第一章 考え
「やれやれ、なぜこんな雨の中で散歩をせねばならんのやら。日も出ていないのに、これでは」
少女は傘を持ち、ゆっくりと歩き出す。
「はあー……。硝煙の匂い……。寂れた景色。相も変わらず。どれを取っても嫌な所だ」
少女は鬱屈な表情のまま散歩を続けた。
「酷い雨じゃ……。金属を腐敗させおって……息も吸えたものではない」
思わず鼻を覆いたくなる。この地の特有の酸性雨が、あたりの金属を腐敗させ、腐ったような匂いを出している。
それでも少女は歩き続けた。
機械や工場の煙だけがそこにある。
「おや……」
すると、目の前に一人の人物が目に入る。
「お主……。怪我をしておるのか」
血にまみれた男は、今にも息絶えようとその場から立つことも出来ないようだった。
「う、……」
喋ることが出来ないまま、男は呻き声を上げるだけだ。
「運が悪いのか良いのか……妾がここに来たのは……これも定めか」
小さな少女は、そのまま歩み寄ると、身を屈めて男を覗き込む。
「ふむ……。背後への致命傷。誰かを庇ったのか。まったく……。お人好しじゃのう。この地で気を抜くことは死を意味する」
少女はそのまま話し始める。
「弱みを見せれば、そこへ容赦無く死が襲い来る」
少女は悟ったように目を向けた。
「見た所、新米の術士か……。そこに漬け込まれたな……」
ふう、と息を吐くと少女は、そのまま男に対して尋ねる。
「名は何と言う?」
「ク……、シビ……」
その男の答えに、少女は頷いた。
「良い。クシビよ。妾はヒマリと申す。お主が生きたいというのなら、妾は手を貸せる。だが、それはお主にとっても辛い道のりを意味する。それでも良いか……?」
「………。」
その問いに、クシビはゆっくりと首を縦に振って答えた。まるで夢の中の出来事に応えるかのように――。
「お主を助けよう。クシビよ……。」
「この呪い《まほう》と共に、運命を共にするが良い……」
「へえ、あれが君の言っていたお気に入りか」
「そうよ。まあ、見ていれば分かるわ。とても愉快な子だから」
「愉快……ねえ」
目線の先には、一人の術士がいる。口元を覆い、素性を隠すような身なりをしている人間を見て、愉快とはとても見られなかった。
屋根の上から、一人の子供と薄手の豪華な衣装を着た女性が見つめている。
「ふうん……」
今にも戦いが始まろうとしている。四方には違法術士が取り囲み、中心にいる男はたった一人で立ち回ろうとしている。
「………。」
張り詰めた空気が漂う。ヤタノハ・クシビから殺気は感じられないが、辺りからは大勢の魔力の気配が押し寄せてきている。
そして、その空気が変わったと感じた途端――戦闘が始まる。
ヤタノハ・クシビが違法術士からの総攻撃に対応する。背後から奇襲、挟み撃ち。敢えて隙を見せるように行動し、一網打尽にして立ち回る。
「どう? 赤澄さん」
「いい腕だね」
赤澄と呼ばれた子供は素直に感想を漏らす。しかし――。
「でも彼、雑兵じゃないか。魔術もあまり扱えてないみたいだし……。本当にそんなのを雇うつもりなのかい?」
雑兵は、魔術を上手く扱えない術士兵を指す蔑称だ。
「そうね……。でも、お楽しみはこれからよ。彼の動向には注視しておいて」
「………。」
含むような目を向けられ、赤澄の子供は首を傾げる。良からぬことを企んでいる時は、こうして含み笑いを浮かべる。
――あの女をこんなに上機嫌にするなんて……。
嫌な感覚が胸に湧く赤澄の子供。こんな時は大抵ロクな事じゃない。
夕沈蝶と呼ばれたこの女が――。
「………。」
じっと目を向ける子供の情報屋。魔術に関しては素人レベル。しかし雑兵ではあるが、目を見張るほど腕がいい。この先、魔術の腕無しで生き残れるとは思えないが……。
「なんだ……?」
注意深く観察する赤澄の子供。ヤタノハ・クシビから違和感のある動きが漂っている。
――必要以上に剣を交えている……。
そんな違和感を感じ取る。ヤタノハ・クシビは相手と剣を交えている。普通ならば、違法術士との戦闘は最小限に留める。無駄な手傷を負ってしまえば、毒などで致命傷になる事も少なくない。まず相手の出方を見極めなくては命を危険に晒す。
なのに、ヤタノハ・クシビは敢えて剣を交わしているように見受けられた。
「何をしているんだ……」
頭を抱えたくなる赤澄の子供。自滅行為とも取れる行動に理解ができない。
「何を考えているんだい? 彼は」
「さあね」
息を吐く夕沈蝶に、信じられない赤澄。
「君もだよ。なぜあんな行為を放っておくのさ? 僕には理解しかねる。まさか、こんなのが面白い見世物とか言うんじゃないだろうね?」
「ふふ……。それは見ていれば分かるわよ……」
「……。」
