story13‐‐不穏な影‐‐
翌日の日暮れ。射撃場には隼人と佐川の姿があった。
佐川は両手で銃を構え、交互に次々と的の頭部を撃ち抜いていく。
組織の拳銃は、岩谷が一般市民に銃声が聞こえないように改良したため射撃場にはたいした音が響くことはない。
隼人はじっと見つめて佐川の射撃を観察していた。
「コツは」
佐川が弾を全弾撃ち終わったところで隼人の方を振り返った。
「照準が合った瞬間を見極めること……かしら?」
「佐川は片手持ちでもそれぞれ照準が合うのか。しかもあんなにすぐに」
「まあ、熟練者の慣れってやつ?」
佐川が上から目線で言った。
「お前、仮にも先輩に向かってその口調か。まあ、お前の方が射撃の腕はだいぶ上だから仕方がないんだが」
隼人は悔しそうな表情になった。
「お前、本当に組織に入るまで拳銃持ったことないんだよな?」
「ありませんよ」
「じゃあ、どうして俺はいつのまにかお前に追い抜かれたんだ?」
「あたし、銃のセンスはあっても頭は良くないのでそんなことはわかりません」
「暗にお前の銃のセンスの良さを誇張してるな」
「まあ、とにかくあたしの言うとおりに撃ってみてください。ここ最近の訓練で隼人さんの射撃の精度は確かに上がっているんですからね」
「照準が合った瞬間を見極める……だったか? そんな大それたことが俺にできるとは思えないな」
隼人は両手で銃を構えた。
一発目。
二発目。
泉は小塚の拳を連続でうまくかわした。
そして三発目。泉は視界の隅から小塚の拳が飛んでくるのを目にした。
「悪い」
小塚はあまり悪びれた様子も見せずに謝った。
尻もちをついた泉の頬に細い擦り傷ができ、少量の血が流れていた。
「視界には入っていたんですけど」
泉が立ち上がりながら言った。
「高速の攻撃を目で捉えるのとそれを避けるのとでは、まったく別の行動だ。もっと集中しろ」
「はい」
泉が返事をするや否や部屋中にボスの音声が響いた。
地下の全体に放送しているようだった。
〈地方の警察に道端で人の遺体を確認したという通報があったようだ〉
まだ日は沈み切っていないはずの時間だった。
泉は反射的に『白昼の悪夢』を思い出した。
〈ここ数分で十件を超えている〉
「……狂魔だ」
小塚は確信したように呟いた。
〈場所もそれぞれかなり離れている。狂魔の可能性が高く、複数存在する可能性もある。準備が整い次第すぐに車に集合しろ〉
放送が終わり、泉と小塚は急いで訓練施設を後にした。
「念のため訊くが、感知器が反応している奴はいないな?」
沈黙がボスの質問の答えとなっていた。
雲は夕焼けに照らされて薄い紫色の影を作り、真っ赤に染まった夕日はまだ地平線に残っていた。
車はやはり猛スピードで走っている。
「とりあえず、最後に通報があった現場に向かう」
メンバー全員が一つの同じことを考えているのが泉にははっきりと感じ取れた。
「どうしてでしょうか?」
泉は耐え切れずに隣の佐川に訊いてみた。
「なぜ狂魔が出現してるのに感知器が反応しないのかってこと?」
「はい。また盲目の人間が狂魔化したのなら、まだ日のあるうちに狂魔が出現したことは理解できます。でも、感知器が反応しないのは……」
佐川は「うーん」と唸った。
「この狂魔は感情物質を放出しない、ってことかな……」
「もし狂魔がいったん殺戮をやめたら見失っちゃいますよ」
「でも、あたしたちにはどうしようもない」
泉は足もとに視線を落としたが、こんな気持ちになっているのは自分だけではないはずだと気付いて、余計にやり切れない気持ちになった。
「ボス」
隼人が声をかけた。
「岩谷さんには連絡したんですか?」
「せっかくの休暇なのに悪いと思うと気が引けてな。まだ連絡していない。だが人命には代えられない。現場についたら連絡を入れてみる」
岩谷家は、最近夜が冷えやすいのを考慮して少し早めに遊園地から帰っていた。いつも通り香苗が娘二人に、靴を下駄箱にしまわせると、娘二人はすぐにうとうとし始め、岩谷にベッドの中に入れられた。
「どうして靴をしまわせるようになったんだ?」
岩谷がリビングに戻って香苗に訊いた。
「この前家を出る時、あの子たちの靴で転んで頭打っちゃったことがあるの。最初はあの子たちもあたしの心配してくれたんだけど、その後、ふんづけちゃった靴のかわいさとか思い入れとかを呟き始めたのよ。私もう、やり切れなくて。それで靴をしまうようにしてもらったの。あの時、あの子たちはもう大人なのね、って思ったわ」
「そうか、それは……大変だったな」
岩谷は子供というもの――「子供」をひとくくりにして考えるべきではないかもしれないが――に若干の恐れを感じ、香苗に心から同情した。
「あなたもあんまり子供扱いしたら酷い目に遭うわよ」
本気で心配している香苗に対し、岩谷は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「気をつけるよ」
岩谷は車の運転で凝ったのか、肩を回し始めた。
「大丈夫? やっぱり帰りは私が運転した方がよかったんじゃ――」
最後まで言い切る前にインターホンが鳴った。
すぐに香苗がインターホンの画面を確認する。
「あなた、桐原さんが来てるみたいよ」
「桐原が? どうしたんだろうな」
「出るわね」
岩谷は、香苗が玄関のドアを開けながらしていた挨拶が、途中で呻き声になって途切れるのを耳にした。
