陰貴人
ずいぶんと緊張して洛陽南宮に入城したというのに、なんと肝心の文叔は不在であるという。拍子抜けする陰麗華をよそに、ここまで、彼らを連れてきた傅子衛将軍は無事に役割を果たしたとばかり、李次元に引き継いで下がっていった。旅の間お世話になったので、陰麗華も立ち上がって丁寧に頭を下げて見送る。
「洛陽の北の備えが万全でございませんので、懐に行幸しておられます」
陰麗華は洛陽周辺の土地勘がまるでないから、懐、などと言われてもピンとこないのだが、河水を渡って北の、山のふもとに離宮があり、歴代皇帝の廟もある。河北への連絡に便利なので、ちょくちょく出かけるのだと、衛尉として留守を守っている李次元が言う。
李次元は宛の出身。細面に涼やかな切れ長の目をした、どこか中性的な雰囲気のある美貌の持ち主で、文叔の兄、劉伯升と同じ年だから三十も半ばを過ぎているはずだが、若々しいというよりは年齢不詳の美しさを保っていた。李次元の父は星暦讖記に通じ、劉氏の復興を予言していたというから、李次元の持つ神秘的な風貌は父親譲りなのかもしれない。李次元は陰麗華と劉伯姫、劉君黄の姉妹を南宮の北にある、却非殿の後殿に導いた。ここは皇帝の私的な生活の場なのだという。
「兄さんが留守だなんて、せっかく来たってのに、つまらないわね」
数か月ぶりに夫に会った劉伯姫が、甘えるように頬を膨らませれば、李次元もこの年下の妻には甘いのか、困ったように眉尻を下げた。
「またもや新に天子を自称した者が出ましてね、河北の備えを固めてから戻るとの、連絡がございました。万事は、私が陛下から承っておりますので……」
丁寧に頭を下げられて、陰麗華は困惑する。李次元は以前、洛陽から脱出する時に世話になったのだと、兄の次伯より聞いている。劉聖公の政権では李次元の方が陰次伯よりもうんと位が高く、立場が上だったはずだ。
文叔が皇帝になったせいで、その妻である陰麗華にもへりくだっているのだと気づき、陰麗華は戸惑う。
――わたしはとっとと離縁してもらって、南陽に帰りたいのだけど。
「じゃあ、文叔兄さんが戻ってくるまで、わたしたちはどうしていればいいの?」
以前と全く変わらぬようすで夫に尋ねる伯姫を、李次元が幼い子供をなだめるように窘めた。
「伯姫、今は身内だけだから構わないが、陛下のことを軽々しく呼んではいけない。姉妹ではあっても、公式な場では皇帝陛下とお呼びするように」
「ええー! だって、兄さんでしょ?」
「身内だけの場所ならば、陛下は口うるさく言う方ではないが、周囲への示しというものがあるからね」
「陛下……」
口の中で呟いてみても、「陛下」という言葉が劉聖公を思い出させ、陰麗華は何となく胃がキリキリするような気がして、眉を顰めた。
「なんだか呼びにくいわよねぇ? 麗華もそう思うでしょ?」
「公的な場だけでもいいから、頼んだぞ?……あるいは、もう少し親しみある感じだと、皇上、とか、主上かな」
「……まったく親しみが感じられないけど、その呼び方」
と、そこへ何かで引き留められていた陰次伯が、せかせかした足取りで、衛兵に案内されてやってきた。
「なんだか知らないが、えらい手間取ったよ」
「ああ、卿にはまだ禁中に入る資格が出ていなかったから、その手続きに手がかかったんだ」
「禁中?」
陰麗華が首を傾げると、李次元が柔和に微笑んで言った。
「南宮の北部一帯は禁中と言って、特に許しを得た者しか入れない。具体的には内朝官の資格があればいいんだが、次伯卿は劉聖公からの官職しか持っていなかったからね。でもまあ、陰徳侯に行大将軍事、なんて、つくづくごたいそうな官職で、卿の年齢にはいささか不釣り合いだね。我々は陰貴人の兄ということで、一応、卿には騎都尉を用意していたけれど」
「……陰貴人?」
陰麗華と劉伯姫、それから陰次伯が顔を見合わせる。
「ああ、その話はおいおい……それより、伯姫や、義姉上は、今夜は南宮に泊まりますか? どうせ、陛下の還御は数日後になると思いますが……」
