作戦実行!
エリザベスは、広間を見回した。お目当ての相手は、見当たらない。適当に微笑みをばらまきながら、ロイを引き連れて広間の中をぐるぐると回る。
「あら、そろそろなのかしら」
広間の隅に、大きな紙を広げている一団がいた。その中央にリチャードがいる。さらに彼らの近くにいる一段は、何やら難しそうな話をしている。
「声、かけるんですか?」
「いいえ。邪魔にならない場所で見ていようかしら」
一番近いソファは、彼らの脇を通り抜けたところだ。エリザベスは、ロイを促してそちらに向かい始めた。今日の本題ではないが、気にならないと言えば嘘になる。
「リチャード、そろそろ挨拶しろよ」
その団体の横をエリザベスが通り過ぎた時、ちょうどリチャードをせかす声がした。
立ち上がった彼と目が合い、エリザベスが微笑みを作ってみせると、ひらりと手をふった彼は、広間にしつらえられた教壇のような台に向かっていく。そこに立った彼は、一礼してから話し始めた。
「今日は、わたしのためにお集まりいただき、ありがとうございます。大学生活最後の論文が、雑誌『ネイチャー・サイエンス』に掲載されました」
部屋中から手を叩く音が響いてくる。リチャードは、台の上からもう一度頭を下げて続けた。
「これでわたしは大学を卒業することになりますが、まだ来年以降のことについては何も決まっていません。どうぞご指導よろしくお願いします――」
堅苦しい挨拶の最後、リチャードは急に雰囲気を変えた。
「――というわけで、商売でもやってみようかと思っている。僕でもできそうなものがあったら声をかけてほしいな」
どっと部屋中から笑い声があがった。リチャードは手をふって、それを押さえ、そして手で合図をする。揃いの服に身を包んだ使用人達が、ジュースやアルコールのグラスを配り始めた。
未成年のエリザベスは、オレンジジュースのグラスを二つとる。一つを隣で暇そうにしているロイに押しつけた。グラスが全員に回ったであろう頃合いを見計らい、リチャードが再び口を開く。
「今日はもう無礼講でいいと思う。うるさい大人もいないしね――。研究に興味があったら僕に直接聞いてくれればいい。では、乾杯!」
乾杯! の声があちこちからあがった。エリザベスも「乾杯!」と叫ぶと、オレンジジュースのグラスを口に運んだ。グラスを半分空にして、エリザベスは周囲を見回す。リチャードの挨拶を聞いたなら、ひとまず義理は果たしたことになる。オルランド公爵を見つけて、さっさと用件をすませてしまおう。
「ああ、あそこにいるわ」
周囲よりひときわ背が高く、長めの黒い髪を首の後ろで一つに束ねている高い男性がいる。紺のフロックコートに黒のズボンがよく似合っていた。
「失礼ですが……オルランド公爵……ですよね?」
誰かに紹介されるのを待つでもなく、エリザベスは公爵に話しかけた。
「ええと、どちらでお目にかかったかな?」
「叔母のパーティーでお会いしましたわ。叔母はヴァルミア伯爵夫人ですの」
「ああ、レディ・メアリの姪御さんですか。そう言えば一度ご挨拶していますね」
オルランド公爵は微笑んだ。このパーティー会場にいる面々の大半より少し年長のようだ。たいそう感じのいい微笑みだ。
「エリザベス・マクマリー。マクマリー男爵家当主です」
口角をあげて、一番可愛らしく見える微笑みを作る。そしてエリザベスは、オルランド公爵に右手を差し出した。
臆することなく公爵はエリザベスの手を取り、手の甲に軽くキスした。優雅に見える微笑みを浮かべたまま、エリザベスは失礼にならない程度の時間をおいて、そっとその手を抜いた。
「こちらはお友達のアルマ・シャーレー。田舎から出てきていて――リチャードが一緒に今日のパーティーに呼んでくれましたの」
「よ……よろしく……お願い……し……」
顔を見せないよう、うつむいたままロイはエリザベスと同じように手を差し出す――そしてふらりとオルランド公爵の方へと倒れ込んだ。
「んまあぁぁ! 大変!」
エリザベスは狼狽した様子をよそおった。最初の悲鳴は少々わざとらしくなってしまたが、オルランド公爵はそれに気づいた様子はなかった。さらに演技を続けながら、エリザベスは続ける。
「連れてくるのではなかったわ! どうしましょう! 人がたくさんいるところは苦手だと言っていたのに!」
「とにかくここを出よう」
紳士らしく、公爵はロイを抱え上げた。ざわざわしている広間を通り抜け、一度廊下に出る。そこにいた使用人に静かな部屋まで案内させ、その部屋のソファにそっとロイをおろした。
「服をゆるめてあげなさい――わたしは、医者を呼んでこよう」
ロイは小声で何か言う。
「え……なぁに? ええ、わかったわ」
エリザベスは、あわただしく部屋を出ていこうとするオルランド公爵を呼び止めた。
「お医者様はけっこうです。申し訳ないのですが、お水を頼んでもらえませんか? コルセットに慣れていないので気分が悪くなっただけだそうです」
「わかった」
公爵が部屋を出ていく。エリザベスは飛び上がって扉に駆け寄り、鍵をかけた。
「成功した?」
「ばっちり!」
ウィンクしたロイはエリザベスに財布を差し出す。
「素敵! じゃあ中を確認しましょう――あら、たいしたものは入ってなさそうね」
素早く財布の中身を確認する。硬貨、紙幣、もらったであろう名刺。そしてメモが何枚か。
「六月二十一日 十五時 レクタフォード十五番地」
読み上げて、エリザベスは舌打ちする。
「何のために行くのか書いてないなら、意味がないじゃないの!」
とりあえず、急いでそれを手帳に記す。他に何人かの名前や住所を書いたメモの内容をすべて書き込んだ。
その間にロイはせっせと背中のボタンを外して、衣服をゆるめている。
「レディ・エリザベス! どうしたのですか? ここを開けてください!」
エリザベスがすべてのメモを書き写し、財布にしまったところで扉が叩かれる。ロイは元の通りにソファに横たわり、エリザベスは彼の手に財布を握らせた。
側に用意されていた毛布をかぶせ、扉を開ける。
「申し訳ありません――服を緩めている間に殿方に入られるのは嫌だと彼女が言ったので」
詫びながら、エリザベスは公爵を部屋の中に招き入れる。公爵の後ろには、水のグラスをトレイに乗せたダスティがついていた。
「まあ、ダスティ。あなたが来るなんてどうしたの?」
「君の友達が倒れたって聞いたから」
「たいした話じゃないのよ――コルセットを締めすぎてしまったの。わたしが注意しなかったのがいけなかったのね」
「ああ、女性にはありがちだね」
気分が悪いふりをしているロイは、公爵からグラスを受け取り、水を飲んでいる。
「もう帰った方がいいかもしれないわね」
その様子を眺めながら、エリザベスは言った。本来の目的はもう達成したのだ。リチャードには申し訳ないが、この場に留まる必要はない。
リチャードとは、今度また改めて時間を作ることにしよう。




