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狂魔伝  作者: ラジオ
第二章
44/67

story43‐‐当事者‐‐

 日比野は至って真剣な目をしていた。

「くり……はら……さん?」

 もう頭の中では日比野の言葉の意味を理解できている。だが、それでも訊き返さずにはいられなかった。本能ではわかっていても、理性がそれを頑なに拒んでいる。

「そうだ。栗原京だ」

 日比野がもう一度無機質な声で言った。

「何か……根拠はあるんですか?」

 脳が情報を解析していく前に、少しでも逆らって悪あがきをしたかった。

「蒼井が自分でそう言った」

 日比野の目はまっすぐ泉に向けられている。

「そんなの……」

 泉は視線から逃れるように目をそらした。

「蒼井がそんな嘘をついて何になる? それに、あいつは狂魔に関することを知りすぎていた。俺たちよりも知っていた」

「証拠は……何か証拠はあるんですか?」

 泉は名指しされた犯人があがくように言った。

「DNA鑑定は知っているな。蒼井が盗んできた『神隠し』の狂魔の遺体を使って、蒼井と蒼井がもってきた栗原京の髪の毛のDNAを調べた。蒼井の推測通り、蒼井と栗原京はその狂魔の息子だった。つまり、二人は血の繋がった兄弟だ。もっと証拠が必要か?」

 泉は頭を垂れ、膝の上の拳を固く握りしめた。

「栗原さんが……『二度目の神隠し』を……」

 窓の外を、二羽のスズメが甲高い声で囀りながら横切る。

「栗原京が『二度目の神隠し』を行った証拠まではないが、栗原京は記憶を失っている。蒼井が調べたところによると、組織に狂魔として捕えられた後、強制記憶消去剤を打たれ、狂魔化のストレスの原因となった過去の記憶をほとんど失った。そのため、今まで栗原京が狂魔化することはなかったそうだ」

「第二、第三段階に達した他の狂魔化患者の場合、記憶を消しても狂魔化は完全には止まらないと聞いています」

 頭を上げた泉は美奈子のことを思い出して言っていたが、顔に生気はない。ただ脳内に残った疑問として訊いただけのようだった。たった数分のうちに、何十年後かの老婆のような虚ろな目に変わっていた。

「それは彼らが、蒼井や他の狂魔の負の感情物質を溜め込んで狂魔化したからだ。他人の影響を受けて狂魔化した場合は、記憶を完全に消しても止まらない。記憶自体に原因があるわけじゃないからな」

「でも、栗原さんは記憶を失っていたのに……今はもう、おそらく狂魔化して……」

 泉は声も表情も、生まれたての小鹿のように弱々しい。

「そうだ。もともと栗原京の狂魔化は、蒼井や他の狂魔の影響を受けたわけではない。だが、これも蒼井が言っていたことだが、実は、栗原京は父親、蒼井は母親の記憶をそれぞれ遺伝子に刻まれ、受け継いでいるらしい。にわかに信じられる話ではないが、一緒に子供時代を過ごした蒼井は、栗原京の狂魔化の原因は、それ以外には考えられないと言っていた」

「……じゃあ……栗原さんが見てた悪夢って……遺伝子に刻まれていた狂魔の……父親の記憶……? それで……」

 泉は蚊の鳴くような声でぶつぶつと呟きながら考えた。

「どうかしたか?」

「……いえ……何でもありません」

 泉は頭の中を整理した。

 おそらく栗原は、何かのきっかけで『神隠し』を起こした父親の記憶を悪夢として取り戻した。強制記憶消去剤がどれほど強かろうが、父親の記憶を生まれた時から遺伝子に刻まれていたのなら、むしろ十年近く失っていた方が奇跡的だろう。

 狂魔の起源であり、蒼井や他の全ての狂魔を誕生させた元凶――『神隠し』の狂魔。一体どんな絶望色に塗れた人生を歩んできたのか、泉には想像することもできない。栗原はそんな記憶を取り戻してしまい、今、苦悩の果てでもがきながら苦しんでいるのかと思うと、泉はやり切れない思いになった。

