第四話 星降りの街
それは、ノッテが帰ってくるおよそ一ヶ月前。
病院のプレイルーム。一面の壁に貼られた色とりどりのイラストたち。そのイラストたちが、ゆらゆらと動いて部屋中を巡っている。すいすい泳ぐ魚に、ひらひらと舞う蝶々、揺れる木々、襲いかかる大きな怪物。全部、紙から飛び出して動いている絵だ。
「ねーねー、シェリーちゃんはどんな印名がいい?」
シェリーを囲む子どもたちにふと聞かれ、シェリーは戸惑った。シェリーは本当の年齢は分からないが、十歳程度なのでまだ印名が不明なのだ。シェリーはわたしは、とスケッチブックに書こうとして、それを子どもたちが遮る。
「僕はね、父さんが火消し屋なんだ! だから僕も火を消す人になりたい! 水を出す印名とか!」
「私はねケーキやさん! おいしいケーキを作ってみんなに食べてもらいたい!」
「おれはトトセさんみたいな動く絵が描きたい! 水族館を作るんだ〜」
子どもたちの口から溢れる、数々の印名。夢、希望、その全てがきらきらと輝いていた。
『わたしも、誰かの役に……』
シェリーはその続きを書きそうになってスケッチブックを閉じた。その文字は、言葉は、誰の目にも映ることはなかった。
◇
今日は中央都市がとても賑やかだ。すれ違う人の賑わいがいつもとは大きく異なっている。街の公共機関であるゴンドラも、普段はスムーズであるが今日はかなりの待ち時間が生じていた。トトセもシェリーも困惑しながら、中央都市のとある病院へと足を進める。今日は文房具屋は定休日。店長のトトセも、住み込みで働いているシェリーもお休みだ。そこに、新しい仕事が舞い込んできた。
「病院の子どもたちのお絵描き教室をまたお願いしてもよろしいでしょうか?」
手紙でそう告げられたのは一ヶ月前。とある看護師からの手紙だった。定期的に行われているお絵描き教室がまたやってきたのである。
「明日は星祭りなんだそうですよ。トトセさんご存知でしたか?」
「ほしまつり? ……ってあの?」
聞いてきたのは手紙を書いてくれた看護師さんだ。お絵描き教室の終盤、プレイルームに絵を飾り、動く絵を眺めながら彼女は言ったのだった。
「ご存知なんですか?」
そう問われて、トトセはうーんと思い出すように唸った。思い出せることと言えば……。
「百年に一度、この世界のどこかで星が降ってくる……的な? 知ってるのはそれくらいだよ」
「そうですそれです! 百年に一度星が……正しくは星のような花が降ってくるそうで、それが明日の夕方だそうです。その花が……正しくは花びらの中にある実がとっても高く売れるんです。星狩り、とも呼ばれるそうですよ」
「ほう…………」
トトセは顎に手を当てて、面白そうに目を細めた。シェリーも耳を傾ける。トトセはお金になる話が嫌いではない。それに百年に一度の自然現象がたまたま住んでいる街で起こるなんて。だからきっと彼も参加するだろうなとシェリーは思った。
「シェリー、いいよね?」
やっぱり。シェリーは微笑んで快く承諾した。
◇
プレイルームでのお絵かき教室が終わった夕暮れ、トトセたちが文房具屋でのんびりしていると、ノックの音が店に響く。「あいてるよ」とトトセが声をかけると、一人の青年が、休業日の文房具屋へと入ってきた。
その男性は、「よ」と一文字だけ声を発して、レジの横の椅子に腰掛ける。いつもの事なのでシェリーもトトセも気にも留めず、それどころかトトセはにこやかに話しかけた。
「やあ、ハク。仕事終わりかな?」
「そ。今日休業日だろ? だから遊びに来た。星祭りの話をしようと思ってな」
ハク、と呼ばれた青年は、足を組んでトトセに話を始めた。
「明日星祭りだろ? 面倒なことにあれも研究対象なんだよ。おかげで今日明日は徹夜だと思う」
「徹夜はいつものことじゃないか……ちゃんと寝てる?」
