第9話 酔っ払いエルフ、帰る
なんかすみません………
結局、負けた。
俺はフィーネを背負い、人知れずギルドを出た。
背中に、ふわりと重みが乗る。
長い髪が肩に触れる。
酒の匂いがした。
フィーネは俺の首元に腕を回し、満足そうに笑っている。
「ヒロぉ」
「なんだ」
「乗り心地はなかなかいいですねぇ」
「なにせ俺の背中だからな」
「ふふ。それにあったかいです」
「そりゃ酔ってるからだろ」
「それもありますよ?」
「あるのかよ」
ギルドの外は、夕方に差しかかっていた。
空が少し赤い。
石畳の道を、人々が行き交っている。
商人らしき男。
買い物帰りの親子。
荷車を押す老人。
皆、それぞれの生活をしている。
その中を、俺は酔っ払いエルフを背負って歩いていた。
異世界に来て二日目。
初依頼を終えた日の帰り道がこれである。
おかしい。
絶対におかしい。
それに、通りを歩いても誰もこちらを見なかった。
いや、正確には見えているのだと思う。
人混みの中で、ぶつからないように少し避けられる。
だが、誰も足を止めない。
誰も声をかけない。
俺の背中に、多少は有名であろう酔っ払ったエルフが乗っているというのに。
「……本当に気付かれないんだな」
「はいぃ」
背中のフィーネが、少しだけ得意そうに笑った。
「便利れしょお?」
「便利だけど、使い道がおかしい」
「ヒロがぁ、恥ずかしくないようにしてます!」
「変なところで気遣うな」
「ふふ」
「だったらそもそも飲みすぎるな」
「それはぁ……」
「それは?」
「むずかしいですなぁ…」
「難しくないぞ?」
フィーネは俺の背中で、ふにゃふにゃと笑った。
笑うな。
反省しろ。
「あ、ヒロぉ!!」
「なんだ」
「今の角を右でぇっす!」
「帰り道分かるのか」
「もちろんです?」
「疑問形なのやめてね?」
「でもでも左に行くと、それはそれはおいしいお酒のお店があります」
「迷うことなく右だな」
「左もいいですよぉ」
「右だ」
「左は出してくれる杯が、けっこう大きいです」
「情報が酒に偏りすぎてる」
俺は迷わず右へ曲がった。
背中でフィーネが小さく残念そうな声を出す。
本当に残念そうだった。
「ジョッキ……」
「今日はもうあきらめろ…」
「3人で一緒に帰りたかったです」
「俺とフィーネとジョッキと?」
「はい」
「だめだこいつ!!」
「大事な子だったんですぅ!」
「店の備品だろ」
「でも、ずっと、あんなに手に馴染んでいて…」
「いやたぶん今日初めて持ったやつだろ」
「運命です………」
「酒器と運命を感じるな」
フィーネは少しだけ黙った。
ようやく静かになったかと思った。
「ヒロぉ」
「なんだ」
「今度、専用のジョッキを買いましょう」
「買わない」
「おそろいで」
「買わない」
「名前を入れて」
「買わない」
「ヒロ用と、私用と、私の予備と、私の緊急時用を」
「お前用が多すぎる」
「備えは大事ですぅ」
「酒への備えをするな」
会話が全部酒に戻る。
すごい。
ここまで思考が酒に引っ張られることがあるのか。
「なあ」
「はいぃ」
「これ、よくあるのか?」
「なにがですかぁ?」
「お前が誰かに運ばれること」
「んー……」
フィーネは真剣に考えるような声を出した。
考えている声ではなかった。
眠そうな声だった。
「はじめて?」
「そうか」
「すごい、ヒロがはじめてですよ!」
「そりゃ光栄なこった」
「ヒロはわたしのとくべつですね~」
「特別に迷惑かけられてるってことか?」
「もぉ~~いじわるする人は嫌われますけどーー」
「いじわるされてるの俺じゃね?」
そのまま、しばらく歩いた。
フィーネの家までは、そこそこ距離がある。
異世界二日目にして、俺の仕事が介護に固定されつつある。
嫌すぎる。
「ヒロぉ」
「なんだ」
「背中、つらいですかぁ?」
「正直ちょっとつらい」
「ええーー降りま…」
「自分で歩けるのか?」
「せーーーーん!」
「おい」
「このままおんぶがいいです」
「だろうな」
俺は小さくため息をついた。
するとフィーネは、俺の肩に頬を寄せた。
急に静かになった。
静かになったと思ったら、今度は小さく鼻歌を歌い始めた。
