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四十七歳、現役ラノベ作家。オリコンランカーだけれど生活はまだ会社員のままだ  作者: 常陸之介寛浩 本能寺から始める信長との天下統一


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第18話 企画書フォルダの墓場

 そのフォルダを開く時、私は毎回少しだけ姿勢を正す。


 別に、誰かに見られているわけではない。家族はもう寝ているし、書斎のドアも閉まっている。机の上にあるのは、会社の手帳と、飲みかけの水と、読み返し用に置いた現行シリーズの見本誌、それから古びたノートパソコンだけだ。


 それでも、私は『次回作候補』というフォルダを開く前に、一度だけ指を止める。


 中にいるのが、未来だからだ。

 いや、未来になり損ねたものたち、と言うべきかもしれない。


 その夜、私は現行シリーズの原稿ファイルではなく、そのフォルダを開いた。


 昨日、高梨に言われた言葉がまだ胸の中に残っていたからだ。


 失敗しない企画を考えすぎてます。


 会議室で聞いた時は、痛いところをきれいに刺されたと思った。

 帰りの電車では、その痛みを薄めないように、あえてレビューもランキングも見なかった。

 家に帰ってからも、何度かその言葉を反芻した。


 そして今、書斎の静けさの中でようやく、その言葉に正面から向き合う気になった。


 次回作候補。

 クリックする。


 画面の中に、いくつものファイル名が並んだ。

 日付、仮タイトル、メモ書き、短い説明。フォルダの階層は統一されていない。丁寧にサブフォルダ分けされたものもあれば、デスクトップからそのまま放り込んだだけのものもある。自分でも嫌になるくらい雑然としていた。


 私はその列を眺めながら、小さく息を吐いた。


 企画書フォルダの墓場。


 そんな言葉が頭に浮かぶ。

 縁起が悪い。だが、少しだけ正確でもある。


 ここにあるもののほとんどは、一度は「いけるかもしれない」と思ったものばかりだ。

 通勤電車の中でふと思いつき、手帳に走り書きし、夜中に設定を膨らませ、休日に冒頭数ページを書き、担当へ見せる寸前まで行ったものもある。

 けれど、どこかで止まった。

 止めた。

 あるいは、自然に熱が消えた。


 私は一つ目のファイルを開いた。


『仮題:坂の上の古書店と、嘘つきな僕ら』


 数年前の案だ。地方都市の坂道の途中にある古書店を舞台に、高校時代の同級生たちが大人になって再会する話。少しだけミステリ仕立てで、誰かの失踪と、本に挟まれた手紙と、言えなかった気持ちが絡む。


 設定は悪くない。

 悪くないが、読んでいくうちに自分でも分かる。

 これは“悪くない”で止まっている。


 古書店という舞台はきれいだ。

 人間関係も丁寧に置こうとしている。

 会話の温度も、自分らしい。

 でも、決め手がない。


 私は冒頭の三ページをざっと読み返し、ファイルの端に短くメモを打ち込んだ。


『空気は好き。だが古い。今の自分が本気で書きたい温度ではない。』


 保存して閉じる。


 次のファイル。

『仮題:雨宿り係長と、夜だけ作家の彼女』


 見た瞬間、私は少しだけ顔をしかめた。

 自分でも露骨すぎると思う。会社員と作家の二重生活を、あまりにもそのまま題材にしようとしている。しかも相手役を“夜だけ作家の彼女”にしているあたり、当時の私は少し安易だったのだろう。


