190話 朝礼にて
放課後。
すれ違う生徒たちが、妙にちらちらと生徒会室に向かうリシェルを見ていた。
(……嫌な空気ですね……)
生徒会室の扉を開けた瞬間、書記が、青い顔で立ち上がる。
「リシェル先輩!あの、これ……」
「これって……」
差し出されたのは、学院掲示板の写しだった。
『Eクラスの生徒Eは、魔族と契約を結んでいる。
森の魔族管理区画の管理者もEである。
学院は人類種の敵対勢力の工作員を飼っている。
戦争の被害を忘れるな!』
どうみても理事会の工作だ。
リシェルは流れるように胃薬を飲んだ。
◆
「噂は、思ったより早く回りましたな」
この学院は先の戦争で家族を無くしたものも少なくない。
──その傷に火をつければ扇動はたやすい。
理事長は、椅子に深く腰かけたまま、紅茶に口をつけなかった。
向かいに座るのは、副学院長。
卓の上には、一通の封書が置かれている。
「ですが、噂だけでは足りません。
生徒の噂は、生徒の署名で押し返される。
あの小娘どもは、すでに動き始めています」
「承知している。
だからこそ、噂は『入口』だ。
学院長は、『五日』と言った。
結構な話だ。」
「理事会の招集は、明朝一番に」
「……学院は、変わらなくていい。
戦争の後も、そうだった。
移り行く時代の中で、この学院の居場所を守ってきたのは、何だと思う。
理想ではない。
この学院で、本当に人を縛るのは、順位ではない。」
帳簿だ。
財務課長は、すでに抑えた。
「あれは、家族が病でな。
金が要る。
それだけの話だ。」
(わしは、あの頃の生徒たちを、覚えている。
順位など、誰も気にしていなかった。
ただ、帰る家を失くした子らが、ここにしか居場所がなくて、しがみついていた。
その居場所を守ってきたのは、理想ではない。
金と、署名と、貸し借りだ。
汚いと笑うなら、笑え。)
副学院長は、それ以上、何も訊かなかった。
──次の日の朝。
全校朝礼の講堂は、ざわめきで満ちていた。
壇上では、学院長が淡々と連絡事項を読み上げている。
その横に、なぜか、見慣れた小柄な影が立っていた。
まさに渦中の人間「E」。
エルディアだ。
「……今日の話はこんなところだ。
本日も勉学に励んでくれたまえ。
ところで一人の生徒が、みんなの前で話す機会がほしい、とのことだ。
エルディア君。
これで、いいかね?」
「はーい。」
エルディアは、軽く手を挙げて、壇の中央に出た。
マイクの前で、小首をかしげる。
「えーと。Eクラスのエルディアです。」
昨日の掲示を読んだ者も読んでいない者も、それが誰を指すかをこの瞬間に理解した。
◆
「今日は学院長に無理言ってもらって、この場に立たせてもらいました。
もちろん、理由はあのうわさについて。」
がやがや、と講堂がざわついた。
「やっぱり、あの子だ」
「本人が出てくるのかよ」
「え、あれ本当なの?」
理事会席の何人かは、口の端をわずかに上げていた。
自分たちの撒いた火種が、向こうから勝手に燃え広がりに来た、とでも言いたげに。
前方の席で、レオンハルトが、ぎり、と歯を鳴らした。
「……よくも、ぬけぬけと、あの壇に。」
「こうやって出てきたけど、質問ある人はいる?
まあ質問はこの場では無理だよね。
みんなが気になっているのは、噂が真実がどうか、魔族は危険かどうか、果ては自分たちに被害が及ぶかどうか。かな?」
ざわめきが、少しずつ小さくなっていく。
やがて、講堂は咳ひとつ聞こえないほどの静けさに沈んだ。
「だから、連れてきました。
どうぞ。ゴルドさんです。」
「ゴルド・バルシャインだ。
今日は親善と聞いて、この場にお邪魔させてもらった。」
舞台袖から出てきた人物に学園は固まった。
オーク。それもヘルムを脇に抱えたフルプレートアーマー。
2.5m強の体格。魔力。全てが規格外
講堂の空気が、凍りついた。
明らかに人間ではない造形の巨躯が、舞台袖の灯りを、ほとんど塞いでいる。
一歩、踏み出すたびに床板が低く軋み、纏うネバついた魔力が肌を撫でた。
それは敵意ではないのかもしれないが、ただ、そこに「在る」だけで、空気が重くなる種類の力だった。
「っ……!」
前列の一年生が、椅子ごと後ろへ下がる。
どこかで、誰かが、杖を握る音がした。
理事会席の何人かが、腰を浮かせかけている。
耳を裂くような警報が、講堂の天井から降ってきた。
ごう、ごう、ごう。
赤い魔力灯が壁一面に点り、生徒たちの顔を血の色に染める。
『――外部敵対勢力、侵入。
繰り返す。外部敵対勢力、侵入――』
8体の石と魔導鋼で組まれた巨体が、整然と列をなして雪崩れ込んでくる。
学院警備用の魔道ゴーレム。
さらに、教員席から数人が、壇上へ飛び出した。
戦闘魔術科の教官。
実技担当の老教師。
いずれも、普段の穏やかな顔が嘘のように、目が冷えている。
ゴルドは冷や汗をダラダラと流していた。
「の、のう。エルディア。これは?
儂の役目は、魔族と人間の親善ではなかったのか?
聞いていた話と違うのだが……」
「もちろん親善だよ。
肉体言語。」
「お主……わざと警報に触れよったな……
やれやれ。示威行為か。」
ゴルドが、ヘルムを、足元にそっと置かれる。
空いた手が、背へ回り、ゆっくりと戦斧が引き抜かれた。
「――すまんな。」
「ひっ……」
「からだが……」
ゴルドが力を籠めると、声にならない声が、あちこちで漏れた。
教官も。生徒も。理事会席の者たちも。
剣を抜いていたレオンハルトでさえ、切っ先を上げることができなかった。
家紋の指輪が、柄を握ったまま、小刻みに震えている。
見えない力で学園全てが金縛りにあっていた。
7000人と1人で戦い、門を守り抜いた伝説がそこにはあった。
一振り。
ゴルドの戦斧により、風が鳴った。
振り抜いた戦斧が起こした圧だけで壇上を囲んでいた八体のゴーレムが、薙ぎ払われ、全てのゴーレムが機能を停止する。
「さあ、親善の時間だ。
話し合おうか。
今後の学院の未来について。」




