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花紺青の結び目  作者: 待灯羊南
第十三話 〈嘘つき〉の魔女
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第十三話 〈嘘つき〉の魔女⑤


 何日もかけてシェリーからの手紙を読み終えたノッテは、なんて声をかけたらいいのか迷って、ようやく言葉を一つ吐き出した。


「そっか、シェリーちゃんは本当に……多くの旅をしてきたんだね」


 ある程度の覚悟はしていた、が、まさかここまで衝撃的な事実だとは思っていなかった。一体誰が想像出来ただろう。〈不老〉に隠された真実と、不老に至るまでの過程、その全てが書かれていたのだから。


 シェリー——カノープスのこと、シリウスのこと。そしてノッテが香り袋を奪われた相手こそが……、


「ナイトメア……」

『ええ、恐らく。でも不思議なんです、どうしてノッテさんは襲われなかったのでしょう』


 確かにシェリーの書いた手紙通りなら、手当り次第に襲っていてもおかしくない。ノッテも対象の一人になっただろう。

 香り袋がシェリーのものだったから助かったのか、それともルナの歌が届いていたのか。どの道行ってみないと分からないことに変わりはない。


 しかし、ノッテに何ができるのだろう。あの獣は何を求めていたのだろうか。


「ずっとまってる、あのこをたすけて。か……シェリーちゃんはどうしてナイトメアがそんなこと言ったんだと思う?」


 何度か訊いたその問いにシェリーはやはり首を振った。そもそも分かっていたらここまで二人で悩むこともないだろう。根本的な何かを見落としているような、そんな気がする。


「もうすぐスランド地方に入りますよぉ」

「あっ、はーい!」


 ムジカさんの温かな声が聞こえ、ノッテは返事をする。


 その時だった。


「きゃあ!」


 大きな悲鳴、そして次に襲いかかる衝撃。どうやらムジカは急に船を止めたようだ。


「ムジカさん! 大丈夫ですか!?」


 操縦席にいるムジカに問いかけるノッテ。ムジカは席からはやや飛ばされたものの意識はあるようで、上体を起こして何かを見ている。彼女の目線の先には……、


 あの大きくて白い魔物——ナイトメアが、行く手を阻むように立ち尽くしていた。


「みつけた みつけた あのこのにおい」


 ナイトメアはそう言ってずるずるとノッテたちの乗っていた船の後方——今はシェリーただ一人が身を潜めている場所——に近づいていく。


「シェリーちゃん! 危ない!!」


 今一番ナイトメアと縁があって襲われる可能性が高いのはシェリーだ。が、ノッテの足はすくみ、びくともしない。


「ごめん、シェリーちゃ……」

「——大丈夫だよ」


 ふと、中性的な声がノッテの鼓膜を震わせる。隣にはムジカが、ナイトメアを見つめながらノッテの肩を叩いた。ムジカから出たとは思えない声帯、そして言動。ノッテは肩を叩かれたことで緊張が解け、我を取り戻す。


 船の客室から出てくるシェリー。ナイトメアと鉢合わせる。が、襲われる様子はない。


「ね、大丈夫だって言っただろう?」

「あなたは……ムジカさんじゃ、ない……?」

「あれ、まだ姿を変えてなかったか、これは失敬」


 彼女は木の杖をひと振りすると、その人物は光を(まと)い変化していく。そうして光が閉じた頃、ナイトメア越しにノッテとムジカを見ていたシェリーは、大粒の涙をこぼし始めた。

 そこに立っていたのは、ふわりとした短い白髪と藤色の瞳をした両足義足の人で。


「さてさて、自己紹介といこうか。ボクの名前はウィスタリア。ここ最近はムジカという女性を装っていたわけだけど……よろしくねノッテ。そして……」


 コツ、コツ、と木製の義足が床を鳴らす。向かうはナイトメアに近づかれたシェリーの元へ。


「久しぶり、シェリー。元気にしていたかな」


 シェリーはナイトメアの横を通り抜け、駆け足でウィスタリアに抱きつく。そのままウィスタリアはバランスを崩して倒れ込み、シェリーは馬乗りになってウィスタリアにぽかぽかと拳を振り下ろしていた。


