14奴目 体と正体
14奴目
「どうしたレイク!」
中庭に出てみると、レイクが、雑草に覆われた地面にしりもちをついているのが目に入った。
「何があった?」
「あ、い、イッくん」
駆けつけた俺を涙目で見上げるレイク。
「交合中に、あっちから突然変な音が聞こえて。それでビックリしちゃって」
「はいストップ」
「何? どうしたのイッくん」
「どうしたもこうしたもあるか、ビックリだよ」
「あっちから突然変な音が聞こえたから?」
「違う。口から突然変な事が聞こえたからだ、お前の」
わたし何か変なこと言ったかな? と、わざとらしく小首を傾げる彼女。
「交合中にとか言っただろうが! お前ここで一体何してたんだ!」
その変な物音のことよりも、そっちの方が気になる。
交合って交尾のことだろ……? 本当にしてたら大問題だぞ。
「あー、イッくんもしかして嫉妬してるの?」
「shit! 俺は心配してるの!」
自分の身を。
もしレイクが商品として付加価値のある処女を失ってしまうなんてことがあったとして、そしてそれがアリスさんに知れたとなると、ぶっ殺されかねない。
「しっしっしっし。大丈夫だよイッくん、今のはただの言い間違い。本当は光合成中って言いたかったの。交合と光合成、似てるでしょ?」
確かに似てるけども。
「ワザとだろ」
俺をはめるためのワザに違いない。俺をはめるためのワナに違いない。
「あらま、ばれちゃった」
「そもそも隠す気がないだろ。まったくお前って奴は、悲鳴をあげてしりもちをついた状態で、よく咄嗟にそんな冗談が言えるな」
どんなメンタルの持ち主なんだコイツは。
「まあね、わたしはイッくんに冗談を言うためだけに生まれてきたからさ」
「もうお前、レイクからジョークに改名しろよ」
俺がそう言うと、レイクは愉快そうに肩を揺らして笑った。
「それでレイク、本題は何だったっけ?」
「だから、あっちから変な音が聞こえたの。何かが飛び跳ねるような、そんな感じだったよ」
立ち上がったレイクは、あっち、とお尻の辺りから伸びる褐色の触手で方向を示す。
俺はレイクから、彼女の示した方向へと視線を移した。
しかしそこには何もない。何もないと言うか、何も見えない。
目算で二メートルはあろうかという高さの草がびっしりと生え揃っていて、奥が見渡せない。
実はこの中庭、ほとんど庭として機能していないのである。
さっき倉庫にあった錆びてボロボロになった鍬や鎌を見れば分かるように、アリスさんは、長い間この庭の手入れを行っていないのだ。怠っているのだ。
そのせいで土地は荒れに荒れ、レイクが光合成をしに訪れて毎日踏んでいる辺り以外は、背の高い草に埋め尽くされてしまっている。
「動物か何かが迷い込んだのか?」
こんな山の中だ、野生動物が入って来たとしてもおかしくはない。
丸太で組んだ柵で囲われているとは言え、その柵は高くもなければ隙間も開き放題だし、動物が入り込む余地は十分にある。
「イッくん見てきてよ」
「ええ、俺が!?」
「もしかして怖いの?」
「だって……」
野生動物なんて、たとえ小さなものだとしても危険だ。
噛まれるかもしれないし、噛まれるだけならまだしも、傷口から菌が入って死に至るかもしれないし。
いや、魔女の魔法『売り切れ』があるから大丈夫か?
でもあれが動物にも作用するのか分からないし。
そんな風に俺が情けなく逡巡していると、
「う、うぅ……」
と、抱えた生首、デュアからうめき声が聞こえる。
そう言えばデュアのことをすっかり忘れてしまっていた、こいつ吐血していたのだっけ。
「おいデュア、大丈夫か」
「う、うむ、もう大丈夫だ」
まあ吐血したと言っても、よくあることだからそんなに心配はいらなさそうだ。
「イッくん、どうしてデュアちゃんは血を吐いてるの?」
と目を丸めるレイク。
「ん? それが俺にもよく分からないんだよ。こいつが体をなくしたっていうから探すのを手伝ってたんだけど、その途中でなぜだかいきなり――」
「イクトに汚されたからだ」
俺の言葉を遮るように、デュアはそう言い放った。
それを聞いて、レイクの顔に悪戯な笑みが浮かぶ。
「えーイッくんデュアちゃんに手出したの?」
「手なんて出してないぞ俺は」
「じゃあ何を射したの?」
「何も射してないわ! あのなぁレイク、お前はもう少し自重しろっていつも言ってるだろ?」
「自重? それってどういう意味かな? わたしには分からないや。カンチョウなら知ってるんだけどなー。あー、あと初潮も知ってるよ?」
本当に楽しそうだ。俺に冗談を言うためだけに生まれてきたというのは、あながち嘘ではないのかもしれない。
まったく……。
「デュアも、誤解を生むような嘘はやめてくれ」
「嘘をついているのは貴様だろう! まさかしらを切るつもりか!? もしそうなら、貴様の舌を切るぞ!」
「嘘への罰が重すぎる! 大体、俺がいつお前を汚したって言うんだよ」
「そ、それはだな! その……倉庫の、中でその、私の顔をあれだ、あっダメだ、思い出しただけで恥ずか死――ぶへ……」
もういい私は寛大だから今回のことは不問にしてやる、だが次ぎやったら許さんぞ、まったく貴様と言う奴は、とか何とか、血を垂らしながら愚痴をこぼす器用な首なし騎士ならぬ体なし騎士。
こいつは何度血を吐けば気が済むのだろうか、顔に巻きつけた髪が血に塗れて、紫色から赤黒く変色してしまっている。
それに普通の人間なら既に致死量だろう、さすが亜人といったところなのだろうか。