聞いたことのない旋律だった。
たぶんエルフの歌なのだろう。
声は綺麗だった。不意打ちだった。
問題は、歌詞がたまに聞き取れることだった。
「おさけぇ……おさけぇ……」
「台無しだよ」
「いい歌です」
「酒の歌か?」
「ええー、だれがどう聞いてもエルフの森の歌ですよーー?」
「今お酒って言ったぞ」
「もちろん森にはお酒はあります」
「あるのか」
「浴びるほどあります」
「浴びるんだ……」
エルフの森への幻想が少し崩れた。
いや、主にフィーネのせいだ。
森は悪くない。
たぶん。
「ヒロ」
「なんだ」
「初依頼、ちゃんと終わってよかったですねぇ」
「ああ」
「薬草、見つけられたんですよねぇ」
「見つけた」
「えらいです」
「さっきも聞いた」
「何回でも言います」
「酔ってるからじゃないのか」
「それもあります」
「あるのかよ」
フィーネは小さく笑った。
だが、その声はさっきより少しだけ静かだった。
「でも、本当にすごいです」
「薬草だぞ」
「初めての場所で、初めての仕事をして、ちゃんと戻ってきたんです」
「……」
「それは、すごいことですよぉ」
俺は何も言えなかった。
酒に溶けたような声なのに。
なぜか、その言葉だけは妙にまっすぐ届いた。
「フィーネは」
「はい」
「初めての依頼、覚えてるのか?」
「覚えてますよぉ」
「どんなのだったんだ?」
「森で、迷子の子を探しました」
「へえ」
「小さな子で。泣いていて。木の根元に隠れていて」
「見つけたのか?」
「はい」
フィーネは、俺の背中で目を細めたようだった。
顔は見えない。
ただ、声だけが少し遠くなった。
「私は、森にいましたから」
「森?」
「エルフの森です」
「ああ」
「森を出てから、しばらくは……いえ、長い間、それはもう長い間、ひとりでした」
背中から、ぽつりと声が落ちた。
酔っ払いの声なのに。
その一言だけ、妙に静かだった。
「ひとり?」
「はい」
フィーネの腕が、少しだけ俺の首元に回る。
苦しくはない。
ただ、少し近い。
「森の外は、にぎやかでした」
「うん」
「人がたくさんいて、店があって、音がして、匂いがして」
「ああ」
「もちろん日常のやり取りはしますよ?でも、なんだか遠かったです」
酔っ払いの言葉だ。
明日には覚えていないかもしれない。
あるいは、覚えていても知らないふりをするかもしれない。
それでも、今の声は妙に本音っぽかった。
「長く生きているとですねぇ」
「うん」
「知っている人が、どんどん少なくなるんです」
「……」
「知らない町に行けば、知らない人ばかりです」
「まあ、そうだな」
「知っている町に戻っても、知っている人がいなかったりします」
フィーネは笑った。
けれど、その笑い方は、いつものへにゃりとしたものとは少し違っていた。
「だから、森を出てからしばらくは、ずっとひとりでした」
「……それ、けっこう重い話か?」
「んー?」
フィーネは、俺の背中で小さく首を傾げた気配がした。
「別に、悲しい話ではないですよぉ」
「そうなのか?」
「はい。故郷にも、たまに帰っていますし」
「あ、帰ってるのか」
「帰ってます。父とも母とも仲はいいです」
「そこは良好なんだな」
「良好ですぅ」
フィーネは少しだけ笑った。
「ただ、森の外では、ひとりでいる時間が長かっただけです」
「……なるほど」
「それで、こうして」
背中の腕が、ほんの少しだけ緩く回った。
「誰かが私を見つけてくれることは、初めてだったので」
「……」
「うれしくなっちゃいました」
「酒場で仕上がるほど?」
「はい」
「そこは反省しろ」
「反省はしていますぅ」
「声がしてない」
「していますぅ」
背中のフィーネが、少しだけ顔を上げた気がした。
「そんなとき、ヒロが来ました」
「俺は酒瓶を片付けに来たわけじゃないんだが」
「でも来ました」
「ありがたい加護のせいだ」
「それでも、来ました」
「……」
言い返せなかった。
昨日、俺は確かにフィーネを見つけた。
ドブの横でへらへらしていた、どうしようもない酔っ払いエルフを。
そして、放っておけなかった。
加護のせいだ。
たぶん、そうだ。