 開く。

 案の定、最初の会話から妙に整いすぎている。


 会社で疲れた中年男。

 雨の停留所。

 隣に立つ女。

 彼女もまた、別の顔を持っている。


 上手く行けば雰囲気は出る。

 だが、これもやはり“上手く行けば”の域を出ていない。

 台詞回しはそこそこ読める。設定も説明しやすい。担当が「悪くないですね」と言ってくれそうな顔をしている。

 だからこそ弱い。


 私は数行だけ見て、すぐに閉じた。

 代わりに一言だけ残す。


『自分をなぞりすぎ。安全すぎる。』


 安全すぎる。

 その言葉を自分で打ちながら、私は少しだけ苦く笑った。


 まさに高梨に言われたとおりだ。

 会社と執筆の両立を描くなら、自分に近い場所を書けばいい。そうやって私は、テーマだけは正しそうな企画をいくつも作ってきた。

 だが、近いからこそ臆病になる。

 痛いところを少しずつ避けながら、読める形に整えてしまう。

 その結果、うまいが決まらない企画が増える。


 私は次のファイルを開いた。


『仮題:つぎの春まで、喫茶店で』


 これは現代恋愛寄りの群像劇だ。駅前の喫茶店を舞台に、年齢も立場も違う客たちの会話が交差する。学生、会社員、バツイチの女性、退職間際の男、フリーターの店員。人生の停滞と小さな再起を描く、という触れ込みらしい。


 触れ込みらしい、という書き方になる時点で、もうだいぶ駄目だ。

 企画は、自分の中で“らしい”になった時点で熱が薄い。


 私は資料を少しスクロールした。

 キャラクター設定は細かい。

 視点の分け方もきれい。

 話数構成案まである。

 だが、そのすべてが妙に優等生だ。


 こういう案は昔からある。

 編集に見せればたぶん、「雰囲気いいですね」とは言われる。

 コンテストの中間くらいなら残るかもしれない。

 けれど、その先へ行けない。

 なぜなら、整っていること自体が目的になっていて、読者の心を少し乱暴に掴む熱がないからだ。


 私はそこでマウスを止めた。


 中間くらいなら残るかもしれない。

 その言葉が、自分の中で少しだけ引っかかった。


 そうだ。

 私は最近ずっと、その“中間くらい”の作品ばかり作っているのかもしれない。


 明らかに駄目ではない。

 読める。

 一定の評価はされる。

 でも、そこから先へ抜けない。


 それはたぶん、webコンテストでも、編集との企画会議でも同じなのだろう。


 私は深く息を吐いて、ファイルを閉じた。


     ◇


 部屋は静かだった。


 冷蔵庫の低い作動音が遠くにある。マンションの廊下を誰かが一度だけ通り、靴音が小さく消える。家族はもう寝ている。時計の針の音はしないが、パソコン画面の右下の数字だけが淡々と時刻を進めていく。


