◆37
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その頃、勇者ミレディは。
「ひっく」
酒場で飲んだくれていた。
といっても王都ではない。王都には知り合いや、彼女を一方的に知っている者が多すぎて、酒に浸ることすらできない。
サハッコから少し南のモリセンという、そこそこ大きな都市で、他の酒飲みに混じって、一人で酔っ払っていた。
幸い金銭の援助者は失っていないので、酒代は割とゆとりをもって出せる。
しかし、そういった問題ではないことは、彼女自身がよく分かっていた。
「全部カイルのせいだ……」
彼女はぼんやりとしつつ、ただつぶやく。
実際、勇者の権威が失墜したのは誰のせいか、と問われたら、カイルのせいなのか彼女自身のせいなのか、判断に困ることであろう。カイルも強引な真似をしたが、強引さで言えばミレディのしたこと、しようとしたこともなかなかのものだ。
しかし、ともあれ、現在ミレディがどうしようもない状態になっているのは揺るがぬ事実だった。
権威失墜、失敗続きのせいで、仲間を募集しても集まらない。援助者の伝手をたどっても仲間を募集しているが、いまのところまともな応募は皆無。
かといってソロで魔王討伐の旅をするには、彼女には足りないものが多すぎる。レナスやアヤメなど割と多芸で小器用な者ですら、パーティを組んでいることからも分かる。
カイル周辺でいうなら、バーツはソロ専門、単独冒険の天才である。しかしミレディはバーツではないし、勇者はパーティを組むことが前提なので、ソロ用の鍛錬は全く積んでいない。そういった技能はある意味才能が必要な領域なので、いまから身につけるのも難しい。
一言でいうなら、打つ手がない。
しかし途中で降りる選択もできない。【勇者】の天性を持って生まれてしまった以上、魔王の討伐はその責務であり、宿命である。ただの冒険者なら、冒険をやめてほかの職業に就く選択肢もあったが、勇者という肩書きがそれを許さない。
八方手詰まりである。
カイルなら、こんなときも希望を捨てずにあれこれ動き回るだろう。ミレディの知っているカイル、特にパーティリーダーとなってからの彼ならそうするであろうことが容易に予想できた。
しかしミレディはカイルではない。残念なことに、あの四大魔道具を制覇したカイルではないのだ。
「ひっく。主人、勘定をお願いするわ」
若干足元をふらつかせながら言う彼女に対して、「大丈夫ですか?」と主人は声をかけた。
彼女はモリセンの長期滞在用の簡素な宿屋に泊まっている。
いつまでいるのか?
それは彼女にも分からない。きっと誰に聞いても、確たる答えは返ってこないだろう。
ともあれ、彼女は夜道を歩く。
冷えた夜風にあたると、酔った感覚が少し引き締まり、まるで自分がしっかりしているかのような感触を覚える。
彼女が飲んだくれるのは、この感触が好きだからでもある。引き締まるために飲むというのも妙な話だが、ともあれ彼女は、この時間が好きだった。
しかし、そこへ人が現れる。
「あの、もし、勇者ミレディ様ですか」
ほろ酔いでどうでもよくなっていた彼女は。
「はい、そうれす」
若干呂律の回っていない様子で答えた。
「よかった。実は私の主君である――魔王様が貴殿を招きたいと考えておりまして」
刹那、一気に酔いが冷め、彼女は勇者の剣を素早く抜き構える。
腐っても勇者、魔王が倒すべき存在であり、その関係者であろう彼女は場合によっては叩き斬らなければならないということは、さすがに弁えていた。
「魔王の家来がおでましとはね、斬られに来たのかしら?」
「どうか剣をお納めください。戦いに来たのではありません」
剣を構えたまま、警戒を解かないミレディ。
「どうせ魔王の一味なら斬る以外に手はないわよ」
「どうか、どうかお話だけでもさせてください」
魔王の家来は落ち着かせるようにして手を上げ下げする。
「ここでもし私を斬ることに成功しても、いまの貴殿では仲間がおらず、魔王のもとへたどり着くことすらおぼつかないことは存じております。その大半に四大魔道具の主カイルが関わっていることも。……ともあれ、ここで私一人を斬っても何も解決しません」
強気の家来。
しかし、そこまで言えるということは、ミレディについての諸々の事情を、大半知っているに違いない。
彼女はとりあえず剣をしまった。
「まあ、そこまで言うなら話だけなら聞いてやってもいい。よく調べたわね」
「ありがとうございます。秘密のねぐらまでご案内します。ああ、私はアイシャと申します」
アイシャはそう言うと、「こちらへ」と先導し始めた。
しばらくして、ミレディたちは狭いねぐらに着いた。
「粗末なところですが、なにとぞお許しを」
「本当に粗末ね。傷だらけだし、まあ出先のねぐらだってなら仕方がないんでしょうけど」
言いたい放題である。
そしてミレディは手近な椅子に座った。アイシャが「どうぞお掛けになってください」と言う前にである。
それを見たアイシャは、あきれるでもなくふっと笑った後、自分の席に座り、正面から彼女に目を合わせた。
「単刀直入に申しましょう。ミレディ様、魔王になってはいかがでしょうか」
「ふざけてるの?」
当然ながらミレディはいら立った。
勇者が魔王になる?