「まあな」
ハクは自嘲気味に笑う。よく見れば、髪は乱雑にまとめられており、多少の隈が見受けられる。あまり寝ていないのだろう。
「だから人手がいるんだ。その分報酬は弾むさ、単純に星を売るよりもな。時間は星が降ると〈星読み〉が読んだ夕方から夜の間の数時間。どうだ、手伝ってみないか」
「いいね、賛成! 急だけど明日は早めに店じまいをしてみんなでやろうよ星祭り!」
そんなこんなでトトセとシェリーはハクの研究所の手伝いを急遽することになったのだった。
話が決まり、早速準備に取り掛かる。シェリーとトトセは明日の約束の時間が待ち遠しむようになった。
◇
印名研究所とは、文字通り印名について研究する研究所である。印名については未だに分かっていないことが多く、なぜ印名が十六歳までなのか、なぜ〈無印〉がいるのかについてすら解明されていない。その理由と神秘を見つけようと設立されたのが、ハクの職場である印名研究所である。
約束の時間五分前。シェリーとトトセは研究所の扉をくぐる。
「お、来たか。そういえば、シェリーが来るのは初めてだったか?」
出迎えてくれたハクにシェリーはこくりと頷く。そこはトトセの文房具とは大きく異なり、まるで病院のような白を基調とした外観と内装だった。広いロビーを囲むように、受付であろう窓口がぐるりと備わっている。よく見ると「××相談」「△△案内」など、窓口はいくつかの種類に分類されているようだ。それは研究所というよりも役所のようにシェリーには感じられた。
ハクに促され研究所の更に奥へと進むと、海色の髪をした壮年の女性が声をかけてきた。
「いらっしゃい、君たちがハク君が連れてきてくれた助っ人のトトセ君とシュライフェ君だね? 歓迎するよ」
目の前の女性はにこやかに挨拶をする。大きなモノクルにグラスコード、白衣……と、見ても分かるように、研究者だろう。青い髪は所々跳ねており、彼女もまた眠れていないことを予想させた。あるいはそれがデフォなのか。
シェリーは慌てて脇に挟んだスケッチブックを手に取った。自己紹介の流れだ。いつも使っている一枚目を開いて、小さくお辞儀をする。
「シュライフェ君……なるほど。それでシェリーか。ではシェリーと呼ばせてもらうよ。私はリリアナ。ここの現研究長だ。所長とか、その辺りに当たるかな」
よろしくね、と彼女は手を差し出して握手を求め、シェリーとトトセは順に手を握った。しかし彼女も多忙なのだろう、握手を済ませると仕事があるからとそのまま別れてしまった。
星読みが読んだ約束の時間まであと数十分となったところで、戻ってきたリリアナの号令が入る。ロビーには摘んだ花を入れるカゴを背負って手袋をした白衣の研究者であふれている。シェリーたちもカゴと手袋をもらい、ロビーで彼女の言葉を待った。
「今日は街に待った星祭りの日だ、しっかり取り組むように! これも研究のため、未来に繋ぐためだ。害はないと聞いているが、これも立派な研究材料なので素手で触れることは控えるように。そして一生に一度の機会、しっかり目に焼き付けておくといい」
おー! と張り切った声と共に、研究所を出ていく研究者達。シェリーとトトセもハクたちと一緒に外へ出ていく。そこにはもう既に、ふわりと舞い落ちる星花たちを狩る人達で賑わっていた。中央都市がここまで賑やかになることはなかなかない。
最初は一緒に行動していたシェリーとトトセだったが、どうやら彼はふらりふらりとどこかへ行ってしまったらしい。シェリーは彼を追いかけることはやめ、手を止めて空を見上げる。
空から降ってくるのは黄色のつぼみ。それを開くと星の形をした花となる。その中央に、金平糖のような形をした種が入っている。おしべやめしべなどは見当たらない。かすかな光を放ちながらふわりと着地していく花たちは、昔絵本や写真で見た、ランタンを空へと飛ばす祭りによく似ており、幻想的な世界がそこに広がっていた。
