第十四話 秘密①
四九六番、異常なし。
四九六番は渡された紙にそう記入すると、バインダーごと白い服を着た大人に返した。
今日も異常なし。大丈夫、自分はまだ生きている。昨日は三二五番が死んだ。一〇二番の両目が機能しなくなった。
総勢五百人の世界中の戦争・天災孤児を使った、多重魔法研究。科学と魔法の結晶。まず生き残ったのは百人ほど。そして生き残ったとしても障害が生まれていく。死んでいく。
四九六番も多重魔法者の一人だ。基本的に何でも出来る。何でも叶えてくれる。妖精……今は『スィオネ』と呼ぶんだっけ……が発見され、透明硬化症を完治するために魔法を用いた療法が発見されて十数年。世界は混乱の渦に呑まれていた。
けれどその魔法は一人一つだけ。もっと沢山の魔法が使えたらいいのにと人類は欲を零して、一から五百番までの戦争や災害で孤児になった子どもたちを集め、実験を始めた。そう、自分たちだ。遺伝子を弄られ、様々な魔法が使えるようになった使い捨ての子どもたち。体の一部、あるいは命をも代償にして。
スィオネと関わるようになって、四九六番は味覚をほとんど失った。元々研究所の食事は味がなかったから特に何とも思わなかったけれど、あの子が来てから変わってしまった。
あの子……オルテンシアが来たのは、自分が五歳くらいのとある昼頃だった。食事を済ませトレーを片付けると、白い服を着た大人達が、自分たちと同じ歳くらいの子どもを一人連れてきた。自分を含めた子どもたちがいる部屋は三方を白い壁で、残りの一方は監視できるようにガラスで覆われていて、そこのドアから、一人の子どもが入ってきたのだ。
その髪の毛に、瞳に、体の全てを奪われた。まるで何かに殴られたかのような衝撃だった。
その子は、真っ黒な髪に青と紫の目をしていた。初めてだった。生まれて初めて、左右で瞳の色が違う人を見たのだ。
「……は、初めまして」
その子どもは緊張した様子で、百人弱の子どもたちに話しかけた。こっちだって緊張する、というか見とれてしまった。あんまりにも、綺麗な黒い髪と瞳だったのだから。
「えっと……あなた、名前は?」
一番端に並んでいた子供に近づいて、話しかける黒髪。名前? 名前なんか訊いてどうするんだろう。
「五十二番」
——子どもたちには『番号』しかないのに。
「……名前、無いの?」
「名前……? 識別番号がある」
「いいえ、いいえ、それじゃあ良くないわ、私覚えられないし、何より……」
その黒髪の子供は全員の前に戻って、見たことの無い表情をした。
「愛情はね、名前を考えるところから始まっているのよ」
その顔は、憎めない顔で、なんだか心があったかくなるような、よく分からない顔だった。目を細めて、口角を上げたその顔は、後に『笑顔』だったのだとボクは知る。
「私の名前はオルテンシア。紫陽花、という意味なの。そうだわ、あなたたちの名前も花の名前にしましょう、お花や植物ならたくさん種類があるし、花言葉もあるの」
「花の名前……?」
「自分にも名前が与えられるの?」
子どもたちがざわつき始める。いつもなら大人が止めるけれど、今日は外から見ているだけだった。それにはとても驚いた。こんなにこの子に自由にさせていいのだろうか、名前を、貰ってもいいのだろうか。
そうしてオルテンシアと名乗った子ども……女の子は、抱きしめていた大きな図鑑を床に広げた。様々な色の花々が、その図鑑には写真付きで載っている。他の荷物がないことから、これが唯一彼女に許された私物なのだろう。自分たちには私物など一切ないが。
「一列に並んで。一人一人、名前付けるから」
最初の緊張はどこへやら、彼女は張り切ったようにまたあの変な顔……に近いけどちょっと違う……そう、自信に満ちたような顔をして、白い子供達を一列に並べた。勿論、並び順は決まっている。識別番号順だ。だから自分は最後に並んだ。