「で、えーっと何だったっけ? 音か、早く音の正体を突き止めないとな。デュアの体の捜索も終わってないし、それに開店準備もしないといけないし」
と言うかデュアの体は本当にどこにあるんだ? 全ての部屋を見回ったのに、どこにもないじゃないか。
「貴様は馬鹿か? ああ、貴様は馬鹿だ。もう大丈夫だと私は言っただろうに」
素早く吐血から回復したらしいデュアが、仕返しとばかりに俺を罵倒してくる。
「もう大丈夫って、それは吐血したことに対してだろ?」
「違う。もう大丈夫とは、消えた私の体と、謎の音がした問題に対して言った言葉だ」
私の体の場所についても物音の正体についても、もう解決している、と彼女は言う。
「どういうことだよ」
「まだ分からないのか? つまり私の体は草の中で、物音の正体は私の体だと言うことだ」
「お前の体が草の中で、物音の正体がお前の体?」
「うむ、そうだ。さすがにこの近さなら気付く。そしてこの近さなら自分で帰ってくることも可能だ」
彼女がそう言うと、先ほどレイクが触手で指し示した方向から、ガサゴソと草が擦れる音がし始めた。
その音はだんだんとこちらに近づいてきて、大きくなっていく。
そしてしばらくすると、高い草を両手で掻き分けるようにして一つの人影が現れた。
それはこの店の奴隷が着用する薄汚れたワンピースを着て、腰に剣を差した、女性だった。
女性。と言っても、首から上は、どれだけ探しても見当たらない。
頭部が、ない。体しか、ない。
しかしそんな状態にあっても動いているという目の前の事実が、その体がデュラハンのものだと、デュアのものだということを明確にあらわしていた。
「なるほど、こんなところにあったのか」
盲点だった。てっきり体は建物の中にあるとばかり思っていたけど、よくよく考えるとこの庭も、彼女たちが自由に出入りできる場所の一つじゃないか。
「チクチクしたのは、農具の刃でなく雑草の葉が原因だったということだ」
「そうか、それならよかった。でも一応怪我がないか見ておこう、草でも怪我はするからな」
「草ごときが騎士である私の体を傷付けられるわけがないだろう」
「はいはい」
俺は草を掻き分け出現したデュアの体に近寄って、肌が露出している腕と脚に怪我がないか確認する。
「あ、あまりじろじろ見るんじゃない!」
「我慢しろ」
すると案の定、ふとももとにのうでにいくつか、薄っすらと葉で切ったような傷があった。
「ほらみろ、怪我してるじゃないか。確か薬あったよな、後で塗ってやるよ」
「気にするな、私は騎士だ。この程度の傷どうってことはない」
「だめだ、こんな小さな傷でも何があるか分からないぞ? 痕が残るかもしれないし。それに騎士なら、非常事態に備えて、常にベストコンディションでいられるように心がけるべきだろ?」
俺がそう言うと、彼女はしばらく黙考した後仕方がないなと従う意を示した。
「ん、まあ何であれ、体が見つかってよかったな。もう離れ離れになるなよ」
デュアの体にデュアの頭を差し出す。
同一人物の体に同一人物の頭を渡すというのは、俺としては何だかとても変な気分だったが、当たり前のことだがデュアにとっては特段変ったことではないらしく、彼女の体はそれを普通に受け取ると、手馴れた様子で小脇に抱えた。
「安心しろ私は騎士だ、虎の尾は踏むが、二の足と同じ轍は踏まない」
立派だろ、とようやく戻ってきた体で胸を張って見せる彼女。
「いや、同じ轍を踏まないのはいいとして、ためらいもなく危険を冒すとか、お前それ騎士というより、死期を早めてるだけじゃないのか……?」
勇敢と蛮勇は別物だと、昔からよく言われているだろう。
「死期? 死期など士気でどうにでもなる!」
「ならないよ!?」
「それはイクト、貴様が騎士ではない証拠だ」
確かに俺は騎士ではないけど、たとえ騎士だったとしてもどうにもならないから。
いまいちデュアの騎士像というものが分からない。
まあ急所の一つである首が既に胴体と切り離されている彼女とイメージが共有できないのは、仕方のないことなのかもしれないが。
さてと。
こんなことをしている場合じゃない。
デュアの体の問題も、それに不審な音の問題も解決したことだし、早く開店の準備を始めないと。
と思ったけど……。
「改めてみるとこの中庭、本当に酷いな」
草が生え放題で、庭などとは到底呼べない。もはやただの荒地だ。
「そうだよイッくん。どうにかしてよ、このままじゃわたしが光合成する場所もなくなっちゃうよ。今朝だって場所確保のために、ここら辺頑張って踏みならしたんだから」
「うーん……」
いや、この庭を初めて見たとき、綺麗にしないといけないなと思いはしたのだけど。
でもそのときは異世界に来たばかりで色々忙しかったし、いずれということで保留にして、それ以来放置したままズルズル今日まで来てしまったわけだ。
そろそろ目をそらさずに対応しないといけない頃合だろうか。
草の繁殖力は馬鹿にならず、レイクの言うとおり、このままじゃ彼女が光合成をする場所までなくなりかねない。
それに今回は物音の正体がデュアの体だったからいいものの、今後本当に何かの動物が迷い込むかもしれない。
そして迷い込むだけでなく、その動物が住み着いてしまったりしたら、もう俺には手が付けられなくなる。
今ならまだ草を刈ればいいだけだし、俺一人でも対処可能だ。
「仕方がない、じゃあ草刈しますか」
「わーいっ」
今日も読んでくださり、ありがとうございました。




