空から降る少女
最終校正日 2026/6/28
【秋山海斗】
ベッドで寝ているだけの日々もようやく終わり、今日からリハビリが始まった。
「おはようございます!」
朝御飯を済ませると、理学療法士が病室まで迎えに来てくれた。
「今日から秋山さんのリハビリ担当をさせていただく、中井といいます。よろしくお願いします」
キリッとした目で俺を見て、綺麗な角度を保ったお辞儀をすると、後ろに縛った長い髪が前に垂れた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
俺もベッドの上で可能な限り腰を折るが、なんとも格好がつかない有り様だ。
「それでは、案内しますね」
中井さんの力を借りて車椅子に乗り、リハビリテーション室まで押してもらった。
リハビリ初日ということで、まずは俺の可動域を確かめるために、中井さんが俺の手足の関節をゆっくりと動かす。
「痛みますか?」
こうやって、何度も俺に確認をとりつつ、可動域を測っていくのだ。
「……痛いです」
俺が淡々と返すと、曲げた足を元に戻す。
こうして、右手と両足の可動域の確認がとれたら、車椅子に座って休憩した。
「お疲れ様」
中井さんが俺に水を手渡すと、自然と俺の横の長椅子に腰掛ける。
そして、片手しか使えない俺に、中井さんは右手でペットボトルを抑えてくれた。
「ありがとうございます」
「君、美奈の弟なんだって?」
突然フランクに接する中井さんに、俺は口に水を含めようとした手を止める。
「姉を知っているんですか?」
「美奈とは大学で知り合ったんだ。水飲んでいいよ」
意外な事実を聞かされて、俺は皿眼で中井さんを見ながら、水を口に含んだ。
あの人、友達いたんだな……。
「君のことは美奈からよく聞いてるよ~」
「どんなことを話してたんですか?」
信じられないような気持ちが残る俺は、ほんの少しだけ前のめりになりながら訪ねる。
「いろいろ。例えば、昔よく遊んでたこととか、今は君を独りにさせてることとか」
それを聞いた時、僅かながら違和感を覚える。
まるで、美奈のせいで俺が孤独を感じているような……。
「それに、君が担架で運ばれた時も凄い焦ってたんだって。あの冷眼の白衣が取り乱してるって、病院の中で話題になってたくらいだもん」
「……冷眼の白衣?」
「院長美奈の異名。名前つけた人天才だよね~」
中井さんは楽し気に足をバタつかせる。
「……知りませんでした」
「まぁ、本人から言うわけもないよねー! あの性格じゃーねー!」
中井さんが興奮気味に声を上げていると、横から甲高い足音が一つ。
その音は、肩で笑っていた中井さんの背筋を一瞬で凍らせた。
「あら、今は業務中のはずだけれど」
中井さんは恐る恐る横に立っている人物を見上げる。
「み、美奈……」
美奈は氷槍で突き刺すかのごとく、中井さんを見下した。
まさに、冷眼の白衣だ。
中井さんは逃げることもままならず、美奈に頭を掴まれる。
「い、痛いっ!! 美奈、許して〜」
「私はこのバカに用があるから少し借りていくわ」
乱暴に言うと、美奈は中井さんの首根っこを掴んで、リハビリテーション室から出ていった。
引きずられる中井さんの首の骨が木っ端微塵にならないことを祈りつつ、俺は二人を見守ることにした。
一人になった俺は自力で車椅子を動かして、自分の病室を目指した。
リハビリテーション室の棟から出て、観賞用の花が咲いている小さな庭園の前を通る。
ただ、ここまでの道のりでも左手しか使っていないので、一度止まって休憩がてら目の前に映る花たちを眺めていた。
左を見れば赤いチューリップの花が、その隣には小さなヒャクニチソウ、右端にはカーネーションが咲いていて、俯瞰して見ると綺麗なグラデーションができている。
静かな場所で綺麗なものを見れる。
休憩にはもってこいの場所だ。
――ザリザリ。
うっとりと花たちを眺めていると、上から靴とコンクリートが擦れる音がした。
気になって真上を見てみると、そこにはうちの学校の制服を着た女生徒が、壁の突出した部分に足をかけて下ろうとしていた。
肩まで伸びた若葉色の髪を揺らしながら、つま先で細いパイプの上を歩いている。
そして、女生徒が下を確認すると、俺の存在に気づいた。
「やべっ! バレた」
口ぶりからして病院から抜け出そうとしていたようだが、まともに動けない今の俺に通報できるわけもなく、見なかったことにして黙ってやり過ごす方をとった。
「お前、チクらないのか?」
しかし、そんな気遣いも相手には気づかず、俺は再び真上を見上げる。
さっきから、スカートの中が丸見えだが、気づいていないのだろうか。
「チクらないというよりチクれない」
「たしかに。よく見たらボロボロじゃねぇか。んじゃ、このことは黙っておいてくれ。もし、チクったら……」
「……チクったら?」
「お前が私のパンツ覗き見したって訴える」
――気づいていたのか……。
「いいよ。何があっても言わないから」
「そっか、お前良いやつだな!」
彼女は綺麗に揃った歯を剥き出して笑う。
これにて、一件落着となり俺は三度花の観賞に戻ったのだが、向こうはその場から一向に動かず、俺を凝視していた。
流石に気になってしまったので、三度彼女を見上げて話しかけた。
「まだ何かあるの?」
「いや…お前、どっかで…」
彼女がボソボソと呟きながら、おもむろに顔を真下にいる俺に迫ろうとする。
「あーーーーーーーーーーーっ!!」
しかし、前のめりになり過ぎて、足元のバランスを崩し、彼女はそのまま真下に急降下していった。
――グキリ。
「いってー。……でも、思ってたよりも柔らかい地面で助かったぜ」
自身の無事に安堵する彼女。
しかし、それとは対照的に俺は途轍もない軋轢音と共に意識が保てなくなり、視界は暗闇へと消えていった。