「あなたは……アスターにしましょう、この写真の花。あなたは、そうね、ネモフィラなんてどう?」
そうして一人一人名前をつけていって、最後に四九六番の番が回ってきた。
「あなたは……ウィスタリアにしましょう。藤の花よ。あなたの瞳にぴったり」
ウィスタリア。それが、四九六番に与えられた名前。彼女が持つ図鑑には、綺麗な紫色の藤棚の写真が載っていた。
「それから、自分のことを『○○番』って呼ぶのもやめにしましょう。私、僕、俺、あたし、我……一人称って色々あるの」
「じゃあ二五三番……サクラは『私』にする!」
「十五番……アスターは『僕』がいい」
子供達は次々と自分の意思を持ち始める。名前を与えられたからだろうか。そうして四九六番だけが残って。
「あなたは……ウィスタリアは、自分のことをなんて呼びたい?」
「…………じゃあ、ボクで」
ボクはぶっきらぼうにそう答えたあと、そっぽを向いて歩いて部屋の角に転がっていた絵本に手をつけた。
彼女は「もう時間だから」と言って、最後に一人一人名前を呼ぶとまた目を細める表情をし、大人達に連れられてボクらの部屋から出ていった。
◇
オルテンシアはボクらの一員となった。同じ服を着て、同じ食事を摂り、一緒に勉強を受け、同じスペースで眠る。初めて一緒に昼食を摂った時に、オルテンシアはボクの味覚について指摘してきたんだったっけな。研究所のペースト状の食べ物やらブロックタイプの食べ物やらを「食べ物に見えない」「不味い」と顔をしかめていた。そうして、何もかもが空白だったボクらは自我を獲得し、個性を持ち、すくすくと成長していった。だけど、外から来た彼女に外のことを興味津々にみんなが問うと、彼女は「ごめんね」と苦しい顔をして、外のことは一切話さなかった。ボクはそこだけ、彼女らしくないな、なんて思ったものだ。なぜなら彼女は名前も自我も持ってここにやって来たから。ということは、ボクらのように過去の記憶を自我から消されて放り込まれたわけではないのだ。
……他にも変化はあった。残念なお知らせだと思う。サクラもアスターもアイビーもチューリップもハイビスカスもカトレアもアザレアも、皆死んでしまった。百人弱いたボクらは三分の二を数年の間で亡くし、三十人になった。
死んでしまった理由を、ボクらの体の自由が奪われている理由を、ボクは知っている。
ボクは他の子とは違って特異体質らしく、スィオネを視認することが出来、更に意思疎通も出来る。それはオルテンシアが指摘するまで分からなかったことだ。だって生まれた時からボクにとってそれは当たり前の視界で、当たり前のやり取りだったのだから。
ボクら多重魔法者は、スィオネに恨まれているんだ。元々無理矢理に人間たちが遺伝子を弄って命令を聞くようにしたのだから当たり前だと思う。それでも外の人間が魔法を使っても死なないのは、スィオネたちのほとんどがまだ友好的であるから。けれど、多重魔法者は違う。意思疎通も出来ない人間の言うことをほいほい聞いて沢山の魔法を使えるようにしてくれるほど、スィオネは優しくはない。
だからスィオネは、ボクらの体や心、あるいは記憶、やがて命を代償に、渋々魔法を使うことを許してくれる。死んでしまった子どもたちのほとんどは、魔法をよく使っていた、あるいは使わされていた子たちばかりだ。ボクはそれを知っているから、無闇矢鱈に魔法を使わない。味覚を失ったのは実験で仕方がなく魔法を使うことになった時だ。ボクはスィオネと交渉して感覚の一つをスィオネに与えた。その後しばらくして両足も動かなくなるわけだけれど、スィオネの浮遊でなんとかなっている。スィオネに感覚を奪われて使い物にならなくなった足をスィオネで補うなんて、なんて皮肉な話なんだろうね。