 私は椅子にもたれ、目を閉じた。


 疲れている。

 会社帰りで、新企画を掘り返すには遅い時間だ。

 それでも、今日はどうしてもこのフォルダを見たかった。


 なぜ、どの案も決まりきらないのか。

 なぜ、いつも“悪くない”で止まるのか。

 なぜ、高梨は「先生らしさはあります」と言いながら、最後に首を縦へ振らなかったのか。


 答えは、おそらく単純だ。


 私はいま、読めるものを作ることに慣れすぎている。

 そして、読めるものを作る技術は、時々“それ以上”のものを邪魔する。


 会社でもそうだ。

 無難な文面。

 角の立たない返し。

 誰かを必要以上に怒らせず、しかし責任は残しすぎない言い方。

 そういう技術は仕事を回すには必要だ。実際、私はそれでここまで係長をやってきた。


 だが、小説の企画までその調子で整えていたら、熱の尖りはどんどん削れる。


 失敗しない。

 怒られにくい。

 説明しやすい。

 でも、誰かの時間を強引に奪うほどの引力はない。


 私はその事実を、今夜の静けさの中でじわじわ認めていた。


 若い頃の自分は、もっと危なかった。

 荒かった。

 設定の穴もあったし、会話も時々気取っていた。

 でも、その荒さの中に、いまの自分が失ってしまった何かがある気がする。


 私は再び画面へ向き直った。


 フォルダの下の方へスクロールする。

 日付の古いものが並ぶ。

 七年前。

 八年前。

 十年前。


 古いファイルほど、タイトルに遠慮がない。

 勢いだけでつけたような仮題、説明しにくそうな設定、フォルダ分けもしていない雑な保存名。

 その無作法さに、少しだけ懐かしさを覚える。


 その中で、私は一つのファイルに指を止めた。


『未整理_やりすぎ案』


 昨夜も一度見つけたやつだ。

 だが昨日はそこまでで終わった。

 今日は、もう少しだけ中を見てみる気になった。


 クリックする。


 開いた瞬間、私は少しだけ眉を上げた。


 書き出しが、いまの自分ではまず書かない種類の熱を持っていた。


『その男は、四十代のくせに、人生のどこかでまだ逆転できると思っていた。だから滑稽で、だから少しだけ泣ける。』


 乱暴だ。

 いきなり言い切りすぎている。

 でも、強い。


 私は続きを読む。


 主人公は中年の会社員で、誰にも言えない別の顔を持っている。ここまでは今の自分にも近い。だが、その“別の顔”が、いまの私よりずっと危うい。作家というより、何かもっと生活を壊しかねない衝動に近いものとして書かれている。周囲の登場人物も、今の私が組むより少しだけ極端で、少しだけ嫌なところが剥き出しだ。


 整っていない。

 粗い。

 でも、妙に生きている。


 私はマウスを持つ手を止めた。


 ああ、と心のどこかで思う。

 これだ。

 少なくとも、こういう種類の熱を私はたぶん忘れていた。


 上手くはない。

 企画会議にそのまま持っていけば、高梨は十箇所くらい不安点を挙げるだろう。営業が嫌がりそうな要素もある。説明のしやすさで言えば、今日閉じた他の案のほうがずっと上だ。


 でも、読みたいのはこっちだ。

 少なくとも、いま画面の前にいる私自身はそう思ってしまった。


 私はそのファイルを少しずつスクロールした。

 人物メモ。

 箇条書きの場面案。

 途中で止まった会話の断片。

 どれも未完成で、しかもかなり荒い。


 だが、その荒さが不思議と心地よかった。


 いまの私は、企画を整えるのがうまくなりすぎたのかもしれない。

 その代わりに、整える前の熱の拾い方が鈍っていた。


 このファイルは、その熱がまだ剥き出しのまま残っている。


     ◇


 私は気づくと、メモ帳を新しく開いていた。


『なぜこれを閉じたのか』


 まずそう打つ。

 そして、自分で答える。


『危ないから。粗いから。会社と両立しながら書くには、感情の振れ幅が大きすぎるから。』


 そこまで打って、私は少しだけ苦笑した。


 そうだ。

 まさに、それなのだ。


 会社と両立しながら書くには危ない。

 それは、おそらく正しい。

 平日の夜、疲れた頭で安定的に進めるには、少し熱が荒すぎる。しかも生活に近い感情をえぐるタイプの企画なら、書きながら自分も削られる。


 だから私は、無意識に避けたのだろう。

 もっとコントロールできる案へ寄せていった。

 上手くまとまりそうな企画へ。

 会社帰りでも進められる温度へ。


 でも、その結果、今の私は“悪くないけど決まらない案”をいくつも抱えている。


 だったら。

 少しくらい削られる前提で、もう一度この熱へ触ってみてもいいのではないか。


 私はファイルをコピーし、新しい名前をつけた。


『再構成_やりすぎ案』


 そして、古い書き出しの下へカーソルを置いた。


 すぐには打てなかった。

 けれど、それは昨日までの“何も出ない”止まり方とは少し違う。怖い。だが、先を考えている。いまの自分がこの続きをどう書くか、少しだけ身を乗り出している。


 それで十分だった。


 終わるシリーズ。

 始まらない次。


 その“始まらない”の中に、やっと微かに違う色が差した気がした。


 私は慎重に、しかし昨日までより少し深く息を吸って、最初の一行を打ち始めた。


 粗くていい。

 まだ整えなくていい。

 まずは、この熱がいまの自分にも残っているか確かめる。


 今夜の仕事は、それだけでいい気がした。

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