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狂魔伝  作者: ラジオ
第一章
13/67

story12‐‐異変‐‐

 夜、記録上は最も狂魔の出現率が高い頃。ボスは岩谷に呼ばれて岩谷が普段こもっている研究室を訪れた。

 岩谷が扉の外で待っていた。

「入ってください」

 岩谷はパスワードを入力して真っ暗な研究室にボスを通した。

「また、例の何となく話したくなった、ってやつか?」

「まあ、そんなところ」

 岩谷は小さな明かりを一つ点けただけで、ボスを奥に案内していった。

「どこに連れてくんだ?」

「今日は何となく見てもらいたいものが」

 岩谷は広い研究室の一番奥の扉の前にボスを連れてきた。

「今日言ってたすごいものってやつか?」

「よくわかりますね。相変わらずの勘の鋭さだ」

 岩谷は扉のパスワードを入力して中に入り、明かりを点けた。

「今日は口が滑りましてね。組織のメンバーに使うことがない限りは秘密の裏研究ってことにしておいてもらいたいんですよ」

 ボスは岩谷の作ろうとしているものを目にして文字通り固まった。

「さすがは医療の道を進んでいた人だ。これが何かわかったんですね。休暇を取る前に完成させるつもりです」

「お前……これは天才の域を超えてるぞ」

「若くして神の手をもった外科医と呼ばれたあなたに言われてもねえ。それに……」

 岩谷は表情を曇らせた。

「これは俺と死んだ日比野(ひびの)、そしてあなたの犯した罪の贖罪のつもりですから」





 二日後の朝。

 二日間組織のメンバーは昼も夜も警戒していたが、感知器がサイレンを鳴らすことはなかった。

「それじゃあ皆の者、達者でな!」

 岩谷は本部の駐車場で、まるで長い別れを惜しむかのような台詞を吐いた。

「家に帰らせずに長い間無理に働かせて悪かったな」

「科学者じゃなくてちゃんと父親やってあげてくださいね」

「いつかあたしも呼んでくださいね」

 三人の後に続いて佐川が口を開いた。

「あのときは思い切り蹴っちゃってすみませんでした」

 一瞬の間を置いて、岩谷がはっはっはと笑った。

「ありゃあ多数決の結果、五人全員一致で俺の有罪が決まってんだ。俺こそ無神経で悪かったな」

 佐川は岩谷自身も反省してるようなのに気付き、少し驚いたような顔をした。

 そしてすぐに笑顔になった。

「奥さんやお子さんにあんまりべたべたしちゃだめですよ」

 岩谷はもう一度笑った。

「残念だが、向こうから俺に抱きついてくるもんで、その要求には応えられんな」

 最後に岩谷はもう一度別れを告げてから、自分の車に乗り込んだ。

 岩谷の車を見送り、四人で休憩室に戻りながら泉が口を開いた。

「結局栗原さん来ませんでしたね」

「小塚君がキャラ的に来ないのはわかるけど、栗原さんが来ないなんて……隼人さん、栗原さんにちゃんと伝えたんですか?」

「あ、栗原さんに伝えたのあたしなんです」

 隼人は俯いた。

「あら、泉ちゃんだったの?」

「ちゃんと伝えましたよ。扉の入室ランプが点いていたのでインターホンで……返事はありませんでしたけど」

「おい、安藤」

 ボスの口調が少し厳しくなった。

「返事をしなかった? 栗原さんが? どうして?」

「あ……えーっと……」

 泉は困惑した。栗原の異変はおそらくもう佐川に感付かれているが、ボスの表情が真実を話していいのか泉を迷わせていた。

「最近のあいつは冷たくなった」

 隼人が俯きながら佐川の質問に答えた。

「栗原さんが……冷たい? だから最近休憩室にも顔見せないんですか?」

「たぶんな。俺のことも無視している」

「隼人さんを? 一体……どうして急にそんな……」





 佐川が三人と途中で別れ、泉たちは三人で休憩室に戻った。

「すみませんでした」

 ボスがデスクにつくなり泉が謝った。

「いや、どちらにしろあまり長く隠し通せるものでもなかった」

 ボスは夜通し見ていたらしいデスクの大量の書類を整理しながら言った。

「あいつは誰にでも優しく接し、絶対に傷つけなかった。佐川もあいつはそういう人間だと思っていたはずだ」

「そうですよね。家族のいない佐川さんにとっては、栗原さんのように優しい方はとても大切な存在ですよね」

「……隼人にとってもな」

 ボスは、苦さに顔を歪めながらコーヒーを飲み始めた隼人の方を向いた。

「あいつは幼いうちに母親を亡くして、学校でも友達は少なかったみたいでな。おまけにわたしもほとんど家に帰らなかった」

 悲しそうな口調だった。

「私は昔孤児院の院長をやっていたんだ。そしてある時この組織に加わることになった」

 ボスは一瞬間を置いてから続けた。

「……頼れるあてもなかったから、孤児院の子も隼人もここで暮らすことになった。そしてそこにすでに記憶をなくした栗原がやってきた。年が近いこともあってか、隼人と栗原はすぐに兄弟みたいに仲良くなったんだ」