「それより、栗原さんを救う方法はないんですか?」

 泉はスイッチを切り替えた。嘆息している暇があったら行動しろ、泉の脳がそう告げていた。

「栗原が純粋な狂魔でさえなければ、その場しのぎで狂魔化を押さえる方法がなくもないんだが……」

 どうやら、純粋な狂魔である栗原を救う方法は極めて望み薄だというのが日比野の考えらしかった。

 しかし泉は訊いてから、何かとても常識的なことに気付いたように、また酷く俯いてしまった。

「……どっちにしても、もうこれだけ時間が経ってしまったら栗原さんは……」

「内臓の機能低下のことを言っているのか?」

「はい。もうとっくに第三段階まで……」

 栗原がボスを殺した時に狂魔化したと考えると、もうとっくに第三段階まで狂魔化が進んでいることになる。そうなれば、内臓の機能低下が起き、すでに命は尽きているかもしれない。すぐに気付いて捜索しなかったのを後悔した。どちらにしろ命を救えなかったにしても、死を見届けるのとそうでないのとでは、後の心の傷が大きく異なる。

「いや、栗原京の内臓が機能低下を起こすことはないだろう」

 著しいマイナス思考に陥っていた泉の脳に、激しい衝撃が走った。

 自分の耳を疑ったが、確かに言葉を聞き取ったはずだった。

「どうしてですか?」

 トーンを上げて尋ねる泉の顔色に、微かに赤みが差した。心の奥底では、まだ栗原を救うことを諦めていなかったのかもしれない。

「蒼井が『神隠し』の遺体を盗んだのには、DNA鑑定の他にもう一つ理由がある」

「何ですか?」

「俺に人工の怨臓を作らせるためだ」

「エンゾウ?」

「『この世への怨みから生まれる臓器』だから怨臓だ。最初に『神隠し』の狂魔の身体を切り開いて直接発見したのが俺だから、俺がそう名付けた。怨臓は純粋な狂魔――つまり、栗原京や蒼井のように長期間かけて狂魔化が進行していった者にだけ、長い年月をかけて少しずつ体内で形作られていく。もともと本来の狂魔化は何年もかけて少しずつ進行するそうだ。蒼井は自分の体内に怨臓があることに気付いていた。心臓とは別に鼓動しているらしい。それで、血の繋がった『神隠し』の狂魔の遺体の中にも怨臓があるだろうと推測していた。そして実際に怨臓は見つかった」

「あの……その怨臓って……まだよくわからないんですけど」

 泉の質問に日比野が薄笑いを浮かべた。

「単純だ。感情物質を生成・放出するためだけの臓器だ」

 このことは日比野が解き明かしたのか、さも得意げな表情で言った。

 泉は何かに気付いたように目を見開いた。喜びの表情にも見えた。

「察しがいいな。狂魔が大量の負の感情物質を放出するのは、もともとはこの怨臓があるということが前提なんだ。他人の影響を受けた場合は進行が早すぎて怨臓を作る時間がないだけだ。つまり、体内の怨臓が機能している限りは、栗原京が内臓の機能低下で死ぬことはない……」

 しかし日比野は何か懸念するように黙り込んだ。

「ただ……」

「ただ?」

 泉は不穏な空気に先を促す。

「ただ……蒼井は栗原京の命を狙っているようだった」

「栗原さんを?」

「ああ。どうしてこんな回りくどいことをしているのかはわからないが、そんな節があったような気がする」

 日比野の言う通り蒼井が栗原を殺そうとしているなら、機会はいくらでもあったはずだった。

「わかりました。でも、栗原さんはきっと生きてます。栗原さんの生命力を感じられる気がしてきました。栗原さんが生きている限り、あたしは栗原さんを救う方法を考えます。ありがとうございました」