赤澄はいつにも増して不気味だと感じる。この女がこんなに上機嫌な時は、絶対にロクな事じゃない。
この夕沈蝶と呼ばれた、この情報屋の考える事は――。
「………。」
戦闘に目を戻す。ヤタノハ・クシビは傷を負いながらも多勢を相手に立ち回る。その技術と戦闘センスには目を見張るものがあった。四方を囲まれていても引けを取らない。
隙を突き、的確に一撃を加える。
「……。」
そのまましばらく戦闘が続く。
クシビは違法術士に対して、一人ずつ、丁寧に確実に倒していく。
「何を考えているか、なんて……私が教えて欲しいくらいだわ」
含むような笑みを浮かべる夕沈蝶。そうしてクシビを見つめている。クシビは負傷するリスクを負っても、躊躇することなく懐へと潜り込もうとする。
そして、その戦いを眺めていた夕沈蝶と赤澄も立ち上がる。
「あの子が何を考えているかは、そのうち分かると思うわ。だからしっかりと査定して頂戴。今は大事な時期でもあるの」
含みを持たせる言い方に、赤澄の表情葉重い。
「まったく……君が何を企んでいるのか……これはまた骨が折れそうだよ。剣の腕はいいけど、意味のわからない行動を取るのなんてのは」
息を吐く赤澄の子供。数々の苦い思い出が脳裏に浮かぶ。見る限り、普通の術士ではない。
意識を逸らすように赤澄が目を戻すと、戦闘の殆どを終えており、夕沈蝶は既に姿を消していた。
「くそ! ここは退け!」
数人の違法術士が倒れ込むと、すぐさま号令が出される。その合図で他の術士達はその場を後にする。
「はあ……はあ……」
ヤタノハ・クシビが銃と刃を下ろす。そこで戦闘は終わった。
「……。」
クシビが戦闘を終えて武器をしまうと、そのまま、自分達の隠れ蓑となる居住へと帰還する。
絶対不落の王国と呼ばれた都市。クリーディアの王都へと帰る。隠れるようにして、正体を隠し――セキュリティや数多の人の目を欺きながら、クシビは帰還する。
教えられた手筈通りに――。
あの難攻不落の王国や多くの人の目を欺き、静に侵入する。
そして、骨董屋に偽造した隠れ蓑へと帰還する。
「おお、帰ったかクシビよ。流石じゃのう。今回も切り抜けたようじゃな」
「ああ……。」
ゆっくりと腰を下ろすクシビ。違法術士と戦い、いくつかの傷を負った。それが身体を締め付けるような痛みが覆う。
「しかし、手痛い傷を負っておるのう……。今シズネが特注の治癒薬を用意してくれるはずじゃ」
「……ああ」
またもや静かに短く返事を返すだけのクシビ。
「クシビ……。その傷、随分な無茶をしたのではないか? いくら我々が使う治癒薬が素晴らしいからと言えど、治すものにも限度がある」
「………。」
自信満々に言い放つヒマリだが、何も返さないクシビ。ただ黙ったまま作業を続ける。先程の戦闘は、無茶強いられる戦い方だった。
それに対し、ヒマリがさらに忠告を重ねる。
「くれぐれも過信しすぎるでないぞ? お主は我に一度命を救われておるが、それも限度があるのじゃ。完全に失われた命が元に戻ることはない。あの時のお主は幸運じゃった。最初にもそう言ったはずじゃ」
ヒマリは俯くばかりのクシビに対して言い放つ。
「幸運などと、違法術士という身の上が何度も受けられる物でない事は、お主自身がその身を持って知ったであろう?」
ヒマリはハッキリと諭すように告げる。
「失った命が戻ることは無い」
そんな奇跡があれば、きっと今よりも世界は明るくなっていたと言うように――。
「そんな魔法 《きせき》は存在しない」
「それなのに、何度も違法術士が幸運や奇跡に縋るなど……逆に天罰が下ろう」
ヒマリの言葉に、クシビは静かに応じる。
「ああ……。分かっている」
そうすると、ヒマリも確かめるようにクシビを見据えた。
「自覚を持て。クシビよ」
断言するように――ヒマリは告げる。
「お主は、もう違法術士なのじゃ」
闇の世界の住人――それは光の当たらない者達を意味する。暖かくない、冷たい世界の住人であることを……。
「………。」
そのまま俯くばかりのクシビに、治癒薬を持ってきた使用人のシズネが申し出る。
「クシビ様……。くれぐれも無茶はやめてください。失った命を元に戻す奇跡など、この世には存在しません。違法術士の戦いでは、僅かな傷が命取りになる事も多いです。そうなれば、命がいくつあっても足りません」
「……心得ている」
静かにそれだけを答えるクシビ。痛みだけが身に染みる。その痛みが教えてくれる。
嫌でも自覚させてくれる――血で血を洗う戦いを……。
油断をすれば、命は無いと言うことを……。
「返事だけは一丁前じゃのう。行動で示すのだ」
「……。」
命がいくつ有っても足りない。もう、奇跡は起きない……。何度も起こらないからこそ、奇跡なのだと……。
これは魔法ではないのだから……。