せっせと落ちた星花をシェリーが拾っていると、ぱしゃり、という聞き慣れない音が聞こえた。何の音だろう……顔を上げると、黒い機械を持った手と、花緑青の瞳がシェリーの視界に映る。
「……こんばんは」
彼はぶっきらぼうにそう言った。話すことは苦手なのかもしれない。でも迷惑がっている訳では無いようで、口を開けたり閉じたりしている。
『こんばんは、お兄さん』
ポケットに仕舞っておいたメモ帳に綴ると、彼はちゃんと読んでくれた。スケッチブックではかさばると思って寮に置いていてしまっていたのだ。ポケットに入れておいてよかったと、本当に思う。
「こんばんは。声は……聞こえるみたいだね。声の方か……いや、詮索はしないよ」
『何をしているんですか? 写真……?』
彼はそう聞かれて、初めて微笑んだ。
「そう、これはカメラ。よく知ってるね。あまり見かけないから気付かれないかと思ったけれど……僕は写真家、シノノメ」
『私はシェリーです』
「いい名前。君によく似合ってる。僕は星祭りを撮りに来たんだ。せっかく、百年に一度しか見れないと言うから。〈星読み〉は当たっていたね」
手を止めて話をする間にも、星々は降り積もっていく。シノノメはカメラを空に向けると、ぱちり、とまた写真を撮った。下から黒い紙が出てくる。
「君にあげる。それ、今は黒いままだけど、きっと綺麗に撮れたから」
受け取った写真は真っ暗で、夜闇を切り取ったような紙だった。試しに、手首をしならせて振っても息をふうっと吹きかけても、紙には変化がない。
「まだ出てこないよ。時間がかかるんだ。それを待つ間も、いい時間じゃないかと僕は思う」
シェリーはこうして現像される写真を見るのは初めてだった。写真自体は展示があったり本が出版されたりするので見たことはあるが、黒いところから浮かび上がるというのは、なかなか風情がある。
「じゃあね、シェリーさん。星、沢山取れますように」
シノノメさんも。そうペンを走らせようとしたが、彼はもう人混みに紛れてしまっていた。メモ帳を見せる時間もなかった。あぁ、こういう時は少しばかり声が羨ましくなる。
「……どうしたシェリー、知り合いでもいたのか?」
そう声をかけてきたのはハクだった。シェリーはスケッチブックに今の事の流れを説明すると、ハクは、まだ真っ暗な紙を覗き込む。まだ写真は暗いままだ。
ふと、ハクが空に手を伸ばした。親指と人差し指で枠を作り、星花の降る夜空を閉じ込めながら。それはどうやら、向こう側にいる人々をも写しているようで。その人混みの中には先程出会ったシノノメもいた。
『どうかされたんですか?』
「いや、印名っていいなって思って。残せるだろ、こうやって。ちょっと羨ましく思っただけだ」
その枠を飛び越えて花火が飛ぶ。そういえば、この夜のフィナーレは中央都市周囲の海から花火を飛ばすんだったか。
『終わってしまいますね』
「……そうだな」
それから星祭りは無事、終わりを迎えた。
◇
「お疲れ様。これは持って帰るといい。君の分だ」
リリアナはそう言ってシェリーのカゴの中からすくい上げると、小さなお皿に星屑を盛った。きらきら、ふわりと星々が瞬く。そして代金の入った封筒も差し出す。
いいんですか? と首を傾げると、リリアナは「君だって十分に働いたんだ。それなりの対価がいるだろう?」
シェリーはぺこぺことお辞儀をして感謝を示す。リリアナは続ける。
「君の印名はまだ分かっていない。もし、もしもなにかあったら、ぜひ教えて欲しい。何、痛いことは何もしないさ。私達は研究をしなければならない。印名とはなんなのか、無印とはなんなのか……」