それまで黙っていた伯姫の長姉、劉君黄が控えめに言った。
「ここは、ずいぶんと兵士が多くて……なんだか落ち着かないわ」
「そうでしょうね。まだ、人出も不足していて、侍女なんかも少ないのです。私の邸の方が、行き届いたお世話ができそうなので、せっかくこちらに入ってもらって恐縮ですが、いったん、私の邸に退出なさるのがいいでしょう」
「ええ、そうさせていただきたいわ。……夫の体調も心配だし」
劉君黄の夫、胡珍は宛からの旅で体調を崩し、李次元の家で療養している。
「だったら最初から私の家に、と思わないでもなかったのですが、一応、皆さんを宮殿にお連れしないことには、傅子衛将軍が復命できませんのでね」
「わたしは平気よ? 宮殿の中に興味もあったし」
伯姫が言えば、劉君黄もちょっとだけ笑った。
「そうね、あの文叔が皇帝になったなんて、全然、実感がわかなかったけれど、宮殿まで来て、ようやく実感したわ。……でも、わたしのような田舎の主婦には、宮殿は気後れするから、また文叔が戻ったら挨拶に来るわ。――洛陽に住むなら、家も探さないといけないしね」
劉君黄が立ち上がろうとするのを、伯姫が姉と夫に向かって言う。
「わたしはもう少しいてもいい? なんだか、麗華を置いていくの心配だし。……あなたは今夜、家に戻るの?」
「今夜は戻る。昨夜、宿直だったからね……ならば、一緒に帰ろうか」
「ええ、それがいいわ」
仲睦まじく一緒に帰る約束などをしている伯姫夫婦を見て、微笑ましい気持ちと同時に、我が身に引き替えて胸が痛くて、陰麗華は視線を外した。その様子を見た次伯が、李次元に言う。
「僕も麗華が心配だし、麗華も一緒に一度退出して――」
「それは困ります」
即座に李次元が言う。
「陰貴人のことはくれぐれもと念を押されていましてね。陛下も後ろぐらいところがあるから、逃げられると思っているのですよ。だから、陰貴人にはこちらにいていただかないと、私が叱られます。次伯卿も部屋を手配します。……人出不足なんで、世話が行き届かないかもしれませんが、そこは我慢してください」
「……その、さっきから、陰貴人ってのは、何なんです?」
陰麗華がたまらずに尋ねると、李次元が困ったように端麗な眉をさらに下げた。委細のありそうな様子を見て、劉君黄が立ち上がり、挨拶した。
「いろいろ事情がありそうだから、わたしはもう失礼するわ……じゃあ、伯姫、また夜に」
「ええ、姉さんも気をつけて。義兄さんによろしく」
衛兵と宦官に導かれて去っていく劉君黄を見送り、李次元がおもむろに咳払いをした。
「陰麗華殿には、貴人位を与えるようにと、陛下の方から言われておりましてね」
なんとなく、李次元の言わんとすることの予想がついて、陰麗華は眉を顰める。
「……それはつまり……」
「貴人、という号に聞き覚えはないけれど、要するにそれは後宮の……」
陰次伯が言いかけたのを遮り、陰麗華ははっきりと言った。
「そのような号も位も、必要ありません。わたしは文叔さまから離縁していただきたくて参っただけです。こちらに泊まるつもりもありませんし、文叔さま……いえ、皇帝陛下がご不在なら、わたしも退出いたします」
「だから、そうならないように、重々、言われているのですよ。……絶対に、宮殿から出すな、と」
陰麗華は目を丸くし、次伯は露骨に不満を表明した。
「身勝手な! 無理矢理、うちの麗華を妾として囲い込むつもりなのか! そんなの、僕は断固として認めない!……洛陽まで来たのは間違いだった。帰ろう、麗華」
「ダメですってば! 絶対に引き留めろって言われてるんですから!」
必死に止める李次元に、陰次伯が言う。
「だって、もともと麗華は文叔の妻だった。文叔が皇帝になったのなら、妻は皇后でなければおかしい。なのに貴人とかいう、聞いたこともない号位を与えるってことは、要するに麗華を妾にするということだろう。妾を妻に直すことでさえ、礼にもとる。一度妻に迎えた女を妾に落とすなんて、もってのほかだ。……やはり、文叔との結婚を認めるべきではなかった」