カイルの靴をなめることよりも屈辱的である。
ミレディは勇者にしては問題のある性格だが、自分に課された使命には、まあまあ忠実なほうであった。
使命への意志が絶対かといえばそうではない。現に彼女は、カイルに対しては態度の大きすぎる……つまり勇者の品格を欠く接し方をしたし、仲間を失うと前を見ずヤケになって酒浸りの日々を過ごしていた。
しかし、それでも「魔王になってはどうか」と言われて簡単にうなずくほど、勇者の宿命を忘れ果てたわけではない。
「落ち着いてください。まずは剣から手を放していただけないでしょうか」
「本気?」
「本気です」
ミレディはそれを聞くと、とりあえず元の姿勢に戻った。
しかし警戒心は彼女の中でまだ残っている。
「ときにミレディ殿、あの冒険者カイルにされたことをどう思われますか」
どう思うか、と聞かれたら、相手方が誰であろうとこう答える。
「あの男、勇者一党を抜けさせられたことを恨んでいるのかどうか知らないけど、邪魔ばかりしてくるのよ。勇者の剣は先に奪って売り付けてくるし、四大魔道具を借りようとすれば戦いを挑んでくるし、その上賠償金を巻き上げるし。本当にクソだわ」
「なるほど。おつらい体験をされたのですね」
「されたのですねって、その辺はそっちとしては調査済みじゃないの?」
「知ってはおりました。しかし対面の場で貴殿から直接お話をうかがわないと、貴殿の怒りと無念は感じることができません」
「へえ」
ミレディは聞き流した。
「カイルはそのような無法な行いをして、なんら反省するところもない。そのことに関して裁きも懲戒も受けていない。そうですね?」
「その通り。あいつらときたら好き放題して、本当に許せない」
彼女は、知らず、こぶしを握る。
「本当に、許せない!」
「ならば、貴殿の手で罰を与えてみてはどうでしょうか」
ぽっと投げられた提案。
「……どういうこと?」
「いまの貴殿は勇者。魔王を討伐すべき者。その使命に全く関係のないこと、例えば特定の人物に制裁を与えることは、勇者という立場上、できません。そうですね?」
「それは、まあ、そうね」
「しかし取り締まりをすべき警察も、制裁の判決を出すべき司法院も、あなたの怒りを取り合ってくれない。あなたの哀しみに寄り添ってくれない。そうですね?」
「そうね」
「では……あなたがもし魔王になればどうでしょう」
静寂。
「貴殿がカイルに基本的に手出しできないのは、ひとえに貴殿が勇者であり、魔王ではないからです。勇者は魔王討伐を通して、人類を守るという『崇高な』宿命を持っています」
沈黙。
「しかし魔王となればどうでしょう。そのようなしがらみから離れて、自分に散々恥をかかせ、勇者を事実上失脚させられた報いを、貴殿自身の手で与えられるのではないでしょうか」
ミレディは腕を組み、沈黙する。
「もちろん【勇者】は天性であり、個人の力で捨てることはできません。しかしそうだったとしても、貴殿は、魔王の力を受け継ぎ、自ら魔王として生きることもできます。現在の魔王陛下もそれを望んでいます」
「現在の魔王も?」
「はい」
「それはどういうこと?」
「これ以上のお話は、魔王城でしませんか。外に馬車を待たせております」
話が急展開した。
「ちょっと待って、馬車って、魔王城は南の最果ての地にあるはず。ここからだと近道を考えても一ヶ月ぐらいかかるはずよ」
「食料も衛生用具も備えはあります。隊商に偽装しておりますので、旅に必要なものはすべて整っております。あとは貴殿の意思のみです」
すべて準備は万端。据え膳というものである。
彼女は考える。
とりあえず魔王本人から話を聞くのはいいかもしれない。いまの話だけでは、カイルをおおっぴらに始末できること以外、不明な点が多い。気に入らなければその場で戦って、魔王の首級を挙げれば、使命を果たした勇者として名誉を回復できるだろう。
ひとまずは魔王から詳しい事情を聞いてみよう。
「分かったわ。行きましょう。宿を引き払ったり、準備があるから、明日の正午にまたここに来るわ」
「ありがとうございます。きっと陛下もお喜びになるでしょう」
「いま決めたのは、とりあえず話を聞くことだけよ。魔王になれと言われて、そう簡単に、はいそうですか、と決めることはできないわよ」
「ここではそれだけで充分です。何事もまずは対話から。突然現れた私の話だけでは、なかなか大きな決断はできないでしょう。明日の正午、どうかここへいらしてください。お待ちしております」
アイシャは深く一礼した。