だが、それだけだと言い切るには、少しだけ引っかかるものがあった。
「うれしかったです」
フィーネがぽつりと言った。
「ヒロが、来てくれて」
「……そうか」
「はい」
フィーネは満足そうに小さく息を吐いた。
「だから今日は、お祝いしたかったんです」
「俺の初依頼の?」
「それもあります」
「それも?」
「ヒロが、ちゃんと帰ってきたので」
「俺は薬草採取に行っただけだぞ」
「でも、帰ってきました」
「……」
「おかえりなさい、ヒロ」
今さらだった。
ギルドでも言われた。
酒場でも言われた。
それでも、もう一度そう言われると、妙に胸の奥がくすぐったかった。
「ただいま」
俺は小さく返した。
するとフィーネは、嬉しそうに笑った。
「ふふ」
「なんだ」
「ちゃんと返してくれました」
「普通だろ」
「普通は、大事です」
「普通判定の俺に言うな」
「ふふ。普通のヒロ」
「やめろ」
少しだけしんみりした空気は、そこで消えた。
いや、消えたというより、フィーネが自分で壊した。
ありがたいような、そうでもないような。
「ところで」
「なんだ」
「ヒロ、足取りが重くなってます」
「気づいてたのか」
「はい」
「なら降りろ」
「やです」
「おい」
「もう少しだけ」
フィーネは、また俺の肩に頬を寄せた。
「もう少しだけ、このままがいいです」
「……」
ずるい言い方をする。
酔っ払いのくせに。
酒カスのくせに。
家を酒瓶で封鎖していた女のくせに。
「家までだからな」
「はい」
「明日覚えてろよ」
「覚えてますよぉ」
「本当か?」
「たぶん」
「怪しいな」
俺はため息をついた。
でも、歩き出した。
フィーネを背負ったまま。
夕暮れの街を。
酒の匂いと、長い金髪と、やたら軽い返事を背中に乗せて。
俺は、フィーネの家へ向かった。
しばらくすると、背中のフィーネがまた小さく呟いた。
「ヒロぉ」
「今度はなんだ」
「帰ったら、お水を飲みます」
「偉いじゃないか」
「水割りで」
「それはお酒だね?」
「水だよ?」
「酒だな」
「お酒もちょっぴり入ってます」
「屁理屈を言うな」
やっぱり駄目だった。
少しでも感心した俺が馬鹿だった。
異世界に来て二日目。
初依頼を終えた帰り道。
俺は少しだけ思った。
この世界で最初に見つけたのが、このエルフでよかったのかもしれない。
もちろん。
酒を飲んでいなければ、という条件付きで。
「ヒロぉ」
「なんだ」
「……っこ……」
「なんだ、抱っこじゃなくておんぶで我慢しろ……」
その時。
俺の中の危機管理担当が、全力で警鐘を鳴らした。
違う。
これは違う。
今の「っこ」は、たぶん、抱っこの「っこ」ではない。
「……っこ……」
「なあ、フィーネ……? フィーネ嬢?」
頼む。
聞き間違いであってくれ。
さっきまでの少し良い空気を、そんな方向に持っていかないでくれ。
「おちっこぉ……」
「フィーネさん!?」
「おちっこぉぉぉ!!!」
俺は走った。
人生で一番真剣に走った。
前世の終電間際より真剣だったかもしれない。
「我慢しろ! 家まであと少しだ!」
「むりぃ……」
「無理じゃない! お前は森を出て何百年も生きてきた気高きエルフだろ!」
「にひゃくはちじゅうななさいじですぅ……」
「年齢を正確に言えるなら我慢できるだろ!」
「それとこれとはぁ……」
「同じだ!」
「ちがいますぅ……」
背中のフィーネが、もぞもぞと身じろぎした。
「動くな! 頼むから動くな!」
「はしるしんどうで………おなかがぁ……」
「言うな! 状況説明をするな!」
俺は走った。
石畳を蹴る。
人混みを抜ける。
誰にも気付かれていない酔っ払いエルフを背負ったまま、必死に走る。
認識阻害が効いているなら、それすら曖昧かもしれない。
今はどうでもいい。
俺はただ、守らなければならなかった。
尊厳を。
主に俺の。
「頑張れあと少し! あと少しだからな!」
「ヒロぉ……」
「なんだ!」
「ごめぇ……」
「あああああああああああああああああああああああああああああああ!」
異世界に来て二日目。
初めての依頼を達成し。
初めての報酬を手に入れ。
そして初めて。
この加護を、本気で呪った。
飲酒あるあるですね