「香苗!」
岩谷は入ってきた人物に目が釘付けになった。
「お前……何でここにいるんだ」
岩谷は目の前の相手が、桐原の真っ白な首をもっているのを目にした。
そして岩谷は全てを察した。
「まさかお前が……」
最後に通報があった現場に到着しても、遺体を確認したという警察からの新しい通報はまだ来ていなかった。
現場は住宅の少ない、季節外れの殺風景な田んぼが広がる、自然の多い田舎のようだった。
「とりあえず、この近辺を二十分間調べてみてくれ」
ボスの指示と同時に四人はふた手にわかれて狂魔の捜索を始めた。
「本当に狂魔が姿をくらましたと思うか?」
小走りで辺りを捜索しながら隼人が泉に訊いた。
「わかりません」
泉は表情を曇らせてさらに続けた。
「もっと言うと、本当に相手が狂魔なのかさえわからなくなってきました」
「じゃあ、誰なんだ?」
「さっき思いついた、根拠のない非常に曖昧なものなんですが」
泉はさも言いにくそうに一度切る。
「もし小塚さんのように人間離れした身体能力をもつ人が他にもいたら……」
「おいおい、あいつの身体能力は狂魔とは関係ないだろ。それにあいつに殺戮衝動はないんだ」
「でも、小塚さんの身体能力は普通の人間を圧倒しています。狂魔と同等か、それ以上です。これについては小塚さんも気にしているようでした」
隼人は立ち止まった。
「小塚が……狂魔だって言いたいのか?」
「そうではありません」
泉は落ち着いて諭すように言った。
「もし小塚さんの身体能力に何か理由があって、他にも小塚さんと同じくらいの身体能力をもち、殺戮衝動がなく、感情物質も放出しないような人がいたとしたら、この事件につじつまが合う気がするんです」
「普通の人間の集団が手分けして人を殺しているかもしれないだろ」
「もちろん、その可能性は十分にあると思います」
「だったら……」
「でも」
泉は珍しく強気で隼人の言葉を遮った。
「あたしたちは、常に最悪の事態を想定して行動しなければ、いつまでも狂魔に翻弄され続けてしまいます」
隼人はまだ納得できないかのような表情で俯いた。
「隼人さん。あたしたちが翻弄されるのならまだましです。でも」
泉はまっすぐ隼人の方を見つめた。
「一般人の命には代えられないはずです」
泉はボスが口にしていた言葉を隼人に言った。皮肉ではなく、狂魔特別対策組織のメンバーとして、自分たちがもつべき信念を隼人に自覚させるために。
「俺の周りの人間は……」
隼人は地面を見つめて立ち尽くした。
「……みんな…………強いよな……」
隼人が見つめている地面に落ちる透明のしずくが、夕日に照らされて煌めくのを泉は目にした。
「俺だけ…………いつも弱腰だ……すぐにびびって……物事を楽な方に考えようとする」
泉がなんて声をかけたらいいのか迷っていると、隼人はすぐに自分で立ち直った。
「……悪い。こんなこと言ってる場合じゃないよな。捜索を続けよう」
隼人は泉の先を走り始めた。
(自分の痛みを原動力に行動する……あたしにはとても真似できないです)
「……それがあの時あたしを振った理由?」
小塚と佐川は泉たちとは反対方向に向かって走っていた。
いつも円の中心まで走って向かう分、泉たちよりペースは速い。
小塚は何も言わなかった。
佐川は一歩前を走る小塚の小さな背中を見つめ、溜息をついた。
「つくづく思う。あたしってとっても気の毒だなって」
佐川は周りを観察しながら続けた。
「自分が狂魔かもしれないなんてばかばかしい理由で振られるなんて」
小塚はただ沈黙している。
「小塚君は絶対に狂魔じゃないよ」
そんなこともわかんないの、と佐川は小さく付け足した。
「じゃあ、俺のこの異常な身体能力は一体何なんだ?」
「そんなことは知らない。でも小塚君は狂魔じゃないよ」
佐川は念を押すようにもう一度言った。
「俺の記憶が一部だけないのは何でだ?」
「そんなことも知らない。でも、とにかく小塚君は狂魔なんかじゃないの。そろそろ認めてくれる?」
佐川は苛立たしげに言った。
「何の根拠があって言ってんだ?」
「根拠ならある」
しばらく間を空けてから、佐川はその根拠を口にした。
「……あたし、狂魔が大っ嫌いなの」
本気のようで芝居がかったようでもある口調だった。
小塚がさりげなく佐川の方を見た時、小塚は佐川の表情が一瞬暗いものになったような気がした。
「きっと、本能的にも理性的にも嫌悪してるんだと思う。でも、あたしは小塚君が好きなの。だから小塚君は狂魔じゃない」
科学的な根拠になるのかな、と最後に付け加えて佐川は口を閉じた。
小塚は無言のまましばらく走り続けた末に立ち止まり、そっぽを向きながらも佐川に向かって言葉を発した。
「俺は…………絶対に死ななければいいのか?」
佐川は目を見開いた。
「……どうなんだ?」
小塚が重ねて訊く。
「えっ……あ、うん」
佐川は急に出てきた自分の涙に動揺しながらも、頼もしい小塚の背中を見つめたまま言った。
「絶対に……死なないで」
「お安い御用だ」
「あと、あたしのことも……ちゃんと守ってね」
「一気に荷が重くなった」
「はあーー?」
佐川が怒鳴るように言うと、背中を向けていた小塚が佐川の方を振り返った。
「うるせえな。守ってやるから死ぬか黙るかどっちかにしろ」
少し照れくさそうに言われたその言葉に、佐川はニタッと笑い、いかにも幸せそうな満面の笑みを返した。
「ありがと」




