13. thawing
13. thawing
「フリージアは、ヒトに染まりすぎた。」
エドナがきょとんとした顔をする。全く理解できないのだろう。
「まずは精霊というものについて話そう。精霊はそれぞれが明確な存在意義を持つ。風の精霊は大気を循環させ、水の精霊は水を清め、火の精霊は生命活動の源となる熱をつくる。地の精霊は大地の肥沃を保ち、光の精霊は光を、闇の精霊は闇を生む。それぞれの属性には数多の精霊が含まれ、その属性もまた単一では無い。」
頭を抱えたエドナに、シンが説明を足す。
「風の精霊はシルフが筆頭だけど、シルフだけじゃない。千、いや、万単位で、大小様々な風を司る精霊が存在するんだ。そして、ラクシュミを思い出してみて。ラクシュミは、湖を守り、豊穣の風を吹かせる精霊でしょう。風と水、ふたつの属性を持つんだ。そういう精霊も沢山いる。」
フェンリルが満足そうに頷く。
「フリージアは、氷の精霊の頂に立つもの。この御山を守り、冬を作り、雪を降らせる。そして、世に存する数多の氷の精霊を統べる存在。その力は絶大なものだ。」
ここまで誇らしげに言ったフェンリルが、瞳を伏せた。
「だが、力を有する代わりに、頂に立つものは厳しい制約も持つ。・・・生命の平等を保つこと。」
「贔屓しちゃだめってことだよ。」
クロムが付け足す。
話の格調が急落した事に顔をしかめながら、フェンリルが再び続ける。
「フリージアには、それが出来なくなった。」
「誰か、特別な存在ができた、ということですか?」
エドナの問いかけに、フェンリルが深く頷いた。
「精霊フリージアは1人のヒトに想いを抱いた。」
精悍な顔つきの雪色の肌をもつ精霊が、どこか遠くを見ながら自嘲気味に言い放った。
ロゼリアが深く息を吐く。
ひとつの命に固執する事は、精霊の頂に立つものとして許される事では無い。
精霊としての役割を失う。そして、役割を失った精霊は、精霊として生きる事が出来なくなる。
精霊の命は永遠では無いのだ。
単純な寿命としての終焉もあれば、役割の喪失という、精霊特有の最後を迎えることもある。
この精悍な精霊の場合がそうだ。
フリージアは視線を遠くに向けたまま続けた。
「だけど、終わりが来ない。マナが乱れて、周囲にこんなにも大きな影響を及ぼしてしまっているのに、私の終わりは来ない。・・・このままじゃあ、大切なものを壊してしまう・・・。」
今まで堂々と喋っていた精霊が、急に弱音を吐くように声を震わせる。
この精霊は、終焉を望んでいるのだ。
人を愛してしまい、氷の精霊としての役割を全うできなくなった。
不安定な心のために周囲を傷つけることを、早く終わりにしたい。
ロゼリアは短く息をついた。
「どうして最後が来ないのか、もう答えは出ているんだろう。」
フリージアがロゼリアを振り返る。
その瞳はまだ迷いに満ちている。
ロゼリアは仕方がなさそうに言葉を繋げた。
「今、あんたが言った大切なものって、一体何だい?」
フリージアの瞳が揺れる。
息を飲む音が聞こえる。
「フェンリル・・・大事なフェンリル。」
「あんたがその人間だけに固執していないっていう事だろう。フェンリルが心配なんだろう。」
フリージアが、ロゼリアの来た方向を見下ろす。
「ほら、未練があるなら早く行きな。」
ロゼリアが促すと、フリージアの瞳が強い光を灯した。意思の光。
周囲が青白い光に包まれ、吹雪を感じた。
「そのヒトに出会って以来、フリージアはよく悩むようになった。氷の精霊を統べるものとしての責任と、自らの心の間で揺れていたのだろう。」
「あなたは・・・悲しかったですか?フリージアが、人間を好きになって、悲しいと思いましたか?」
エドナがフェンリルに問いかける。
フェンリルはフリージアをこよなく愛している。
そのフリージアが他の存在に傾倒するのならば、そういった感覚に包まれてもおかしくはない。
が、フェンリルは穏やかに返した。
「不思議と、そうは感じなかった。私が彼女を愛おしく思うのは偽りでは無い。寧ろ、誰よりも彼女を愛している自信がある。」
クロムが噴き出す。
フェンリルが顔をしかめながら続ける。
