第十五話 そして世界は巡る①
「そうしてボクは探し続けた。オルテンシアとアプリコットの目を覚まし、世界を変えてくれる希望の人たちを。それがキミたちなんだ。ノッテ、シェリー」
「……どうして?」
「わたしも分かりません、わたしの印名はさっき無くなったはずです。それでもどうして……?」
「ボクは未来視とかはできないから賭けでしかなかったんだけど……まずノッテ、キミの印名には果てしない未来があった。夢だと思えばこの世界ですら切れてしまうほどの。偶然にもオルテンシアとアプリコットは眠っている。要するに、この世界は眠っていると言っても過言じゃない。そこでボクはキミに目をつけた」
ウィスタリアは続ける。
「この世界を知ってもらうために絵本をしたためたり、赤毛の少女にノッテの場所を伝えたり……そうして力をつけてもらった。もちろん、ライアー弾きとの旅もね。魔法使いに近づくにつれて人外要素が増えるんだ。元々羽耳だったし、きっと強い印名になるって信じていたよ」
どうやら、ノッテの角は魔法使いに適したために誕生した要素だったようだ。羽耳族が複数の印名を持っているというのも、もしかすると羽耳を持っているから〈風の声〉と〈飛翔〉が使えるのかもしれない。ノッテはどちらも持っていないのであくまで仮定の域を出ないのだが……。しかしだからこそ、ノッテは風の声がなくてもルナの技術を習得してスィオネと会話できるようになったのかもしれない。
「そしてシェリー、さっきボクがキミの印名のことをはっきりと口にしなかったのは、キミが生まれながらの魔法使いの末裔からだ。スィオネが見えないオルテンシアと同じ。だからキミの血筋は生贄に選ばれなかった。もっとも、キミの家は魔法使い以外と混じって末裔すぎるが故に忘れてしまったようだけど」
だからねシェリー、キミは魔法が使えるんだよ。ウィスタリアはシェリーを視てそう言った。
強い印名を持ちスィオネと交流する術を持ったノッテと、魔法使いの末裔であるというシェリー。
「だから二人とも一緒に来てほしい。もしかしたらもう二度と印名が使えなくなるかもしれないし、何も変わらないかもしれないけれど、それでも、ボクはキミたちに賭けたいんだ」
「ウィスタリアさん……」
「ウィスティ……」
ノッテとシェリーはウィスタリアを見て、それから二人は顔を合わせた。その答えはすでに決まっていて。
「もちろん、私にできることなら」
「ウィスティがここまでお願いをするのは珍しいですし、頼ってくれることは嬉しいですから」
「二人とも……本当にいいの……!?」
ノッテとシェリーはウィスタリアの問いに力強く頷いた。
「キミたちに賭けて本当に良かった。あとはうまくいくことを祈るばかりだ」
元の世界に戻すために。ノッテは思う、元の世界とは一体どんな世界だったのだろう、と。ここまで五百年かかったというウィスタリアですら知らない、それよりもうんと昔の、印名のない世界。〝争い〟があった世界。果たしてそれは本当に、誰もが思い描くような、人間もスィオネも幸せな世界なのだろうか。
「……ノッテさん?」
「うん、今行くよ」
舟を漕ぎ進め、結界の縁を目指していく。段々と浅瀬になってきたところで、ウィスタリアは舟を止め、二人に降りるように指示をした。目の前には寒々とした景色が広がっている。結界内には入ってこない不思議な雪がちらつくほどに。
先を歩いていたウィスタリアが結界の外から声をかける。彼が吐き出した白い息は、まだ結界内にいるノッテとシェリーには届かない。二人は手を繋いで、合図と共に結界外に踏み出した。
「この結界はね、印名を持つ人を通さない仕組みになっているんだ。印名を持つ人というのは友好的ではないスィオネにとっては敵だからね。誰だって存在を認識されていないのに突然命令されたら嫌だろう?」
