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花紺青の結び目  作者: 待灯羊南
第十一話 夜の守り人
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第十一話 夜の守り人②

「のんちゃん、のんちゃん、朝だよ」

「う、うーん、あと五分だけ……」

「ライアー練習の量、百倍にしちゃうよ」

「それは……ちょっと勘弁……」


 春の日差しが暖かく降り注ぐようになった頃。ノッテのライアー弾きはルナと遜色ないほどに上達していた。残りの三ヶ月もあっという間に過ぎ『あの日』が近づいてくる。しかし、三ヶ月前に出された課題の曲だけは未だに何度もダメ出しをされていた。


「『届ける』だけじゃなくて『何を伝えたいか』だよ。「おーい」って呼ぶだけじゃ「呼んでみただけ」で、何回もされたら嫌でしょ?」

「それは……そうなんだけど……」


 ノッテは何度もあの本を読み返した。しかし書かれている事自体があまり深く理解できず、どうしてもそこで思考が止まってしまうのだ。私たちが遠い昔に何か悪いことをしてしまったのだろうか。争うとはなんのことなのだろうか。


「のんちゃん、手、止まってる」

「う、ごめん……やっぱりアレンジを加えてその人のオリジナルにするのって難しくて……」

「そうだよね……僕も分からないことだらけだから、これ以上は教えられないんだ。でも、きっと明日には何か掴めるんじゃないかな」


 明日。それは約束の日。「のんちゃんと一緒に朝日が見たいんだ、いいかな……」というルナの意向により約束の時間は早朝となっている。


「のんちゃんの手も止まったし休憩にして、僕たちの一族の話をしよっか。まだ話してなかったよね、僕たちの一族のこと。僕たちの一族は『夜守人(よもりびと)』って言ってね、だからこうして顔や皮膚を隠して活動しているんだ」


 素顔が見せられなくてごめんというのは最初に出会った頃に聞いたことだ。ノッテもそれを了承している。布の隙間から見える黄色の瞳が申し訳なさそうにしていたこと、そして話していくうちに喜怒哀楽がはっきりしていて打ち解けやすかったルナの性格のおかげだ。

 ノッテだって羽耳族の民族衣装を着ているのだから、咎める理由などノッテにはなかった。


「夜守人……夜を守る人?」

「そうそう。一族で代々夜を守る、昔からそうなんだ。何を言ってるか分からないと思うけど……」


 それはまるで、かつて読んだ『夜明けの歌』という絵本のようで。夜を連れてくる少女と朝に外に出られない少年の話。ノッテのお気に入りの本の一つだった。あの女の子は元気だろうか。


「今日はこれでお休みにして一緒にお出かけしようよ。二人で結界を抜けなきゃならないし……」

「……その、本当に二人で抜けるの? 護衛とか……」

「のんちゃんのことは僕が守るよ。だから安心しててほしいな。絶対に守るから」


 その言葉には妙な安心感があった。もしかしたらルナの目力に押されただけかもしれないが、その瞳には確かな信念があったのだ。


「……分かった。信じるよ」


 ノッテは夢を切ることしかできない、戦力外だ。それはライアー弾きのルナも同じだろうと思っているのだが。

 意識についてはこちらもルナが起こしてくれるのだそうだ。そこでノッテはルナが〈無印〉であることを改めて思い出した。すっかり溶け込んで忘れていたけれど、彼女は確かに出会った頃に〈無印〉だと言っていた。〈演奏〉や〈音感〉の印名などを持っていてもおかしくはないはずなのに。もしかしたら夜守人は〈無印〉の一族なのかもしれない。


 そうして一晩眠った次の日の早朝。


「のんちゃん、のんちゃん、起きて」

「うん……」


 寝ぼけ眼をこすり、ノッテは伸びをしてベッドから出る。まだ外は暗く、紺色の空が窓から覗いていた。


「準備できた?」

「うん。いつでも行けるよ」


 上着を着てマフラーを巻き防寒対策をするノッテに対し、ルナはいつも通り布を巻きライアーを片手に持った軽装備だ。


「寒くないの?」

「大丈夫だよ、布の下に色々着てるから」


 ルナは手を差し出してノッテを誘う。ノッテはその手を取り、一緒にテントを出た。

 結界の境界線はすぐそこまで迫っていた。




「のんちゃん、寒くない?」

「大丈夫」


 声をかけたルナの声が微かに震えていた気がして、ノッテは手を握り返す。ここにいるよ、大丈夫だよ、と伝えるつもりで。

 そうして二人は、結界の外へ一歩踏み出した。


「——助けて」


 まただ。またあの感覚。

 雲行きの怪しい灰色の空の下。植物もまばらでほとんどがしなびれており、そしてなによりもひんやりとした空気の、生きた心地のしない感覚の世界。


 結界を出た瞬間は合図されずともはっきりと分かった。今まで覆ってくれていた柔らかく温かい膜がぱちんと突き破られるように、冷たい空気が肌を刺す。凍りつくような冷たい空気を吸うと、肺の奥まで凍ってしまったような感覚に陥る。しかし冷たくとも空気を吸わなければ人は死んでしまう。だがそれを上回る恐怖、そしてそれを直感した途端ぐわんと脳を振り回されたようにノッテは気絶した。