「いや、そうではなくて――陰家の者たちが怒るのは当然だと私も思うが――」
「戦乱の世だということは、僕も理解している。だが、今まで、文叔からは事情説明一つない。二年も放置した挙句、勝手に新に妻を娶り、さらに勝手に迎えに来て、説明もせずに宮殿に監禁なんて、いくらなんでも、わが陰家と麗華を馬鹿にしている」
陰次伯の怒りはもっともなので、李次元も劉伯姫も反論できない。
「だいたい、あの傅子衛将軍は、陰麗華はまだ文叔の妻で、結婚は継続していると言うんだ。もし離縁して欲しければ、洛陽まで来て話し合うしかないと。武力までちらつかせて、半ば脅しのように我々を連れてきたんだぞ? いったい、どんな言い訳があるのかとやってきてみれば本人はいないときた。……麗華があの時、洛陽宮でどんな目に遭ったか、あんただって知っているだろう! そもそも、あれはあんたの従弟の李季文が……」
「お兄様!」
激昂していく陰次伯を、陰麗華が止める。驚いた目で陰麗華を見ている劉伯姫に気づいて、陰次伯が慌てて口を噤む。
――劉伯姫は、陰麗華に洛陽で起きたことを知らないはずだ。いくら幼いころからの友人でも、言えることと言えないことがある。
劉伯姫は不安そうに陰氏兄妹と自分の夫を見比べていたが、敢えて何も言わずに黙って聞いている。李次元はちらりと妻を見て、気づかれないように溜息を噛み殺した。
更始元年の十月、河北討伐に向かった劉文叔は、当時妊娠中だった妻・陰麗華を南陽の新野に送り届けるよう、李次元の従兄弟である李季文に託した。ところが、李季文は劉文叔を裏切り、陰麗華を南陽ではなく、洛陽の南宮の、皇帝・劉聖公の元に差し出したのだ。
陰麗華はそのまま南宮の後宮に囚われの身となり、翌更始二年の二月、劉聖公が洛陽から長安に向かう混乱の中で早産を起こしてしまい、赤子を失うばかりか自身の命さえ危うい状況であったと聞いている。
――これが、自分の妻である劉伯姫に起きた出来事であったら、おそらく李次元とて正気ではいられなかったであろう。あの時、李次元はまだ劉伯姫と婚礼を挙げるには至っておらず、伯姫は宛に残っていた。おかげで、伯姫は劉聖公の被害には遭っていない。
だから、李次元本人の心情としては、陰次伯の言い分はよくわかる。逆に、河北での劉文叔の状況を直接は見ていないから、突然、河北で結婚したという噂が流れてきたときは、心底驚いた。そして李次元もまた、南陽の士大夫の一人として、重婚はもちろん、一度妻として娶った女を妾に落とすことは絶対に容認できないと思うのだ。よんどころのない事情故に、郭氏と婚姻を結ばざるを得なかったとしても、こうなったからには、文叔は誠意をもって陰麗華と陰家に詫びた上で、正式に離縁して陰麗華を自由にするべきだと。
陰麗華を洛陽に迎えると文叔が言い出した時、李次元は二年前の状況を文叔に語った上で、陰麗華との離縁を勧めたのだ。陰麗華と劉文叔の婚姻期間は実質二か月と少し。陰麗華はまだ若く、他の男に嫁ぐこともできると、極めて常識的なことを言ったつもりだったのだが――。
「とにかく今は私の話を聞いてくれ。……まず、従弟の李季文の仕出かしたことについては、一族の一人として深くお詫びする。李季文はこの洛陽を守っていたが、同僚の将軍に殺され、報いは受けたと思う。それから皇后の冊立はまだ行われていない。もう一人の……郭聖通も今のところは同じ貴人なのだ。一応、何らかの爵号がなければ禁中に入れることができない。そのための便宜的なものだと、今は納得してくれないか。正直に言えば、陛下が今後、二人の妻をどう処遇するつもりなのか、私にもわからない。ただ、陛下が陰麗華殿を手放すつもりがない、ということだけは、はっきりしている」
「だったらなぜ、そもそも別の女を――」
さらに怒り狂う陰次伯を、陰麗華が止めた。