 泉が立ち上がって病室を出ようとした。

「待て」

 日比野が止める。まだ何か気になることがあるようだった。

「お前のその髪……いつ白くなった?」

 泉は日比野に背を向けたまま立ち止まった。

「…………わかりません。少なくとも、数週間前です」

「蒼井に聖人化薬を打たれたな?」

 泉が、また初めて聞く新しい単語に反応して振り向いた。

「聖人化薬?」

 泉は立ったまま、日比野を見下ろす形で訊いた。

「ああ。俺が蒼井の体液から作り出した薬だ。聖人の力を得ると、その代償として髪の色素が抜け落ち、白くなるらしい」

「聖人……蒼井と同じ力ってことですか?」

 孤児院跡の地下でローブの者たちと対峙した時、小塚たちが急に痙攣したのを思い出した。泉以外は、まるで動けなくなってしまっていたようだった。

「そうだ。正の感情物質まで操れるようになる。狂魔に負の感情物質は効かないが、正の感情物質なら動きを止められる」

「そう……ですか」

 ここでまた、不意に泉の頭に疑問が浮かんだ。ボスから話を聞いた時にも同じ疑問を感じた。

「蒼井はどうして、狂魔ではなく聖人になったんですか? そもそも、『二度目の神隠し』の時、どうやって栗原さんから逃れることができたんでしょう?」

 日比野は間を置くことなく、すぐに語り始めた。最初からそのつもりだったのだろう。

「蒼井は兄よりも早く狂魔化が始まったらしい。だが、急にそれが聖人化に変わったそうだ。蒼井は狂魔化時に、母親の記憶が頭の中に現れたため、激しい絶望感にも耐えることができたと言っていたな。そこで何らかの変化が起こった。そして、栗原京が狂魔化して襲われた時、正の感情物質を放出して逃げ出した、というわけだ」

「なるほど。確かに……筋は通ってる……」

 蒼井の話を信じた日比野の気持ちも理解できた。

「お前……俺を殺そうとした時、破壊衝動に駆られてなかったか?」

「えっ?」

 急な質問に泉は驚きの表情を隠せなかった。図星だったこともあるかもしれない。

「狂魔は殺人衝動、そして聖人は破壊衝動に駆られることがわかってる」

 日比野の口調からすると、もう研究済みのようだった。

「……やっぱり……あたしは蒼井に、組織の人間を襲うよう操られていたんですね」

「おそらく、暗示でもかけられていたんだろう。蒼井の得意技だ」

「そうなんですか……」

「あと……お前、俺の地下研究所で、一度感情物質を放出していたな。俺の手下がお前の真横を通り過ぎると同時に、急に後ろの三人が動かなくなった時があった。最初から使わなかったところを見ると、無意識のうちに放出していたようだな」

「はい。意識はしていませんでした」

「気をつけろ。お前に怨臓はない。感情物質を使うのはいいが、使いすぎると内臓に毒だ。ちゃんと操れるように訓練した方がいいかもな」

「わかりました」

 とは言っても、具体的にどう訓練すればいいのかはわからない。

「俺は蒼井が聖人化薬を打った孤児たちに、感情物質を操る訓練をさせているのを見たことがある」

「孤児たちに聖人化薬を?」

「ああ。全部で三桁に上る数だったはずだ。おそらく、蒼井の計画の核になるんだろうな」

「百人以上の孤児が……感情物質を操る……」

 泉が脳をフル回転させて沈思黙考し始めた。

「――感情物質を操る訓練を見たと言いましたね」

 しばらくしてから泉が口を開いた。

 泉は日比野を見つめていた。柔和な表情とは言えない。

「あたしはあなたを許すつもりはありません。孤児を実験材料にするなんて……正直、だれに殺されても文句は言えないと思います。しかし、もしあなたが組織に力を貸すと言うのなら……」