あぁ、だから、まだ弱かった私は通ることができなかったのだ、とノッテは納得した。スィオネと意思疎通が出来るようになり魔法使いとなった今は、寒さも怖さも感じない。まるで出迎えてくれているようだ。シェリーの方は肌寒そうに腕をさすっているが、気絶するほどには至っていない。ウィスタリアが話していた「魔法使いの末裔」というのは本当だったらしい。
「さぁ、ここが目的地だ。二人とも、準備はいいかい?」
シェリーとノッテは手を繋ぎ、こくりと首を縦に振った。目の前には白く大きな繭がこちらを見下ろしている。ウィスタリアがその繭に小さくノックをすると、しゅるしゅると糸が解けて繭が緩み、中にいた人物が露わになった。
「久しぶりね、ウィスタリア。五百年、といったところかしら」
「君が望む人物を連れてきたよ。だからオルテンシアを解放して」
「それは全てが終わってから。さて。どんなヒトを連れてきたのか見せてもらおうじゃない」
半分けた繭に座る少女のような生き物は、ノッテとシェリーを見定めるように見下ろした。ノッテはあまりにも冷たいその目に足がすくみ、手に力が入る。それはシェリーも同じだったようで、力のこもった握手が返された。
「じょおうさま」
「このこたち、いいこ、いいこ」
「いじめないで」
「おねがい、きっとかなえてくれる」
スィオネたちも応援してくれている。
「それで、この二人が何をしてくれるの? 印名のことを〈夢〉だと思って切ってなかったことにするつもり?」
「それは……しないつもりです。あの、一つ聞いてもいいですか?」
「……何かしら」
ノッテは問うた。ただ一つ引っかかる問い、それは、幸せを願ったにも関わらず生まれた存在——透明硬化症の人たちのことだ。
「あなたたちが作った世界は、ひどく温かくて優しい、争いも何もない平和な時代だった。だけど、それを保っていたのは透明硬化症を患った人たちで、そうしなければ今の世界は保てなかった。それは本当に、あなたたちが望んだ世界でしたか?」
そう問われて、アプリコットは長く細いため息を吐いて目を瞑った。その瞳にはやや後悔が残っているようにも見て取れる。
「透明硬化症のことは本当に残念だったわ。けれど仕方がなかった。大勢が犠牲になる独裁者のための世界と、誰かが犠牲になる平和な世界なら後者の方がずっとずっとマシだと、そう考えた。だから結界を保たせるために彼らを利用した」
「そんな……」
「多少の犠牲は仕方がないでしょう、あなたたちは知らないだけよ。大勢の人が戦争や災害によって亡くなっていく残酷な世界を」
「それは、そう、ですが……でも……!」
ノッテにとって大切な人が二人も透明硬化症になり、一人は亡くなり、もう一人も今のままでは死んでしまうのだ。黙っていられるわけがなかった。
そしてノッテにはまだあるものが見えていなかった。夢の糸だ。ノッテはこれがなければ夢を切ることができない。それではここまで来たのに全ての意味をなくしてしまう。
「アプリコットさん、あなたの願いを聞いてもいいですか」
「……私の、私たちの願いは、スィオネの解放。ただそれだけ。魔物となってしまったスィオネも、人に使役しているスィオネも、その全てを救いたい。こちらで眠っている小娘は人間の幸福を願っているみたいだけど」
恐らくオルテンシアのことだ。つまりこの世界は、スィオネ側であるアプリコットがやや折れた形で成り立った、オルテンシアが望んだ世界……ということだろうか。
「ノッテ、シェリー、がんばって」
「ぼくらはだいじょうぶ」
「どんな未来でも、きみたちのちからになれるなら」
スィオネたちは誰もが「あなたのちからになりたい」という願いを口にしている。
スィオネが見えるようになってから数刻、ノッテの視界は大きく変わった。今までの世界がひっくり返されたように。スィオネの存在をありがたく思えるようになり、大切にしていきたいと思った。
——もし、もしも。これが、みんなもそうなったのなら……?
