乙女心は少々複雑
公園は、たくさんの子どもたちで賑わっていた。
ボールを蹴り合っている子どもたちが、並んで歩くエリザベスとリチャードを見かけて冷やかすような声を上げる。
それに手を振って応えておいて、二人はのんびりと歩みを進めた。今日は暑すぎず、寒すぎず、散歩をするのには最適の気候だ。
噴水のところまで来て、二人は足を止めた。
「ねえ、リズ?」
思いきったようにリチャードが話の口火を切る。
「何かしら?」
「マクマリー家の商売は楽しい?」
ふいの問いにエリザベスはリチャードを見上げた。貴族階級の人間が、商売に興味を示すのは珍しい。
彼の真意がわからないままに、エリザベスは返した。
「……楽しいわ。とても。やりがいもあるしね」
「僕にもできるかな?」
その問いまでは予想していなかった。思いがけない質問に、エリザベスの目が丸くなった。
「商売、したいの?」
「……格好悪い話なんだけど。お金が必要なんだ。家を存続させたかったらね」
「家財を手放さなければならないくらい?」
表情をわずかにゆがませ、彼は情けなさそうにエリザベスから視線をそらせた。
「すぐにそんなことにはならないけれど。僕の代になったら、体面を保つのに苦労しそうだ」
彼は、エリザベスがラティーマ大陸に渡ったいきさつをどこかで聞いたのだろう。人の噂は忘れ去られるものではあるけれど、案外しぶとく生き残るものでもある。
「……商売を始めるのは大変なことよ? 成功するのも、ね」
「わかってる」
彼は素直にエリザベスの言葉を受け入れた。ここまで彼の話を聞いて、エリザベスは気がついた。
「ねえ――黙ってわたしと結婚できるように努力すればよかったんじゃない? そうすれば、わたしの財産を使い放題だったのに。あなたとお見合いしたのは事実だし、わたしあなたのこと嫌いじゃないわ」
いやな相手だったら、すぐに断ろうと思っていた。いやな相手を押しつけられて黙って受け入れるほどおとなしい性格ではない。
「嫌いじゃない、だけでは足りないんだ」
リチャードは、きゅっとエリザベスの手を握る。
「リズと結婚するのなら――リズの財産に頼りたくはない。まだ二回しか会ったことないのにこんな風に結婚のことを言うのはおかしいかもしれないけど」
「……おかしくないわ。わたしたちの階級の結婚ってそんなものよ」
エリザベスはくすり、と笑った。
手を取られて、少しどきどきしている。このまま彼のことを好きになれたら楽なのにと思うけれど、心が思いのままにならないのもまた事実だった。頭を振って、その想いを振り払い、エリザベスは続ける。
「でも、わたしみたいな商売に今から入るのは難しいと思うの。十年前ならともかく、似たような仕事をしている人はたくさんいるもの――少し遅すぎたわ」
「そうか……安直だったなあ」
リチャードは深々とため息をついた。そして彼は握っていたエリザベスの手を離す。
不意に包み込まれた温かさが消えてしまって、なんだかそれも少し寂しいように感じられた。エリザベスは笑って、今度は彼女の方からリチャードの手を取った。
「ねえ、あなたのこと嫌いじゃないわ……けっこう、好き、よ」
「……とても好き、だったら嬉しいな」
「今はまだ無理よ」
エリザベスは口を尖らせる――今はまだ無理。でも、いずれ好きになれればいいと思う。それが難しいのもわかっているけれど。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
レディ・メアリとリチャード、それにレディ・メアリの夫であるヴァルミア伯爵を招待して『亡国の王女』を観劇したのはそれから三日後のことだった。
エリザベスは、若草色のドレスを身につけていた。真珠の耳飾りに、レースの手袋。髪には金と真珠の飾り櫛を挿す。前回と違って物騒な用件は予定していないから、今日は拳銃の必要はない。
グレイのフロックコートを着たリチャードが屋敷まで迎えに来てくれる。軽やかな足取りで玄関を出たエリザベスは、笑顔で執事の方を振り返った。
「パーカー、後はよろしくね」
「行ってらっしゃいませ」
丁寧に頭を下げるパーカーに見送られて、エリザベスはリチャードの車に乗り込む。
「今日のドレス、よく似合うね」
「あなたも素敵。劇場では、腕貸してくださる?」
「もちろん」
ラティーマ大陸に渡った頃は、こんな贅沢ができるとは思ってもいなかった。綺麗に着飾っての観劇。乗り心地のいい車。車の振動に体を預けて、エリザベスは口元をゆるめる。
劇場の前に車が停まると、エリザベスはリチャードの腕を借りて降り立った。テレンス・ヴェイリーから借りたボックス席の番号を告げ、席まで案内してもらう。
レディ・メアリとヴァルミア伯爵は先にボックスに入って待っていた。
「こんばんは、叔父様。この席、一番いい席なのよ。一幕の最後、ミニー・フライに注目していてね、叔母様」
叔父と叔母に口早に話しかけて、エリザベスは腰を下ろした。
「ここ、どなたのお席なの?」
「ミニー・フライの後援者の方よ。ミニーが口をきいてくれたの」
この場で、ヴェイリーの名を出さない方がいいのはわかっている。彼とつきあいがあるなんて知ったら、叔母の目が回ってしまうだろう。
幕が上がるまでの時間に軽食を摘み、飲み物を楽しむ。
「そうだ、リズ――」
リチャードはエリザベスに招待状を手渡した。
「今度うちでパーティーするんだ。よかったら、おいで。友達を連れてきてくれてもかまわないし」
「どんなパーティーなの?」
招待状は美しいカードだった。周囲をぐるりと細かな模様が囲んでいる。そこにエリザベスは目を落とした。
「僕の論文が、学会雑誌に掲載されるんだ。そのお祝い――というのは口実」
エリザベスの耳元に口をよせて彼は続ける。
「皆が友達を連れてくるから、出会いの場の提供でもあるわけ。僕も何人か呼んでいるよ」
「……女性のお友達?」
エリザベスは片方の眉をつり上げて見せた。
「まさか」
「本当かしら?」
半ば演技でエリザベスは視線をそらす。彼の目に、少し焼きもちを焼いているように見えればいい。
「ほら、二人ともそろそろ幕が上がるわよ。静かになさい」
シャンパングラス片手に、レディ・メアリは二人に注意する。
「わかってますわ、叔母様」
落ちついた口調でエリザベスは言うと、ゆったりと座り直したのだった。