「そうだったんですか……孤児院の子供は、今はどうしてるんですか?」

「孤児院の子供は……今はここで働いてもらっている」

「あんまり見かけませんね。遠くで見ることは何度かありましたけど……そういえば」

 泉は思い出したように言った。

「ここで働いているその修道院にいた子供たち……今は大人か。その人たちって狂魔のこと知ってるんですか?」

 また一瞬の間を置いてからボスは答えた。

「いや……知らせていない。専門的な医療技術を教えた治療課と、病室の監視、本部のさまざまな管理を担う管理課にわかれて働いてもらっている」

「そうですか」

 泉はふと壁掛け時計を見た。

「そろそろ訓練の時間……」

 泉はすっかり元気のなくなった隼人を見つめてから、小塚との訓練のためボックスのある地下十二階へ向かった。

 ボスの溜息が聞こえた気がした。





 佐川は、扉に『〇〇九』と彫られた個室の前に立っていた。

 見つめているのは、全ての個室に取り付けられているシンプルなインターホン。

 インターホンには、入室を示す緑のランプが点いている。中に人がいる証拠だった。

 インターホンのスイッチに手を伸ばそうとするが、鎧をまとっているかのように異様に重かった。

 一度唾をのんでから、ゆっくりとインターホンを押す。

 メロディーが流れ出した。

 個室のインターホンのメロディーは、数種類の中からそれぞれの個室の主が選べることになっている。ここのインターホンは上品で素朴な感じだった。佐川は自分も気に入ったメロディーを選択したつもりだったが、ここのメロディーも何となく心地よかった。

「栗原さん」

 気持ちを切り替え、マイクに向かって呼びかける。

 真偽を確かめなければならない。

 しばらく待ったが、何も応答はなかった。聞こえたのは、どこか遠くの階段を歩く無駄に規則正しい足音だけだった。

 個室のパスワードはボスすら知らない完全にその人だけのもので、他の人間が入れるはずはない。つまり、栗原は中にいて、佐川の声を確かに聞いていることになる。

 以前も何度かインターホンで声をかけたことがあったが、無視されたことは無論、返事がないことなど一度としてなかった。必ず優しい言葉で返答を返してくれた。

 だが、今のこの静寂は、栗原はもう自分が知っている栗原ではない、そう告げていた。

「どうして……」

 佐川は、もうあの優しかった栗原には二度と会えない気がした。そしてこれと似た感覚を、以前にも一度感じたことがあった。

 思い出したのは、幼い頃の記憶、闇に消し去りたいほど辛い、家族を目の前で失った時の記憶だった。それが、今の感覚と非常に酷似していた。

 あの日、無惨な死体を見て家族が死んだのを認識した瞬間、心にぽっかりと穴が開いた。もうそれらが動くことがないことを理解した瞬間、悲しみと寂しさが込み上げてきた。そして、胸が苦しくなり、涙があふれる。