「お兄さま、次元殿に怒ってもどうにもなりません。……李季文殿のことは、正直、今も許せないと思いますが、亡くなられた以上、わたしには何とも申し上げられません。ただ、あなたはあの時、わたしに起きたことをご存知のはずですから、当然、文叔さま……いえ、陛下にも事情はお伝えしているのですよね? わたしが、とてもじゃないが、皇帝の後宮で暮らすなんて無理だと言うその意味も、ご理解いただけると思います。わたしも一度はお会いして話し合い、正式に離縁していただきたいと思って、ここまで出てまいりました。文……じゃなくて、皇帝陛下が戻られたら必ずこちらに参上いたしますから、今日のところは退出をお許しいただけませんか?」
陰麗華が李次元をまっすぐに見つめて言えば、しかし李次元は首を振った。
「はっきり申し上げますが、あなたに関してだけは、陛下はいささか常軌を逸しています。傅将軍を南陽に派遣する際にも、絶対にあなたを連れてくるようにと、くどいほど念押しし、私にも絶対に宮殿から出すなと厳命しました。――陛下はあなたが逃げたがっているのを知っていて、それでも留め置こうとしていいるのです」
李次元の言葉に、陰麗華と陰次伯は顔を見合わせる。劉伯姫が次元に尋ねる。
「それは……兄さんは陰麗華が離縁を求めてるのを承知の上で、ってこと?」
李次元は頷く。
「重婚が許されないことなど、陛下だってわかっていますよ。そして、一度妻にした女を妾に落とすことの非常識さも。……常識的に考えれば、結婚していた期間の短さなどを勘案しても、陰麗華殿とは離縁し、なにがしかの賠償を支払った方がいい。本人の前で言うのもなんですが、私はそう、提案した。残酷なことを言いますが、郭貴人にはもう、子が生まれていて、今さら、あちらを離縁することも不可能です。――あの時、あなたの子が無事に生まれていれば、さらに泥沼だったかもしれないが、現在、陰麗華殿に子はなく、あちらに子がある以上、陰麗華どのは身を引いてくれるでしょうと、私は文叔……いえ、失礼、陛下を説得しようとしましたが――」
陰麗華は蒼白な顔で李次元をじっと見ている。その身体は小刻みに震え、両手は無意識に腹に置かれている。李次元は自分の言葉がどれほど残酷に目の前の女の心を抉っているか、自身のことのように辛く感じたけれど、だが、淡々と言うべきことを言った。
「陛下はあなたとの離縁を拒否しました。絶対に別れない、と。これ以上言うのならば、妹の夫であろうが罷免し、追放するとまで」
陰麗華は少しだけ震える声で、李次元に尋ねる。
「……あの方は、わたしの子のことはご存知なのですね? 何度も書簡を出したのに返事がなくて……もしかして届いていないのかと」
李次元も頷いて言った。
「ええ。……私が事情を話すより前から、ご存知でした。……ただ、この件に季文が絡んでいるから当然と言えば当然なのですが、あなたの件については私は陛下に信用されていませんでしてね。奉迎も、伯姫のついでだから、私自身が行くと言ったのに、陛下には拒否されました」
陰麗華が俯いたのを見て、伯姫が夫の袖を引っ張る。
「こんなところで子供の話をしなくても……」
「私も酷なことだとはわかっているが、はっきりさせておいた方がいいこともある。……郭氏の子のことも、他から知らされるよりは、マシではないか?」
「そうだけど……そちらに子供がいるなんて、わたしも聞いてなかったわ」
伯姫が言えば、李次元も眉を顰める。
「陛下から口止めされた。伯姫に知らせれば、陰麗華の耳にも届くと。……子供のことを知れば、陰麗華殿は洛陽に来るのを拒むに違いないと、傅子衛将軍にも絶対に余計なことは言うな、引きずってでも連れてこいとの一点張りでした」
その言葉を聞いて、陰麗華はふと顔を上げる。
「もしかして……あの方は、わたしのことを怒っていらっしゃるのですか?」
引きずってでも連れて来いとか、宮殿から絶対に出すなとか、今まで思ってもみなかったけれど、文叔は陰麗華に腹を立てて、復讐するつもりなのだろうか。文叔が二年前の洛陽での出来事を知っているなら、陰麗華の裏切りと、子どもを無事に産めなかったことを許せなくて――?
