29奴目 ようじょ、とうじょうよっ!
「なあイク、これはなんて名前のお魚なんだ?」
箱を覗き込みながら、キョトンと首を傾げるニコ。
「は、はは、ニコちゃんは相変わらずおバカだな、これはお魚じゃねえよ」
お魚じゃない。これはお魚じゃなくて、確実に――
「幼子だよ!」
幼子。幼女。箱に入っていたのは、見た目五歳児程度の、金髪の女の子だった。
自分の長い髪を下敷きにするようにうつ伏せになって、スヤスヤと寝息をたてている。
しかもパンツ一丁で。
「へえ、幼子。面白い名前の魚だな」
「だから魚じゃないんだって! 人だから!」
正確には人は人でも、亜人だが。
身長が目算で一メートルほどのそ子の体には、いたるところに人間と違う特徴が見られる。
まず目立つのは肩甲骨付近からはえた金色の、鳥のそれと同じ翼。
にのうでから手首の辺りにかけても、同じく金色の羽毛に覆われている。
脚はニコと同じく、完全に人のものではない。このフォルムと足裏の肉球、猫か。
いや、お尻の付け根からのびる尻尾から推測するに、ライオンだろうか。
そして頭から天に向かって突き出したこの翼のようなものは、多分耳。
「それで、ワタシは今からこいつを調理すればいいんだな?」
「よくねえよ」
生首の次は人丸ごとを並べるつもりか、どんな食卓だよまったく。
しかしそれにしても、この子は何の亜人なんだろう。鳥の上半身に、獣の下半身。
と言うかこの肉球。綺麗なピンク色でプニプニしてて、やばい……。
「うわっ、イッくんがあんな小さな女の子をえっちな目で見てる」
「さすがだイクト様、主たるものそれくらい鬼畜でなければ」
「おいイク、いくら子どもでもこいつは女だ。変な目で見るようならワタシは容赦しないぜ?」
「ま、待て待て三人とも、いくら俺が思春期男子だからと言って、こんな子どもを変な目で見るわけないだろう?」
俺はただ肉球に胸をアツくさせていただけだ。
それもそれで危ないというのは、誰かに突っ込まれなくても己で分かっているが……。
「つーかどうして女の子が入ってるんだ、中身はお魚じゃなかったのか?」
魚を捌く機会が失われたからか、どこか不満げに首を傾けるニコ。
レイクとデュアも、この女の子は誰? と疑問の色を顔に浮かべている。
「まあ中身に関しては、あくまで予想だったから」
外れてしまったが、動いているからと言って中身が女の子かもしれないだなんて、さすがにそんな予想ができる奴はいないだろう。仕方がないことだ。
「しかしこの女の子は一体誰だ?」
アリスさんはどうしてこんな子を突然俺に送りつけて来たんだ?
「ひとまずこの子を起こして、話を聞いてみようか」
手を伸ばし、力加減を少し間違えれば潰れてしまいそうなその小さな体を揺すった。
「お、おーい、朝ですよー」
実際はもう、日はほとんど沈みあたりは暗くなってきているが。
しばらくすると、その子は無言でむくりと起き上がった。
そして伸びをするかのように翼を二、三回羽ばたかせると、前髪の間から覗く真っ赤な目で、俺をじっと見つめる。
「お、おはよう」
話に入る前にまずは挨拶をすると、寝起きだからなのか彼女は舌足らずな風に、おわようごじゃいます、と応えた。
どうやら普通にコミュニケーションはとれそうだ。
「寝起きにかつ単刀直入で悪いけど、君は誰だい?」
「わたしは誰?」
「そう、君は誰?」
「誰……わたしは誰……」
うんうんと唸り必死に記憶を引き出そうとしている様子。
もしかして記憶喪失なのだろうか。だとすると厄介なのだけど……。
「あっ思い出しました、わたしはダメです」
「だ、ダメ?」
「はい、わたしはダメなんです……」
「あ、いや、俺が聞いたのは君はダメ? じゃなくて、君は誰? なんだけど」
「わたしはダメです」
落ち込んでいる声音からして、“ダメ”という名前だと言っているわけではなさそうだ。
そもそも親が子どもに“ダメ”なんて酷い名前を付けるはずがない。
「…………」
何だか知らないが恐ろしくネガティブな幼女がやって来たぞ……。
「あ、あれかな? 寝起きで混乱してるのかな? と言うか君、何か服を着ないと」
さすがにこのまま裸でいさせるわけにもいかない。
「丁度いいやニコ、お前ワンピースの上に着ている俺の服、ちょっと貸してやってくれよ」
「嫌だね。これはワタシが貰ったもんだ」
「そんなことを言わずに、少しの間だけでいいから」
早急に対処をしなければ、裸の幼女を数人で取り囲んでいるという今の絵面は、考えれば色々とヤバイ。
「嫌だ!」
「お願いだから脱いでくれ!」
うわっ、イッくんがニコちゃんの服を脱がそうと必死だ。
さすがイクト様、鬼畜の極み。
と言うレイクとデュアの声は聞こえなかったことにして、ニコにお願いを続ける。
結果渋々脱いでくれたものの、これならば部屋のクローゼットから服を取って来た方が早かったかもしれない。
「それで結局、君は誰なのかな?」
ニコが脱いだ服に、幼女が袖をとおした後、俺は再度そう問いかけた。
だがまだ記憶がハッキリしないのか、彼女はテーブルの上に置かれた箱の中にちょこんと座り、難しい顔をする。
「質問を変えようか。君はどこから来たの?」
「あ、はい。底から来ました」
「ちょっと待った、俺が聞いたのは底から来たの? じゃなくて、どこから来たの? だよ?」
「はい、底から来ました。それ以外は分からないです」
ただでさえ長い前髪のせいで暗く見える顔に、更に影が落ちる。
まあ分かるのが“自分はダメで底から来た”ということだけなのだから、そんな顔にもなるだろう。
しかしやはり記憶喪失か。一時的なものだといいんだけど。
にしてもこの子、どうすればいいんだ? 警察に届ける?