「出来る限りのことをしよう」

 日比野はまっすぐ泉を見つめて即答していた。そのひとみに堅固な意志を感じた。岩谷の日記が、日比野の心に何らかの変化をもたらしたようだった。

「だが、この身体では……」

 日比野が無念そうに自分の身体に視線を落とした。

 小塚によって跡形もなく消滅してしまった自分の両腕と右足のことを言っているようだった。

「問題ありません」

 泉が笑みを浮かべた。

「岩谷さんの残した形見があります」

「岩谷の……形見?」

 日比野は呆然と呟いた。

「はい。身体が戻ったら、あなたにはあたしの訓練の他に、岩谷さんがやり遂げられなかった研究開発を行ってもらいます。日記と共に岩谷さんの研究資料がデータとして残っていましたから、それを使ってください。あと、蒼井を止める作戦の準備も手伝ってもらいます。期限は全て三か月以内です」

 日比野の覚悟を量るように次々と仕事を告げていった。

「そうか、わかった。岩谷への贖罪と思えば容易いことだ」

 日比野の言葉に泉は頬をほころばせた。

「では、喜んでとは言えませんが、今日をもってあなたを我が組織に迎えます」

 泉はそう言い残して、今度こそ病室を後にした。





海堂(かいどう)様」

 部屋に女性の高いよく通る声が響いた。ドアの入り口の脇で、黒いスーツに身を包んだ若い女性が、背筋を伸ばしてかしこまったように立っていた。長い金髪を下ろしている。

 部屋はまるでホテルの一室のようで、広さの割に隅までこざっぱりとしていた。部屋の中央の対談用と思われる向かい合ったソファや、点々と置かれている観葉植物が高級感を醸し出している。

 窓際の備え付けの白いソファに、初老と言うには髪がすっかり真っ白で、老人と言うにはまだ少し若そうな五、六十代の男が上品に腰かけていた。スーツに隠れる金のネクタイがよく似合い、偉大さと尊厳さが窺える。正面の高級そうな絵画を見つめて何か考え込んでいたようだった。

「どうした、リザベラ?」

 低いしゃがれ声で海堂が返事をする。

 リザべラは表情も声音も変えず、ただ口元だけ動かして答えた。

「狂魔特別対策組織本部からです」

 海堂は予想していたように溜息をついた。

「こちらへ来て繋いでくれ」

「はい」

 リザべラは海堂が座るソファのそばで片膝をつき、床を見るように俯いた。やがて電気が走ったように一瞬ビクッと身体を震わせ、目を閉じたまま海堂の方へ顔を上げる。

「安藤泉か?」

 海堂は険しい表情で正面の絵画を見つめたまま、ゆっくりと尋ねた。

『はい』

 海堂の質問にリザべラが口を開いて答えた。しかし、その声はリザべラのものではない。

「蒼井の件で何か進展があったようだな」

『……会って話しているわけでもないのに、海堂さんはすごい鋭さですね』

 相手は参ったとでも言いたげにトーンを落として言った。

『ところで、この会話は蒼井に盗聴される危険はありますか?』

「心配ない。会話は特殊電波を利用して行われるからな。一応ロボットには盗聴器を感知するセンサーも組み込まれていて、声による空気振動範囲内に盗聴器を感知すれば事前に伝えてくれるようになっている」

『国家の所有物は本当に優秀ですね』

 相手の声は抑えられてこそいたが、言葉は心から感嘆したことを示していた。

「蒼井の件で何かわかったことがあるのか?」

 海堂が再び尋ね、話の先を促す。

『……蒼井の企みがわかりました』

 再び話し始めた相手の口調は、意図して切り替えたように急に緊迫感に満ちたものに変わっていた。

『用意してもらいたいものが二つあります。片方の製造方法はすでにそちらにあるはずです。もう片方は、これからあたしの言う能力をもったものなら、どんなものでも構いません。とにかく時間がありません。無茶な頼みで莫大な資金もかかるのは承知していますが、夏までに準備してください』

「わかった。必ず用意しよう。何でも言ってくれ」

 海堂はゆっくりカーテンをめくりながら言った。外から差す温かな日の光に眩しそうに目を細める。

 外に現れた景色は、この部屋とは比較のしようもないほど広大で、延々と大きな白い波を立て続ける群青色の大海原だった。


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