「あ……!」
「ノッテさん、何か思いついたんですか?」
「うまくいくか分からないけど……それでも、世界は変えられるかもしれない。ウィスタリアさん」
「うん、なんだい?」
ノッテは小さく深呼吸をし、藤紫の瞳に目を合わせてその意思を伝えた。
「全人類にスィオネを見せることは、出来ますか?」
「全人類に……スィオネを見せる? は、はは、ははは! それ、本気かい?」
「……本気です」
ノッテは真剣な眼差しで、なおもウィスタリアの目を射抜いている。
「それにはシェリーちゃんの力も借りたくて……多分、私一人だけじゃ切れないから」
「ええ、わたしにできることなら」
「して、どうするつもりかい? キミの印名はあくまでも〈夢切り〉だ。世界を相手にするにしたって、何かしら〈夢〉だと仮定する必要がある。君は何に〈夢〉を見出すんだい?」
「それは……」
ノッテは考える。なぜ見えない人が多いのか。なぜ、自分たちはナイトメアのおかげで見えるようになったのか。
ノッテは「どうかな……」と、みんなに目配せする。
「むかしから、みせちゃいけないっていわれてた」
「ほんとうは、みんなとおはなししたい」
「みんなとおはなしできるなら、それがいい!」
「スィオネは元々願いを叶える生き物だからね、願いまみれの人間は特に相性が良かったのさ。まぁ、限度はあるけどね?」
「ウィスタリアさん……!」
それなら、とノッテはアプリコットに向き直る。
「——私だったら、世界が『見えない状態で眠っている、視えないという夢を見ている』と仮定して夢を切ります」
それは大きな賭けだ。ノッテはまだ世界を相手にしたことはない。それがどんなに大きな〈糸〉になるのか、ノッテはごくりとつばを飲む。
「いいわ、やってみなさい。もしそれが本当に叶うのであれば、私も、そしてオルテンシアも力を貸してあげる」
「本当ですか……!?」
「本当に、それができるなら」
ノッテは強く頷いて、目を瞑った。瞼に思い描くのは、スィオネがみんなに見える世界。今は眠っていて、起きたらみんながスィオネを見ることができる、そんな世界。
ノッテが目を瞑っている間に、繭のすぐそばに木の芽が生えた。そしてそれは大きく育っていき、やがてその芽は一本の大きな樹木となった。ノッテは目を開けて確信する。この真っ白い巨木——正確には、細い糸の束が幹となっているもの——こそが、ノッテがこれから切るべき〈糸〉なのだと。
ノッテはその巨木の前で立ちすくむ。手のひらに収まる裁縫道具のようなアンティークのハサミでは、どう考えても切れないことが明確に、痛いほどに分かってしまったからだ。
「……ノッテさん?」
その様子を不審に思ったシェリーは問いかける。ノッテにしか見えない巨木。けれど逆に言えることは、ノッテに糸が見えたということは……。
「夢の糸が見えました。けれど、それは私一人では切れそうもないんです。両腕を回しても足りないくらい大きな木で」
「うん、ボクにも視えるよ。さすがにそのハサミじゃ無理だ。でもノッテ、逃げるつもりはないんだろう?」
「はい、ありません。だって〈糸〉が見えたということは——切れる、ということだから」
巨木の幹に手を触れ、ノッテは確かめる。これは細い糸の集まりだ。恐らく、今を生きる人々全員の糸なのだろう。それを今、ノッテは切ろうとしている。
ノッテはポーチからハサミを取り出し、まずは普段通り指を通して切ろうとする。が、幹はビクリともしない。次にノッテはハサミを大きく広げ、刃を幹に当ててノコギリのように動かした。
今度はぶち、ぶち、という音がし、二、三本切れたような手応えがあった。だけどまだ巨大な幹には届かない。こんな状態で続けてしまえば先にノッテが疲労で倒れてしまう。
「なるほど。その幹こそがあなたの見る〈夢〉なのね」
そう唱えたのは繭の上でじっと見ていたアプリコットだった。彼女は繭の全てを解き、オルテンシアらしき人影を抱き上げ、繭からふわりと降りた。
「オルテ……!!」
ウィスタリアが駆け寄る。何せ五百年ぶりの再会だ。それでも、世界を変えようとするノッテの方も止めるわけにはいかない。
「手伝ってあげるわ。まずはハサミを大きくすることね。あなたにはそのハサミでしか印名が発動しないようだし、他の人には切れないものだから」
アプリコットが右手を上げ、その人差し指をハサミへ向けると、スィオネたちが力を合わせてノッテのハサミを大きくしてくれた。それはずっしりと重みのある、ノッテの背丈の四分の三はある大きなハサミで。これならもしかすれば。
ノッテはもう一度、両手で柄を持って幹へ刃を幹へと当てようとした。が。
「おっ……重い……っ」
当たり前だ。元々重みのあるアンティークハサミをそのまま大きくしただけなのだから。
「手伝います!」
「ボクも手伝うよ」
「私も手伝うわ」
「……手伝ってやってもいいかしら」
シェリー、ウィスタリア、起きたばかりのオルテンシア、そしてアプリコット。それぞれが左右の柄を持ち上げ、ノッテを支える。
「せ、ぇの…………!!」
幹に刃を当てられたノッテは、ハサミの柄に自分が出せる精一杯の力を込める。そして——。
しゃきん。
甲高い金属音が、世界に響いた。