その可能性に初めて思いいたり、陰麗華は急に不安になる。文叔には申し訳ないと思っていたし、もちろん、対面したら詫びるつもりではいたが、文叔が陰麗華を洛陽に呼び出した理由が、怒りだったとしたら――。
「まさか、そんなことはありませんよ!」
李次元が慌てて叫んだ。
「二年前のことを説明した時は、季文に対して怒り心頭でしたがね。――その直後ですよ、陛下は季文からの書簡をわざと公開して、怒った朱長舒が季文を殺した。あの直前まで、季文の投降を受け入れる方向で上層部の話はついていたのに、掌を返したのです。裏切りには裏切りで報いた、ということでしょうね。伯升のことは水に流せても、季文は許せないと、はっきり言われました」
「……そんなことが……」
陰麗華と陰次伯が顔を見合わせる。李次元が溜息をついた。
「……とにかく、陛下が戻ってくるまではこちらに留まってください。ここであなたを逃がせば、今度こそ、私はクビにされてしまう。次伯卿にも二、三発殴られる覚悟はしていると仰っていたが、ただ、くれぐれも、周りに人のいない場所でお願いする。衆人環視の場で皇帝を殴った場合、どんな理由があれ、庇い切れない」
「でも絶対に離縁しないと言ったって、他の女と結婚して、子供まで生まれているんだろう? この状態で麗華を留めるなら、麗華が折れるしかない。子供を理由にあちらに皇后位を譲り、陰麗華は側室に甘んじろと? 身勝手に過ぎるだろう!」
陰次伯が眉を寄せるが、李次元もわからないと首を振る。
「最初からすでに皇帝だったのなら話は別でしょうが、即位前に結婚していたわけですからね。……元配(最初の妻)を重んじるのは当然の理で、本来なら陰麗華殿を正妻にするのが筋です。ですが、郭氏と婚姻を結んだおかげで、河北討伐が軌道に乗ったのも事実なのですよ。今、陛下の麾下の将軍の半数以上は河北の出身です。河北出身の彼女を蔑ろにはできない事情もあるのです」
「わたしは離縁してくだされば、それ以上のことは何も要求するつもりはありません」
陰麗華の言葉に、李次元が顔を歪め、首を振った。
「それだけは絶対にしない、と言い張っているので、話が拗れているのですよ。あなたにこっぴどく罵られ、罵詈雑言の限りを尽くして振られれば、少しは懲りるのかもしれませんが――」
「そんな――」
およそ、人を罵ったことなどない陰麗華に、それはあまりに無茶な要求であった。
李次元:李通。南陽宛の人。劉伯升、劉文叔とともに挙兵し、現在は衛尉。
李季文:李軼。李次元の従弟。やはりともに挙兵したが、劉聖公が即位したのちはそちらに接近していた。聖公から洛陽の守護を任されていたが、同僚の朱鮪に殺されている。
朱長舒:朱鮪。淮陽の人。緑林の将軍から更始帝の側近になる。李季文とともに洛陽を守っていたが、洛陽攻撃側の馮異と李季文が通じているのを知り(劉文叔がその手紙を公開したから)、李季文の裏切りを知ってこれを殺した。




