父の思い
人間が自力で書いている本編の「アラフォー領主ですが隠居したいので伝説の姫巫女を教育します」もよろしくお願いします。
こちらの投稿はランダムです。
気ままに投稿します。
頁をめくった瞬間――
ふわりと、空気が変わった。
墨の香りが、先ほどよりも濃くなる。まるで、この場そのものが、過去へと引き寄せられていくかのように。
そこに記されていた文字は、見慣れた筆跡だった。
間違いない。父上の字だ。
「――かよへ」
最初の一行を読んだだけで、胸の奥が崩れた。
父は、確かに私に宛てて書いている。
震える指で、続きを追う。
『この書が、お前の手に渡る時、私はもうこの世にはいないだろう』
「……っ」
息が詰まる。
分かっていたはずのことなのに、こうして言葉にされると、現実が容赦なく迫ってくる。
『だが、悲しむ必要はない。 私は、最後までお前を誇りに思っていた』
涙が、また一つ落ちた。
にじんだ文字を、慌てて袖で拭う。
見えなくなってしまうのが、怖かった。
『あの日、お前が消えた時―― 私はすぐに理解した。 あれは人の理ではない、と』
ページをめくる手が、止まる。
父は、知っていたのだ。
あの“転移”が、ただの失踪ではないことを。
『探した。 どれほどの手を尽くしたか、もはや思い出せぬほどに』
ふっと、視界の奥に情景が浮かぶ。
荒れた山道。灯りを手に、夜を歩く影。
それは――父だった。
『だが、見つからなかった。 代わりに、私は“こちら側”の存在を知ることになる』
「こちら側……」
思わず呟く。
女将大聖霊が、わずかに目を細めた気がした。
『人の世と重なりながら、決して交わらぬ領域。 神とも、霊ともつかぬ者たちの在る場所』
鼓動が、強くなる。
今、自分がいるこの世界のことだ。
『お前は、そこにいるのだろう』
ページをめくる指先に、力がこもる。
『だから私は、この書を残す。 いつか、お前がここへ辿り着いた時のために』
「……父上……」
声にならない声が漏れる。
『恐れるな。 お前は一人ではない』
その言葉を読んだ瞬間――
胸の奥にあった冷たい塊が、すっと、溶けていくのを感じた。
『お前の歩む先には、必ず導きがある。 そして――』
そこで、筆の運びが、わずかに乱れているのが分かった。
まるで、何かに急かされるように書かれた跡。
息を呑む。
ゆっくりと、次の行へ視線を落とす。
『“女将大聖霊”を、信じよ』
――その一文で、時間が止まった。
顔を上げる。
目の前にいる、その存在へ。
女将大聖霊は、何も言わず、ただ静かにこちらを見ていた。
すべてを、知っているような眼差しで。
「……父上は……」
かすれた声で問う。
「この方を……知っていたのですか……?」
静寂が落ちる。
答えを待つ時間が、ひどく長く感じられた。
やがて――
女将大聖霊は、ゆっくりと口を開いた。
「ええ」
その声は、どこまでも穏やかで。
そして、どこか――
遠い記憶を慈しむような響きを帯びていた。
「あなたのお父上とは、一度だけお会いしております」
心臓が、大きく跳ねた。
「その時、あの方は――」
わずかに目を伏せる。
「“必ず娘が来る”と、そう申されました」
言葉が、胸に深く沈む。
父は、信じていた。
私がここへ辿り着くことを。
時を越えてでも。
世界を越えてでも。
「……ずっと……待っていたんですね」
ぽつりとこぼす。
誰の言葉なのか、自分でも分からなかった。
父なのか。この人なのか。それとも――自分自身なのか。
日記を、もう一度胸に抱き寄せる。
その温もりは、先ほどよりもはっきりとしていた。
「……続きを、読んでもいいですか」
女将大聖霊は、静かに頷く。
その仕草は、まるで――
すべてを託すかのようだった。
私は、深く息を吸い。
そして、次の頁をめくった。