 今も佐川の目には涙が浮かんでいる。

 栗原は死んだわけではない。どこか遠いところへ去ってしまったわけでもない。それなのに、胸のあたりが重くなり、ズキズキと物理的な痛みを感じた。

 佐川は栗原の個室に背を向けて歩き去った。





 岩谷は本部からさほど離れていない住宅街の一つの家の前に車を停めた。まだ新築のレトロなデザインの住宅だった。

 岩谷は扉の前のインターホンを押した。

「さきさーん、ひなこさーん、かなえさーん。ただいまパパが帰りましたー」

 インターホンの奥でパパだ、と叫ぶ女の子の声がしたと思うと、今度は今開けるわ、とまだ比較的若い女性の声が聞こえてきた。

 岩谷は久しぶりに聞いた、子供が自分を『ぱぱ』と呼ぶ声に酔いしれた。

「あのちょっと滑舌の悪い子供特有の喋り方がたまらんなー」

 岩谷は一人呟いた。

 電子音がしてドアのロックが解除される音がした。

 最近の新築に多いのと、狂魔の危険から、岩谷は家のドアを電子ロック式のものにしていた。

 ドアが開くと、玄関で待っていた女の子二人が靴も履かずに岩谷に抱きついた。

「ぱぱー」

「ぱぱー」

 岩谷は二人をそれぞれ肩に乗せた。

「元気だったかー」

「うん、ぱぱがこの前来てから一度も風邪ひいてないよ」

「雛子もだよー」

「そうかそうか、偉かったなー」

 岩谷は二人を下ろすと、今度は岩谷より十以上は若そうな女性の方を向いた。

「香苗も元気だったか」

「私が風邪ひいたらこの子たちの面倒を誰が見るのよ」

「それもそうだな」

桐原(きりはら)さんがいるよー」

 沙希が元気な声で言った。

「そういえば、桐原はまだ仕事うまくいってないのか?」

 岩谷は香苗に聞いた。

「うん。そうみたい。それも心配だけど、今日はせっかくパパのお仕事休みなんだし、みんなで出かける?」

 香苗は三人を広いリビングまで連れて行きながら言った。最後の言葉は子供たちに向けられたものだった。

「いくー」

「雛子もいくー」

「それじゃあどこに行く?」

「お山にピクニックにいきたーい」

「雛子は遊園地にいきたーい」

「パパ、どうする?」

 んー、としばらく考えてから口を開いた。

「それじゃあ、ジャンケンで勝った方を今日行って、負けた方は明日行くっていうのでどうだ?」

 岩谷の言葉で沙希と雛子が向き合った。

「沙希絶対負けないよ!」

「雛子も絶対負けないんだから!」

 岩谷はのほほんとした幸せそうな笑顔で二人を見守った。

「じゃーんけーんぽん!」

 沙希が腕を振り上げて叫んだ。

「やったー。ピクニックだー」

 雛子は自分が負けたのが信じられないかのように固まり、呆然と自分のパーを出した手を見つめていた。

「ぱぱ! この前一番強いのパーだって言ったじゃん」

「な、何を言う。パパがうそをつくわけないだろー。それじゃあパパともう一回じゃんけんやるか」

 岩谷は膝を折って雛子と目線を合わせた。

「じゃーんけーんぽん!」

 二人は声を揃えた。

「ほらー」

 雛子はパーを出し、岩谷はグーを出していた。

「わざと負けたんでしょー」

 雛子が頬を膨らませた。

「そうだよ。ぱぱはわざと負けたんだよー」

 沙希も重ねるように言った。

「あれ、パパは勝つつもりでやったんだけどなー」

「うそだ!」

 雛子は頬を膨らませたまま言った。

「でもわかんないよー。おばかだから雛子がパー出すのわかっててもグー出しちゃったかもしれないよ」

 岩谷は、沙希が自分をかばっているのかどうか見極めようと沙希を見つめた。かわいい顔は真剣そのもので、本当に岩谷をおばか扱いしているようなのに気付き、二人にわからない程度に岩谷は少し落ち込んだ。

「そうだねー。じゃあ、ぱぱはおばかだからパーは一番弱いんだね」

「あ……そうなっちゃうんだ」

 岩谷は一瞬パーの科学的な強さを説明しようかと思ったが、せっかく二人とも笑顔になったのでやめておいた。

「よーし、じゃあ今日はあったかいところにピクニックに行って、明日は遊園地だなー。でもその前に、実はパパはおなかぺこぺこなんだよ」

「朝ごはんできたわよー」

 タイミング良く香苗の声が聞こえ、食卓に朝食が並べられていった。沙希と雛子が食卓へ飛んでいく。

 香苗はそのまま岩谷のそばへ歩み寄ってきた。

「二人ともパパと一緒に食べるって言ってたわよ。あと……」

 香苗は食卓についた沙希と雛子に聞こえないように言った。

「さすがにあれはないわ。もうすぐ学校に行き始めるのよ」

「いやー、子供の成長は早いもんだなー」

 岩谷が笑いながら言った。

「それより早く食べてくださいな。冷めちゃうわ」

「そうだった。君たち三人ともかわいすぎておなかが減ってたのを忘れてたよ」

 岩谷は沙希と雛子に急かされて食卓についた。

「うまそー」

 岩谷の口から裏返った声が出てきた。

「ぱぱー、よだれー」

「おさるさんみたいなこえー」

 香苗が席に座ると、賑やかな岩谷家の食事が始まった。


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