シェリーは黙って聞いていた。印名は分からないことだらけだ。なぜ一人一つなのか、なぜ十六歳の誕生日までなのか、なぜ無印は生まれてしまうのか。
「君がトトセ君に飽きを覚えたらこっちに来て働いてくれないか? 前々から聞いていたが、君はとってもよく働くそうじゃないか。今回も精一杯働いてくれた。きっと時給はトトセ君の所よりもいい。それにこの研究所なら君を守ってあげられる。どうだい?」
それを聞いて、シェリーはゆるゆると首を振った。わたしには帰るべき場所がある。いてもいい居場所がある。わたしはそこに帰るのだから。
「ふふふ、君の意思は固そうだ。気が変わったらまたおいで。楽しみにしているよ」
リリアナはシェリーの頭を撫でて、そのまま手を振って自室へと引きこもってしまった。出口でハクとトトセが待っている。シェリーは荷物を持って、駆け足で彼の元へと向かった。
「一日お疲れ様。ありがとな。無理言ってごめんな」
『楽しかったです。良ければまた誘ってください』
そこでふと、シェリーは思い出す。ポケットのメモ帳に挟み込んでいた写真のことを。取り出すと、一枚の景色が映り込んでいた。
「それは……写真? 綺麗な星空だね」
「さっきの写真か、どれどれ……おぉ、綺麗だな」
トトセとハクが写真を覗き込む。紺碧の背景に、ぽつぽつと白の絵の具を散らしたようなしたような星空、そして落ちていく淡い光をまとった金色の星花。素敵な一瞬を切り取った、一枚の写真。
「誰が撮ったんだい? ……シノノメ? あぁ、あのシノノメ君か! 有名な写真家だよ。家に帰ったら写真集見せてあげるよ」
トトセにそう言われてシェリーはにこりと頷いた。素敵な思い出がまたひとつ増えた。写真はレジ横の壁に飾っておくとしよう。
さぁ帰ろう、わたしの家へ。
——あぁ、まさかまたこの日が訪れるなんて。
◇
シェリーとトトセを途中まで送った研究所への帰り道、ふとハクは路地裏に目をやって立ち止まった。目線の先には、誰にも拾われなかった星花が一つころりと石畳に転がっている。
このあたりにあるものはすべて回収したと思ったが……ハクは利き手である左手を伸ばし、星の花を拾った。中にはまだ金平糖の実が残されている。
ハクはふと思いついたように、それを指先でつまむと、空にかざした。金色の金平糖は、まるで絵本に描かれる星のようで……誰も周りにいないことを確認してから、ハクはひゅーん、と右から左へ腕を動かしてみる。小さな小さな、手のひらに収まる小さな流星。
そういえば、手袋しないといけなかったんだっけか。これは研究材料にはせずに持ち帰ることにしよう。
きっとトトセがいたら茶化されるだろうな。シェリーは微笑んで「可愛いことをするんですね」なんて思うだろうか。あぁ二人がいなくてよかった。けれど少し寂しいなぁなんてことも同時に思う。
ハクはもう一度、つまんでいた実を流星へと変える。視界の端まで消えたところでぐんと伸びをして、実をポケットへとしまった。幻想的で素敵な一日だった。明日からはこの星花たちの解析をする研究が始まるだろう。
何か新しいことが見つかるのだろうか。いや、どうせ見つからないんだろうな。印名研究所とは言ってはいるが、印名の一番明確な特徴である「なぜ十六歳の誕生日までなのか」すら発見されていないのだから。せめて分かることと言えば、結界が狭まる周期と星降りの周期が同じ時期の百年だということくらいで。それには裏付けも証拠もなにもない。
「あーあ、参ったな……なーんて、いつものことか」
ハクは自嘲気味にため息をこぼした。勘当されてから七年、成果は何一つあげられていない。そもそも印名研究所のやっていることが研究よりも〈無印〉のサポート面が強い。
せめてこの絵本のような星たちが、何か一つでも成果をもたらしてくれますように。ハクはそう願いながら、研究所の寮へと足を進めていった。