オルテンシアが来て半年が経った頃、上の階へと引っ越した。ずっと大雨が止まないらしく、各地で浸水被害が起きているらしい。ここの施設も例外ではないらしく、大人たちはボクらを連れて上の階へとエレベーターで移動した。全くと言っていいほど同じ壁とガラスに囲まれた窓も無い部屋だったから特に変化はなかったけれど、移動は数ヶ月に一度あり、浸水の被害がどれほど深刻なのかが伺える。
そして、ボクはとあるスィオネから一つの情報を聞き出した。雨を降らせている原因は魔法であり、誰かかは分からないけれど暴走したまま止まらないらしい。そのことはボクしか知らなかったからしばらくは黙っていたけれど、大人達は勘づいていたみたいだった。
「魔法なんて、無ければよかったのかもしれないね」
「……ウィスティ?」
「スィオネは怒ってる。人間達が無理矢理に手を伸ばして掴んで好き勝手こき使って、おまけに自分達の欲しか考えていないボクらを生み出して。人間なんて滅んでしまえばいいのに」
「ウィスティ……」
オルテンシアはボクを憐れむような目で見た。その目は、嫌いだ。……嫌いなんだ、何もかも。
ボクらを好き勝手に実験体として扱う白い服の大人達も、突然現れて外の世界を教えに来たオルテンシアも、灰色のこの服装も、真っ白な壁も、ガラス越しに見える廊下も、もう記憶にない外の世界も、人間も、何もかもが嫌いだ。
ボクや子供達が魔法を使えば、この世界は一瞬で吹き飛ぶ。それが出来ないのは、この壁に囲まれているから。この壁は魔法を阻害する……スィオネの活動を阻害するように出来ている。科学の結晶だ。この壁さえなければ、ボクは————ボクは、何がしたいんだろう。
五歳の時初めて見たオルテンシアは、ボクら子どもたちが持っていない『色』を持っていて、それが、ボクらの『色』になったような、そんな気がしていた。真っ白で何も無かった無機質な研究所が、色付いた気がした。
ボサボサだった髪を切ってもらって、整えてもらって、三つ編みを教えて貰って、花の名前も、花言葉も、何もかもを教えてくれた。
だけどオルテンシア、キミがここに来た本当の理由は。単純にボクらのこの窮屈な世界に巻き込まれたわけじゃないんだろう?
後からやって来たオルテンシアだけが特別で、ボクらは替えが利く実験体。ボクらのことを名前がつけられたのに名前で呼ばない研究員が、オルテンシアのことだけははっきりと名前で呼ぶのが何よりの証だった。
彼女はうまく隠していたみたいだけれど、ボクは見てしまった。彼女は黒い首輪をしていた。あれはただのチョーカーじゃない。スィオネが本能で嫌がっている。スィオネが力を貸したくても貸せないように。
オルテンシアは外の世界の他に、自分の魔法のことについても一切喋らない。だから、もしかしたら魔法が使えないのかなと最初は思っていた。
この『奇跡の遺伝子』には治したくても治せなかった欠陥があって、体が十六歳になる前に魔法が使えるようにならないと、つまり十六歳までに遺伝子が活性化しないと、一生魔法が使えない人間になる。魔法という大きな存在に気付いてしまった人類にとって魔法が使えないということは大きな損失なんだ。オルテンシアはまだ十六歳には見えない。……その無邪気さから幼稚だと思ったのではなく、ただただ客観視して外見がそう見えないのだ。だからまだ時間はある。
だけど、それは違うんだ。
オルテンシアは魔法が使えないわけじゃない。大人に魔法を封じられているんだ。どんな魔法が使えるのかは知らないけれど、それはボクらや、大人たちへの切り札なんじゃないかとボクは思う。だってこんなにもスィオネが騒いでいるのだから。
「たすけて たすけて あのこをたすけて」
「くびわ じゃまなの はずしてあげて」
もしスィオネたちの言うことが本当なら、あの首輪は封印そのものだ。オルテンシアがどんな魔法を持っているのかは分からないけれど、封印しなければここにいられないほどの強力な、何かだ。
それが分かるのはもう少し先……十五歳くらいになった頃になる。