 それはまるで「どうして置いていったんですか!」という怒りと、再び出会えた嬉しさが混ざり合ってどうしようもない感情をぶつけるように。


「ウィスタリアさん、ですよね。シェリーちゃんからお話は伺っています。あのナイトメアは……大丈夫、なんですか?」


 シェリーはぽかぽかと殴る腕を止め、うんうんと頷く。


「ナイトメア……? あぁ、そういうことか、あれはナイトメアじゃない。シェリーの〝スィオネ〟だよ」

「すぃ……おね……?」

「そうか、ボクはシェリーにすら話していなかったのか。まぁここまでうまくいくとは思っていなかったから……うん。ちょっと話に付き合ってくれると助かるな」


 ウィスタリアはそう言って起き上がると、この世界の神秘について話し始めた。それは、この世界の、ノッテたちの常識を根底から覆すもので。


「この世界はね、というか印名は、スィオネという妖精が願いを叶えてようやく叶う力なんだよ。ノッテ、キミのすぐ隣にもいるんだ。ユメヒツジという妖精が」

「……あ」


 ノッテはファルファラがそんなような話をしていたのを思い出す。あの話は本当だったのだ。


「それってもしかして、羊に翅が生えたような見た目をしていたり……しますか?」

「うん、してるよ。どうやら話くらいは聞いたことがあったみたいだね。ほとんどの人がお目にかかれない、スィオネという目に見えない生き物。ボクらの印名は彼らの力によって成り立っているんだ。まるで、魔法使いが妖精に魔法の手伝いをお願いするようにね。印名はそれを無理矢理簡略化させただけに過ぎない」


 最後の方の言葉にはやや棘があり、ウィスタリアが怒っているようにノッテには感じられた。


「もしかして、ウィスタリアさんってスィオネ……さん? が見えるんですか?」

「見えるよ。これは生まれ持った体質によるものだから、キミたちが見れないのも無理はない。ところで……そろそろ本題に入ってもいいかな」

「本題……?」

「キミたちはシェリーとシェリーのスィオネである彼を助けるためにここに来たんだろう?」


 そこでノッテはここに来た本当の理由を思い出した。しかし新たな疑問も浮かぶ。


「そのスィオネって生き物たちは目に見えないんですよね、どうしてシェリーちゃんのスィオネはこうして実体が見えるんですか?」

「随分いい質問をしてくるね、キミ。まぁここはボクがいないと通訳できないからするとしようか。それがキミたちがここに来た理由にも繋がるわけだし……ところで、話は伺っているというのは、どこからどこまでの話だい?」

「シェリーちゃんがカノープスという少女だったこととその顛末、ウィスタリアさんに出会って別れたところまでです」

「なぁんだ、全部じゃないか! シェリーはようやく、信頼できる人を見つけられたんだね」


 ウィスタリアは本当に嬉しそうに、懐かしそうに藤色の目を細めて微笑んでいた。ウィスタリアの言葉を聞いたシェリーは顔を赤らめて恥ずかしそうにしていたが、こちらも嬉しそうににこやかに微笑んで頷いた。


「さて、話を戻そうか。シェリーのスィオネである彼は、シェリーがいなくなってからはナイトメアの代わりをしていたんだ。大勢の人間を殺すなんて大技、叶えようにも一瞬では死なせられないのが現実。幼い少女の印名では尚更だ。だからシェリーから指示を受けた彼はとある形でシェリーの〈願い〉を叶えようとした。それが、ナイトメアの代わり、さ。

 彼は村の人たち全員を仮死状態にし続けることでシェリーが願った理想の死へ近づけたんだ。最も、寿命は進むから今掘り返したところで誰も生きてはいないけれどね」


 さらさらと紡がれていく言葉にシェリーは一喜一憂し、悲しそうに目を閉じた。

 ウィスタリアの言葉は続いていく。


「と同時にシェリーは彼にもう一つ呪いをかけてしまった。声を失わせたことだ。ボクの治療を受けたなら声帯を損傷しても声も元に戻るはずだった。だけどシェリーは声が出せない。それはなぜか? その願いを叶える存在が今もここにいるからだよ」


