

 母が画面を操作しながら訊く。凛は手元の小型デバイスから映し出されたスケジュールを確認した。会話を聞いて自動で欲しい情報を映してくれるAIエージェント。これ無しでは家族との会話もおぼつかないな、凛はそんなことを考えながら答えた。

「ブランチと、午後はフリー。夕方に美容の予約が入ってるくらい」

「いいわね、楽しんで」

「うん」

   *

 ブランチの相手はサラ。三ヶ月前にエージェントがマッチングした友人で、凛と同じような生活をしている。

 レストランは表参道の再開発エリアにあるイタリアンの店だった。きっと今の二人に最適なお店なのだろう。

 席に着くと、テーブルには二人分のサラダとラザニアがすでに並んでいた。凛とサラのエージェントが事前に頼んでおいてくれたのだ。

 何も考えず、目の前の食事を口にしていると、

「これ可愛いね」

 サラが凛の首元を見て言った。凛は少し驚きながら指先でネックレスに触れた。サラが手元のデバイスを見ずに話題を変えたのは初めてだったからだ。

 凛は思わず自分のデバイスを確認した。そこには返答案がいくつか出ている。

「嬉しい、これお気に入りなの」

「ありがとう。褒められると余計好きになる」

「ちょっと照れるけどありがとう」

 いつもなら迷わず一番上の文章をそのまま言う。でもなぜか、今はそうする気になれなかった。

「いつ買ったかな」

 凛は思ったことをそのまま口に出してみた。

「数年前じゃない?私も一時期、似たようなのを薦められたような気がする」

「そうなのかな。いつ届いたのかも、前にいつ着けたのかも覚えてないな」

 サラは「分かる」と笑って、話題はすぐに移った。凛もそれに合わせて、手元のデバイスを見る元のスタイルに戻した。

 旅行先の話、スキンケアの話。エージェントが提案してくれる話題も返答案も完璧に思えた。サラとの1時間半のブランチは何事もなく終わった。

   *

 旅行はエージェントの提案だった。

 行き先は日本海側の小さな港町で、凛は特に提案の理由を考えることもなく承認して、列車に乗った。

 車窓の景色が見慣れた東京の高層ビルからだんだん自然に変わっていく。

 港町の駅は小さかった。自動タクシーはこのエリアには無いようだった。街を歩いても、デバイスにエージェントの推薦がほとんど出てこない。

 ホテルに向けて、エージェントの提案ルートを歩いていたとき、横道が目に入った。石畳の細い路地が、建物の隙間を縫って奥へ続いている。推薦ルートには入っていない道だった。

 普段なら通り過ぎる。だが凛は、何となく曲がってみた。

   *

 路地の奥に、小さな建物があった。

 古い木造で、壁には潮風に褪せた青いペンキの跡が残っている。屋根瓦の端に苔がついていて、軒下には使い込まれた木箱がいくつか積まれていた。

 窓が開いていて、中から金属が擦れる音が聞こえてくる。途中で止まったり、速くなったり、また静かになったりする。呼吸に似たリズムがあった。

 看板はない。ドアが半分だけ開いている。中を覗くと、作業台の前に男が座っていた。

 白髪混じりの短い髪。日に焼けた首筋。手元には小さな金属の塊と、見たことのない形の道具がいくつか並んでいる。

 男は小さな爪のような道具で、金属を少しずつ削っているようだった。男の指が動くたびに、金属の表面から薄い光の粒が飛んで、空中に消えていく。

 凛はそれをただ見つめていた。

 どれくらいそうしていたのか分からない。

 男がふと手を止めて、顔を上げた。目が合ってしまった。

「……すみません、開いてたので、つい」

 凛が言うと、男は特に驚いた様子もなく、小さく頷いた。

 それから視線が凛の首元に移って、わずかに目を細めた。

「そのネックレス」

「え?」

「見覚えがあるな。留め具のところ、ちょっとだけ左に寄ってるだろう」

 言われて指で確かめると、そんな気がしなくもない。

「俺が仕上げたやつだな」

 手招きされて近づいた凛のネックレスを確かめて、男は言った。

「機械だとこの位置にはずれない。手でやると利き手の側にどうしても少し力が偏るから、こういう癖が出る」

「作ったんですか、これを」

 凛は驚いた。自分が身につけているものを、誰かが作ったなんて考えたこともなかった。実際、服も食事もAIロボットが作っているはずだ。人が作ったものなんて、超高級ジュエリーくらいだと思っていた。

「全部じゃない。今じゃAIがデザインも加工もやってくれるからな。俺がやったのは最後の仕上げだけだ。磨いて、留め具を閉じて、全体を確認して終わり」

「でも、手で」

「ああ、この手でな」

 男はそう言って、視線を手元に戻した。

 会話が終わったのかどうか分からなかった。ただ、男の手がまた動き始めて、金属を擦る小さな音が部屋に戻ってきた。

 凛はまだ立っていた。

 指先はネックレスの留め具に触れたままで、その小さなずれの感触が、爪の先から手のひらの奥まで、妙にはっきりと伝わっていた。生まれて初めての感覚だった。


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