でもこの子はアリスさんがここに送ってきたわけだし、そのアリスさんの意図が分からないことには対処のしようがない。
「おいイクト様、これを見てくれ」
そう言ってデュアが俺に差し出したのは、はがきサイズの白い封筒。
「何だそれ」
「手紙だと思うが。この箱の中に入っていたのだ」
箱の中に、と言うことは箱の送り主であるアリスさんからの手紙か。
「ラブレターではなさそうだな」
まあそれを読めばあの人が何をしたいかが分かるだろう。
しかしその手紙をデュアから受け取ろうと手を伸ばした瞬間、なぜか彼女はごふっと塊のような血を吐いた。
そしてその血はもろに封筒へと襲いかかった。
「おいデュア何の嫌がらせだ!」
「す、すまない悪意はなかったのだ。その、ラブレターで、今朝イクト様に言われたことを思い出してしまい……」
「今朝俺に言われたこと……?」
もしかして愛してるって奴か……冗談のつもりだったんだけど、何だか悪いことをしたな。
こちらにも非がありそうなのでそれ以上追及する気にもなれず、俺は封筒から中身を救出する作業に移る。
中に入っていたのは二枚の紙。
一枚はアリスさんからの手紙、もう一枚は商品管理リストだった。
「しっかし、血で読めないな……」
商品管理リストの方は無事だったが、手紙の方には血が染み込みほとんど読めない。
それでも全てが読めなくなっているわけではなかったので、何とか見えない箇所を予想で埋めて解読をしていく。
書かれていたのは大体こんな感じのことだった。
「幼女が落ちていたので拾いました。店で売ってください。記憶はいじってあるから心配しないで。じゃあよろしく」
他にも色々と書いてあるが、現時点で読めた部分はこれだけ。
血が乾けばもう少しくらいは読める部分が出てきてくれるだろうか。
「ふむ、とりあえず分かったのは、この子は店の新たな商品だということだな」
まあ商品管理リストが入っていた時点でそんな気はしていたが。
にしても落ちていたから拾いましたって何だよ。
しかも記憶いじったって、記憶喪失はアリスさんの意図的なものだったのか。
本当にあの人は何者なんだ? 謎すぎる。
店が経営危機だと助けを求めてくるわりに、山丸ごとが敷地だと言い始めるし。
性別も曖昧だし。
知れば知るほど分からなくなって、ますます逆らえなくなっていく。
「あの、君、今の話聞いてた?」
「はい、聞いてました。わたし奴隷として売りに出されるんですね」
「うん、この店でね。と言うか、その意味分かってる?」
「はい、分かってますよ?」
「そのわりにはやけに冷静だけど」
俺ならショックで取り乱しまくるか、絶望のあまり気を失うだろう程の状況だ。
超ネガティブ思考なこの子なら、最悪死んでしまってもおかしくなさそうなのだけど。
この世界の人にとっては、この程度のリアクションで済むようなでき事なのだろうか。
「大丈夫です。どうせわたしみたいなのに手を出す人なんていませんから、まったく心配はありません」
そんな言葉と共に、彼女は力強く頷いて見せた。
なんてネガティブさだ、だからそんなに落ち着いているのか。
いや、ネガティブと言うか、それはもはや一週周ってポジティブなんではないだろうか。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。