 そう言ってウィスタリアはナイトメア……もといシェリーの妖精(スィオネ)を指差す。その獣はウィスタリアに「おいで」と言われて、ノッテたち三人がいる方へのしのしとやってきた。そこにはもう、恐怖はなかった。


 そこでシェリーはとある疑問を浮かべる。シェリーの印名は、〈嘘つき〉——声に出して〈嘘を言うと叶う〉だったはずだ。シェリー、もといカノープスは全員を埋葬した後に自らの手で首にナイフを刺した。それだけだったはずだ。声をなくしてほしいとは口にしていない。そこに印名として「声を出なくする力」が働くのはおかしい。


 シェリーがそのことをウィスタリアに問うと、ウィスタリアは「うーん」と少し悩んだ様子で、告げる。


「ごめん、実はシェリーの印名は〈嘘つき〉じゃないんだ。あの時はペトリもクラルテもいたから本当のことは言えなくて……長い間苦しめたよね、ごめんね」

『じゃあわたしの本当の印名は……?』

「それも今は教えられない。教えるのはひと仕事終えてから、かな」


 そう言ってウィスタリアはノッテへと目線を移す。


「〝ナイトメア〟はね、遠くの言葉で〝悪夢〟を意味するんだよ。ナイトメアになった彼とシェリーの縁——夢を切れるかい、ノッテ」


 そうすればシェリーの声がもとに戻り、ナイトメア自身も役目を終えられる。そうノッテが思った時、ナイトメアとシェリーを結ぶ一直線の太い糸が見えた。


「たすけてくれるの?」


 ナイトメアはシェリーを見て、それからノッテを見た。そこでノッテは、ファルファラの印名を切った時のことを思い出す。今からやることは同じことだ。シェリーと妖精との縁を切る、印名を切るのだから。


「私に出来ることなら」


 シェリーも頷いてくれている。どうか彼を苦しみから開放させてあげてください、と言うように。


 ふと、ノッテは考える。

 シェリーの印名が嘘を叶えることだとしても、その嘘はどこからどこまでを含むのだろう?

 例えば。一瞬の激昂で口走ったことが、その一瞬の本音だとして。後で「言うんじゃなかった」「本心じゃなかった」と悔やむこと。それは、どこからが本心で、どこからが嘘なんだろう。