「のんちゃん!」


 そう叫ばれてノッテは意識を取り戻す。あぁよかった、また元に戻ってこれた。そう思って息を整えている間に、ルナはライアーを取り出し、静かに構えた。


「ら、らら、らら、ら……」


 ルナは歌い出す。歌うのはノッテが聞いたことのない歌だった。代々伝わる民族歌謡のような、寂しくて温かい、心地の良い歌。


「〝結べ 結べ 遠い遠い 過去より今へ〟」


 するとどうだろう。立ってライアーを奏でる彼女の足元から植物が芽吹き始め、天は呼応するように雲が割れ、夜明けが顔を出す。


 結界の奥から何かが近づいてくる。それはまるで四足歩行の動物に黒い煙をまとわせたような生き物で、ノッテは一瞬で魔物だと分かった。


「あれが、魔物……!」


 ルナの歌は止まない。魔物の方はルナの歌声に耳を傾けているのか、こちらを襲ってくる様子はなかった。ただ恐ろしいほどの殺意の込められた真っ赤な瞳にノッテとルナは射抜かれている。ルナの歌がここで止まれば確実に彼らは襲ってくるだろうとノッテには感じられた。


 不意に強い春風が訪れ、ルナの纏っていた布が解けて飛ばされる。そこでノッテは初めて、ルナの本当の姿を目にした。ノッテは息を呑んで彼女を見つめる。驚いて声も出ないほどに、それは目の前の魔物を忘れるほどに恐ろしく美しかったからだ。

 体のほとんどが結晶化が進み、顔の右半分はすでに水晶のように透き通っている。それは両腕両足もおなじで。——ルナはハクの症状と同じ、否、ハクの行く末のような、透明硬化症を患った一人だったのだ。


 それでもルナの音色は止まない。やがてその場の枯れた土地が緑で満開になった頃、ルナは最後の一音を鳴らして静かにお辞儀をした。今にも襲ってきそうだった魔物はまだすぐそこにいるが、じり、じり、と後退しつつある。ルナの歌の影響だろう。


「今まで黙っててごめんね。こんな姿だから引かれると思ったの。それに、朝日を浴びられないのは本当なんだ。ほら、」


 開け放たれた天の朝焼けに手を透かすと、ルナの手の輝きは増し、やがて、きらきらと溶けていった。手だけではない。体のほとんどが顕になった今、ルナは言葉通り〝消えかかって〟いた。


「僕の一族はね、代々星を飲んで結界を結び直すのが仕事なんだ。だからもう大丈夫。ここはもう、結界の中だ」

「全然、全然大丈夫じゃないよ……!」


 目の前で人が消えていなくなってしまう。切羽詰まった状況の中、ノッテは唯一自分ができる方法を思いつく。


「私が、この手であなたを、あなたの〝夢〟を、」


 しかし消えかかっているルナは首を振って、


「だめだよのんちゃん、これは僕に唯一任された仕事なんだ。それに、僕が夢だと思っていない限り君の印名は発動できない。そうだよね」

「そんな、そんなのって……!」


 ルナはノッテの印名の特性すら見抜いていたらしかった。ノッテは狼狽(うろた)える。

 ぼろぼろと涙を流しながらノッテはルナの懐に飛び込み、彼女を抱きしめようとする。しかしもう姿かたちは覚束なくて。


「このライアー、のんちゃんが持ってて。僕にできなかった『誰かに届けること』を成し遂げてほしい。お願いだ」

「わかっ、た」


 ぐずぐずになって喋れなくなったノッテに、ルナは最後の別れを告げる。


「ありがとう夜の子(ノッテ)。僕にとって夜明けは、そこに居られない時間の始まりだった。あぁ同じ人間じゃないんだ、って痛感する、苦しい時間だった。だからね、数多くの夜はあれど、こんなに嬉しい夜明けは初めてだよ。こんなに、こんなに綺麗なものだって気づけたから、知ることができたから。悲観しないでね、これでいいんだよ。

 お願い、忘れないで。僕にとって今日は、とっても素敵な日だったんだ。こんなちっぽけな僕のこと、忘れないでいてくれたら。そしたら、溶けてしまうとしても、僕は嬉しいよ」


「うん、うん……! 絶対、絶対忘れないから、ライアーも完璧に弾けるようになるから……!」


 きらきらと夜明けに溶けていく、消えていく。

 朝が来た。

 そうして残ったのは、消えていった彼女のライアーを抱えて涙をこぼすノッテ、ただ一人だけだった。

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