第9話 覚悟
※本作は一部に生成AI(ChatGPT)による言語補助を活用していますが、ストーリー・キャラクター・構成はすべて筆者が作成しています。
ご理解の上でお読みください。
1
夜の空気はひんやりとして、半地下の部屋には虫の音が遠く響いていた。
ピッピのバイト先兼家の洗面所。狭くて古びた鏡の前に、ハナはひとり立っていた。
明かりは小さな魔力球ひとつ。ぼんやりと光るそれに照らされて、ハナの髪が静かに揺れていた。
鏡の中には、長い黒髪の少女がいた。
あの屋上での決意──悔いを残さず戦うと誓った気持ちは、胸の奥に今も強く燃えていた。
でも、それだけでは足りない気がした。
「変わらなきゃ、ね」
ハナはそう呟いて、手にしていた小さな鋏を持ち上げた。
迷いはなかった。
──シャキン。
──シャキン。
音だけが、空間を静かに切り裂いていく。
肩まで落ちた黒髪が、洗面台の上にふわりと積もった。
息を吸い、そして吐く。
まるで何か重いものが、少しだけ身体から剥がれ落ちたような、そんな感覚だった。
ハナはそっと鏡に微笑み、部屋を出た。
•
「……ハナ?」
ピッピの部屋に戻ると、先に寝ていたユウとピッピが同時に顔を上げた。
そして、一瞬言葉を失う。
月明かりに照らされたハナの姿。
長かった髪はばっさりと切り落とされ、首元がすっきりと露わになっていた。
短くなった前髪の隙間から、彼女の真っ直ぐな瞳が覗く。
そこにはどこか凛とした光が宿っていた。
「ちょっと、さっぱりしてきたの」
ハナは照れくさそうに笑った。
ピッピがぽかんと口を開けたまま、「え、マジで? それ、自分で?」と聞き返す。
ユウは目を瞬かせ、「……すごく、似合ってると思うよ」と静かに言った。
「ありがとう」
その言葉に、ハナはほんの少しだけ、嬉しそうに目を細めた。
そして誰もが、明日がただの“次の日”ではなく、きっと大切な一日になることを、心のどこかで感じていた。
2
「もうすぐ始まるね」
ピッピがチキン屋の厨房から顔を出しながら、店内のテレビを見上げた。
ユウはカウンターの端に座り、ドリンク片手にうなずいた。
「うん。ハナはきっと大丈夫だよ。昨日の顔、すごく覚悟してた」
テレビの中では、敗者復活戦の特設ステージがすでに映し出されており、司会者が軽快に今日の見どころを語っている。
そのとき、カラン、と店のドアが開いた。
入ってきたのは、一人の若い女性だった。赤子をおぶい布で背負っており、見るからに旅装束のような簡素な服に身を包んでいた。
「……ここ、ピッピさんのお店ですよね?」
ピッピはすぐに顔を上げた。「あ、うん、そうだけど……?」
「よかった……ずっと探してて。ハナさんもここにいるって噂、聞いて」
その女性は、どこか疲れてはいたが、目元は真っ直ぐで温かい光を湛えていた。年齢はハナと同じか、ほんの少し上だろうか。
彼女の背には、眠たげに瞬きをする赤ちゃんの姿があった。
ユウはすっと立ち上がり、彼女を見つめた。その時、ふと気づく。
右手の薬指──が、なかった。
彼女はそれに気づいたように、小さく笑って見せた。
「ああ、これ。事故。昔の……」
「ご、ごめんなさい……ぼく、じっと見ちゃって……」
「いいの、慣れてるから。ねえ、お願いがあるの。今日のハナさんのステージ……ここで、テレビで見させてもらえない? 本当は生で観たかったんだけど、この子がいるから……」
ピッピとユウは顔を見合わせ、そしてすぐにうなずいた。
「もちろん! そこ、座って!」ピッピが慌てて椅子を引いた。
「ありがとう。本当にありがとう……」
女性は赤子をあやしながら、ゆっくりと腰を下ろした。
その表情には、安堵と、何か込み上げるような感情が滲んでいた。
「……私、桃木蘭の出身なの。だからね、周りからはハナさんのこと、あまりよく言われてなかった。参加するなんて……って。でも、私は……あの子が歌ってる姿を初めて見たとき、素直に感動して……それからずっと応援してた」
ピッピは驚きと共に、じっと彼女の顔を見つめた。
「……嬉しい。きっと、ハナも……それ、聞いたら喜ぶと思う」
その瞬間、テレビの司会の声が高ぶった。