 本当の気持ちなんて、移り変わるものだ。

 本人でさえ、雲のように掴めないものだ。


ぼく(きみ)はもう、大丈夫だよ」


 ナイトメアが(ささや)く。ノッテはハサミを取り出して、その太い太い、三百年の願いを切り落とした。


 しゃきん。


 呪いは解けた。だからもう、大丈夫。

 その瞬間、シェリーの口から、嗚咽がこぼれた。


「あ、ぁ……う、ぁ」


 それはとってもたどたどしくて。

 きっと初めて声を出した赤ん坊よりも下手っぴで。

 下手っぴなのは、純粋に泣けないから。我慢することを知ってしまっているから。

 でも、確かにそれは、一人の少女の声だった。


「しあわせに、なった?」

「え……?」

「ぼくのねがいは、きみにしあわせになってもらうこと。〈嘘つき〉だけど、やさしいうそをついたきみだから」

「ありがとう、わたし、幸せだよ」


 温もりも、寂しさも。その全てをシェリーは抱きしめて言う。


「それからきみも、ありがとう。これはぼくからの、おくりもの」

「え?」


 ノッテとシェリーの視界が光に包まれ、眩しさのあまりノッテは目を瞑った。明かりがもとに戻った頃、目を開けると……、


 ——そこには、見たことのない生き物たちであふれている景色が広がっていた。


 そばに目をやるとユメヒツジと特徴が合致する羊の生き物がノッテに擦り寄る。ふわりとした毛並みをそっと撫でると、それが実態を持っていることが確認できた。


「これ、は……」

「——驚いた、まさかそんなことが起きるなんて……やっぱりキミに頼んでよかったよ。つまりキミたち、スィオネが見えるようになったんだろう?」


 ウィスタリアの問いにノッテとシェリーは頷いた。見渡せば、数え切れないほどの知らない生き物がノッテの周囲に漂っている。勿論、話し声も聞こえてくる。


「あたらしいまほうつかい」

「ウィスティのおともだち?」

「うれしい うれしい」


 ノッテは開いた口が塞がらなかった。


「この子たちが……」

「そうだノッテ。ライアーは持っているかい? それで彼らと意思疎通ができるはずだ」


 そこでノッテは「あ」と声を上げた。

 ルナが言っていた「誰かに届ける歌」がもし、彼女が見えていなかったスィオネに届けるための歌だったのなら。

 ノッテはカバンからライアーを取り出して調律する。さっきの急停止で壊れているかとも思ったが、荷物を咄嗟に抱きかかえていたおかげで無事だった。このライアーはなんとしても失くすわけにはいかない。ルナが遺した唯一の宝物だから。


「ら、らら、ららら……」


 ノッテは歌い出す。ルナが教えてくれた祈りの歌ではなく、アレンジを加えた感謝の歌を。柔らかな旋律に任せ、言葉を紡いでいく。


「わたしはここにいるよ」

「ぼくもいるよ」

「みんないっしょ ずっといっしょにいたよ」

「じょおうさまも きっとゆるしてくれるよ」


 そうか。そういうことだったのだ。

 印名をスィオネのものだと知らずに身勝手に使っていたこと。それを何百年以上、下手をすれば人類が生まれ落ちてからずっと使っていたこと。

 ねぇ、ルナ、少し分かったよ。あの本の秘密。ノッテはもう会えない彼女へと祈りを捧げる。


 見えない誰かに赦しを乞う歌は、スィオネや、そして彼らの女王様のためにあったのだろう、と。


       ◇


「ありがとう、ノッテ。シェリーを、ナイトメアを助けてくれて」

「いえ、私に出来ることでよかったです。あの、唐突で申し訳ないんですけど、ウィスタリアさんに色々聞きたいことがあって……」

「だろうね。キミが知りたいのはスィオネのこともそうだし、透明硬化症のこともそうだろう。何せボクはずっと()()()()からね」


 全て見透かされていることにノッテは驚きを隠せない。もしかして、スィオネにはそういう〈見透かす〉なんて印名もあるのだろうか。ウィスタリアは何でも使える魔法使いのようなものだとシェリーの手紙にも書いてあったし。


 見透かされているなら話は早い。隣で発声練習をしていたシェリーも頷いて、「ウィスティ」と彼を呼んだ。


「教えてください。透明硬化症のことを。知り合いがなってしまってどうしたらいいのか分からないんです」


 ハクのことだ。クラルテ、そして見透かしていたというルナの前例から、ウィスタリアなら何か知っているのかもしれない。そう、期待して。


 しかし帰ってきた言葉は、半分予想はしていたものの、やはり衝撃を受ける事実だった。


「あの病気は、進行を遅らせることも治すこともできないものなんだ。ただ、〈無印〉の人が花に触れた時〝奇跡〟を失って発症するとしか……」


 やはりあの花が発症源だったのだ。そして、もう後戻りはできないという事実。


「ウィスティ、本当に……本当に、クラルテさんも、ハクさんも助からないんですか、助からなかったんですか……?」

「ルナだって、自分を犠牲にして結界を修復するしかなかったんですか……!?」

「……うん。それはこれからも続いていくだろう。()()()()()()()

「今の……ままでは?」


 随分と含みのある言い方だ。まるで、この先には全員が助かる方法があるような。


「キミたちの力が必要なんだ。お願いだ、力を貸してほしい」


 ウィスタリアが腰を折って懇願する。それを見たスィオネたちも集まって、


「おねがい」

「おねがい、あたらしいまほうつかい」

「おひめさまをたすけて」

「たすけて、たすけて」

「おねがい……」


 ここまで頼られては断るものも断れない。最も、シェリーもノッテも断るつもりなんて最初からなかったのだが。


「もちろんです。私に何ができるか分かりませんが……」

「ウィスティの願いは断れませんよ」

「じゃあ聞いてくれるかい、ボクの、ボクらに隠された世界の秘密を」


 ウィスタリアは船の客室に座ると目を瞑った。

 それから始まるのは、今から何百年も昔の話。

 遠い遠い、この星の過去の話だった。

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