幸運の聖獣
「ステラは聖獣だよ。ただの猫じゃない」
夜、きょうだい二人だけになった場所で、エルマーが言った。
「聖獣?」
「幸運をもたらす、星を持つ獣」
「え……」
エルマーがにやりと笑った。
「まだ子供だから力もそれなりだろう。成獣になる前に見放されないようにしなよ」
「そう、なのか。ステラ?」
「なぁん」
黒猫は甘えるように鳴くだけで、普通の猫に見えた。
その晩、僕は夢を見た。馬よりも牛よりも大きくなったステラに「隊長やディアンも守ってくれ」と頼む夢だった。
目が覚めるとステラは枕元にいて、じっと僕を見ていた。
「ステラ?」
『……欲のない人』
「え、今、お前、喋った!?」
「にゃあ」
「いや、お前絶対、今喋っただろ!」
「なぁん」
「ごますなよ!」
でも、そうか。本当に聖獣なのか。
「ステラ。あの、なんていうか……」
ステラはのしりと僕の腹の上に乗った。
「おい」
返事もないし、退く気もなさそうだ。僕のそばには居てくれるということなのだろう。それならきっと、隊長たちも守ってくれる。僕は勝手にそう信じることにした。ただ、それにしても。
「……重い」
僕の小さなぼやきは黒猫の喉を鳴らす音にかき消された。
***
「エルマー……」
朝食前、僕は兄を捕まえて聞いた。
「星を持つ聖獣ってやつは、喋るのか?」
「念話を使うって言われてるね」
「念話……じゃああれはやっぱり」
「もしかして、ステラが喋った?」
「たぶん」
「へぇ」
エルマーは面白そうに笑った。
「相当気に入られてるね。星持つ獣はかなり無口らしいのに」
「夢を見たんだ」
「夢?」
「ステラが、牛よりでかくなる夢」
「ふぅん?」
「あり得る、のかな」
「何が?」
「いや……あそこまで大きくなられると、食費が……」
エルマーがぷっと吹き出した。
「食費の心配? 他にも気にするところがあるんじゃないの?」
「……僕の部屋にステラが入らない」
エルマーが耐えかねたようにけらけらと笑い出した。
「いやー。さすがはウォーレン」
「何が」
「私利私欲がない。普通は聖獣なんて手に入れたら隠そうとするし、奪われないか不安になるものだよ」
「それはステラが決めることじゃないか? 誰のそばで暮らすかなんて」
「確かにそうだ。聖獣を私物化しようっていうのが間違ってるし、無理なんだ。でも、それがわからないやつもいる」
エルマーは急に真顔になって言った。
「気をつけろよ。ステラを狙うやつが現れるかもしれない」
「……牛よりでかくなられたら隠しようもないけど」
「それはたぶん大丈夫。聖獣は姿を変えられると言われている。今、猫の姿をしているのはステラの意志だよ」
じゃあ、ステラは僕の飼い猫であることを自分で選んでくれているのか。
「そういえば。ヘザーから連絡があったんだけど、聞きたい?」
「聞いた方がいいなら」
エルマーは小さくうなずいた。
「例の職人、今のところ特に問題ないってさ」
「……なら、良かった」
ジョセフのことは少し気になっていたから。
エルマーが小声で言う。
「こっそり、魔導具を作っているらしいよ」
「え」
「自分が作ってしまった『兵器』に太刀打ちできる力を開発したいんだって」
なるほど、そういう……。
「シミオン兄様が支援すると言っているから、安心していい」
「わかった」
朝食はエルマーと二人で作った。
「何日か滞在していくんだろ?」
「いや。早めにヘザーの所へ行くよ」
昼前にはここを発つという兄は、手際よくオムレツを作っていく。その姿を見たマーカス隊長は、客人に料理をさせたことを詫びていた。けれど、エルマーは料理が得意だし、僕一人で作るのも飽きてきていたし、隊長の『塩焼き野菜』を朝食に出すよりはずっとマシだと思う。
スープもできて、腸詰も焼けた頃、やっとディアンが起きてきた。
「お二人とも。弟を、これからもお願いします」
そんなことをかしこまって言うエルマーに、何故か妙に気恥しくなりながら、僕は久しぶりに兄のオムレツを食べた。僕が普段作るものと、ほとんど同じ味がした。
足元ではステラが、焼いてほぐした魚を美味しそうに食べていた。やはり普通の猫に見える。そうだとしても、きっと幸運の猫だ。隊長が拾い、僕に懐き、マーカス隊の一員として過ごしてきた、額に星がある黒猫。
「ウォーレン」
お茶を飲みながら、エルマーが言う。
「辞めたいなら、辞めていいんだよ?」
魔法士団のことだ。とっさに返事ができなかった。
「父上やシミオン兄様に頼めば、隊長さんたちもまとめて面倒見てくれると思うし」
「エルマー殿。さすがに、そこまでは……」
「というか。本当は辞めて家のことをして欲しいんだけど」
エルマーが苦笑する。
「父上は今もウォーレンを跡継ぎにしたがってるんだから」
マーカス隊長が目を見開き、ディアンはパンをのどに詰まらせた。
「……跡継ぎって、子爵!? ウォーレンが?」
「ハズラム家の当主になるのか!?」
僕は二人から目を逸らし、ため息交じりに言う。
「嫌ですよ。僕はむしろ貴族を辞めたいのに」
エルマーがにこりと笑った。
「シミオン兄様が同じこと言ってたな、うん」
「僕は嫌だ。子爵家の当主なんて、いっそエルマーがやればいいんだ」
「はは、無理無理。俺養子だから」
「シミオン兄上がいるのになんで僕が跡取りなんだよ」
「そりゃあ、あの人が商売を辞めたら、動かなくなる航路があるから」
「じゃあ、リチャードが継げばいいだろ!」
「それこそ、君がいるのになんで弟にって話だよねぇ」
僕が攻撃にも治癒にも中途半端な身で魔法士を辞めない理由がこれだ。下手に家に戻れば次期当主として申請されてしまう。
「まあ、すぐじゃなくてもいいと思うよ。父上はまだまだお元気だしね」
エルマーが宥めるように言う。
「ただ、覚えておいて。君の居場所は魔法士団だけじゃないって」
「それは、まあ」
「じゃあ俺はそろそろ行くよ」
ミアを入れた鳥かごを抱えて、エルマーは村から出ていった。
「お前、ハズラムの跡継ぎだったのか」
ディアンに言われて顔をしかめた。
「継ぎたくない」
「でもなんか、もう逃げられなくないか?」
「……言うな」
僕は屈んでステラを撫でた。幸運の聖獣だというのなら、僕を窮屈な運命から解放してくれないだろうか。
ステラは呆れたように尾をひと振りして「にゃあ」と迷惑そうに鳴いた。まあ、いいか。こいつはまだ子供だというし。今すぐ帰って来いとは言われていないのだから。