「だがな、ヒトの娘よ。私は愛おしい存在に一番幸せになって欲しいのだよ。ヒトを想う彼女は、とても楽しそうで、それがまた、とても愛おしかった。」
「至上の愛だね。」
クロムが含み笑いしながら言う。
「いい加減にしろ。」
フェンリルが目を細めて突っ込む。
本当に仲が良さそうだ。
シンとエドナが楽しそうに笑う。
ふと、強い吹雪が吹いた。
思わず全員が目を閉じる。
「フリージア!」
フェンリルが声を上げる。
吹雪の中から姿を現したのは、精悍な雪色の精霊と、ロゼリアであった。
「あんた、氷の精霊らしくするのは良いけれど、この輸送方法は心臓に悪いよ。」
ロゼリアが静かに抗議する。
フリージアがフェンリルに歩み寄る。
手の届く位置までくると、そのふさふさとした毛の生える首を抱きしめた。
毛に顔をうずめながら声を出す。
「フェンリル、本当にごめんね。」
フェンリルは何も言わずに、穏やかな瞳をフリージアに向ける。
「フェンリル。私、行くね。この御山のこと、御山に住む皆のこと、ふもとの街、オミレのこと。沢山残してしまうけれど、やれる・・・?」
フェンリルが深く頷く。
「無論だ。」
フリージアはフェンリルの毛に顔をうずめたまま、深く呼吸をした。
顔はあげない。今上げると、未練が残ってしまうから。
涙で終わらせるなど御免だ。
「長年、貴女は氷の精霊の長としての役割を卒なくこなしてきたのだ。自由になって、誰が咎められよう。私も、貴女の幸せを何よりも願う。何も心配しなくて良い。」
フェンリルが穏やかに、ゆっくりと言葉を繋げる。
「フェンリル・・・大事なフェンリル。大好きよ。」
そう言い、フリージアは青白い光となり、薄れていった。
だが暖かく青白い光はすぐには消えず、フェンリルを取り巻いた。
灰色の毛が、フリージアのような雪色に染まる。
その様子はあまりに美しく、見届ける全員が息を呑んだ。
「精霊の、引き継ぎだよ。・・・私も初めて見たね。」
「フェンリルが、氷の精霊の頂点となった・・・ということ?」
ロゼリアの発言に、シンが返す。
ロゼリアは頷いた。
「ああ。今までフリージアがやっていた事を、フェンリルが引き継いだんだ。フリージアのマナを受け取り、今までの半精霊状態から、完全な精霊となった。・・・精霊フェンリルの誕生だよ。」
ロゼリアがフェンリルを見上げる。
フェンリルを取り巻く青白い光は既に収束しており、美しい雪色の毛並みをたたえる立派な精霊が佇んでいた。
「ヒトらよ、感謝する。・・・主らのおかげで、フリージアは心置きなく行けた。」
フェンリルは静かに目を閉じた。
自らの中に流れる、暖かい感覚に浸るように。
愛おしい存在よ。
どうか幸せに。
雪が止んだオミレの街では、子供たちが駆け回っていた。
「積み上げた雪に近づいちゃだめよ!」
雪仕事から解放され、子供に割く時間ができた親たちが、はしゃぎ回る子供に注意を促す。
クロムが、街に入るので少女の姿をとったそれが、鼻歌を歌いながら歩く。
「ご機嫌ですね、クロム。」
エドナが笑顔で返す。
「友達が救われたんだもの。それにしても、完全に精霊になっちゃうなんて。驚きだ。」
街の近くまで竜のクロムに乗せてもらい、門番に見えない位置でクロムが少女の姿になった。
シンは辛そうだったが何とか歩いて街まで入り、現在ロゼリアが宿で治療している。
街に入った時に、途中まで同行していた学者と傭兵が揃ってきまりが悪そうに立っていたのを、ロゼリアが完全に無視して通ったのが爽快であった。
エドナはクロムとふたりで買い物に来ていた。
シンのために何か食べやすいものでも作ろうと考えている。
「あのさあ、ヒトの感覚ってイマイチわからないんだけれども。」
クロムが不安げな瞳でエドナを見つめる。
エドナは籠いっぱいのかぼちゃを手にして振り向いた。
「それ、そんなに、要る・・・?」
雪雲が消え、太陽の光が眩しいくらいに雪に反射する。
きらめく白の世界。
御山からぬるい風が吹く。
季節は雪解け。
木々に積もった雪も落ち始める。
もう少しすれば、大地には緑が芽吹き、美しい花々が咲く。
すらりとした精悍な葉を持つ、黄色い花も咲くことだろう。
章おわりですー。ありがとうございます。
あとひとつ、大きな章でおわります。