「──それでは次の出場者の登場です! 桃木蘭出身、ハナ!!!」
画面が切り替わり、ライトの海の中、短くなった髪の少女がステージに姿を現す。
静かに、けれど毅然と、彼女は歩を進めていく。
店内は自然と静まり、3人と赤ん坊の視線がテレビへと集まった。
まるで、その瞬間だけは、世界のすべてが彼女を見守っているようだった。
3
ステージに立ったハナは、ひとつ大きく息を吐いた。
ライトがまぶしい。客席は暗くて、誰がいるのかもわからない。けれど、何千という視線が自分ひとりに向かっているのは、肌でわかる。
音楽が始まった。
イントロのピアノが静かに会場を包む。
彼女は唇を開き、歌い出す。
張り詰めたような静寂の中、彼女の声だけが真っ直ぐに響いた。
──最初、客席の反応はほとんどなかった。
拍手も声援もなく、ただ「観る」ことに徹しているような空気が流れていた。
だが、それはすぐに変わっていく。
サビに差しかかった瞬間、彼女の声に力が乗った。
胸の奥にある何かが、叫びのように音となって飛び出す。
客席の一角から、小さく拍手が起きる。
それは少しずつ広がり、やがて誰かが歓声を上げた。
「──いいぞ!」
「ハナ! がんばれー!」
ひとつ、またひとつとその声は増え始めた。
それは波紋のように広がり、ステージを盛り上げる。
曲が終盤に差し掛かるころには、観客の熱気は爆発していた。
ハナの力強い高音が会場全体を突き抜けた瞬間、割れんばかりの拍手と歓声が彼女に注がれた。
最後の音が鳴り終わる。
ステージに立つハナは、少し息を切らせながら、それでもまっすぐに前を見ていた。
眩しい光の中で、彼女は静かにお辞儀をする。
──そして、結果発表のとき。
司会の声が響いた。
「敗者復活戦──勝者は……ハナさんです!」
爆発するような拍手。
観客席が総立ちになる。
ハナはその場に立ち尽くしたまま、ゆっくりと目を見開いた。
勝った──。
一瞬、信じられないような表情を浮かべ、
やがて、彼女は静かに、けれど確かな喜びを込めて微笑んだ。
4
やったぁぁああ!!」
ピッピが両手を突き上げ、チキン屋の厨房に歓喜の声が響いた。
ユウも隣で笑顔を浮かべながら、「すごいよハナさん……!ほんとに……」と感動したように呟いた。
「よくやった……!」店主までもが、割った卵をボウルに落としながら思わず唸る。
勝利の瞬間、店内にいた全員が立ち上がりそうなほど興奮していた。
──そのとき。
「ふえぇぇ……っ!」
女性の腕の中から、赤ちゃんの泣き声が響いた。
「わっ、ごめんね、ごめんね、びっくりしたよね……」
赤ちゃんを胸に抱いていた女性が、焦りながらも柔らかく揺らす。
「あ、うるさくして……すみませんっ」ピッピが頭を下げると、女性は微笑んで首を振った。
「ううん。驚いただけ、だと思う」
そう言って、彼女は背負った赤ん坊の頬にそっと指を這わせながら話し始めた。
「この子……私とは血が繋がってないの」
ユウが少しだけ驚いた顔で見上げると、彼女は続ける。
「生まれた直後に、彼のお母さん……亡くなってね。
彼女は、私と同じ部隊にいた仲間だった。名前も、顔も、ちゃんと覚えてる。だから私は……この子に、生きていてほしかった。
ふたつの国がひとつになって、まだ混乱ばかりだけど……それでも、希望があるって信じてる。
この子が大人になる頃には、もっと自由で優しい国になってたらいいなって。だから……頑張りたいの」
赤ちゃんは次第に泣き止み、彼女の背にすやすやと眠る。
テレビ中継が終了し、司会の明るい声がフェードアウトしていく。
女性は赤ん坊の頭を優しくなでながら、ユウとピッピに向き直った。
「ありがとう。本当に……ありがとう。ハナさんに、ちゃんと届いてたんだね。
私、そろそろ行くね。……また、会えたら」
そう言って、彼女は深く頭を下げ、店を後にした。
静かになった店内に、一瞬だけ余韻のような静けさが流れる。
「行こっか」
ピッピが口を開く。
「うん」ユウも立ち上がり、スマホを胸ポケットにしまい込んだ。
2人は連れ立って、チキン屋の扉を押し、夕暮れの白無窮へと出発した。
──勝利の報せを、彼女に伝えるために。




