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―閑話 ― ある執事の受難その2

 エリザベスが留守にしている間、パーカーはパーカーでやらなければならないことがいくつもあった。

 主が留守にしているからといって、屋敷の手入れをおこたるわけにはいかないのだ。

 強盗が押し入った時に破られた屋根裏の窓はきちんと修理され、再び保管庫として使用できるように整理された。


「……マギーもいないとなると静かですねぇ」

 新聞を読みながら、パーカーはコーヒーを嗜んでいた。彼は酒も煙草も嗜まないので、コーヒーだけが唯一の悪癖なのだ――胃薬をのぞけば、であるが。

 その胃薬も、主がいないとなれば出番は格段に少なくなる。おかげで、ここ数日というもの食事がおいしくてしかたがない。


「パーカーさん、車の手入れ終わりましたよっ」

「トムに点検してもらったのかな? 私の確認の前にトムに確認してもらわないと……」

「はーい」

 いつぞやエリザベスが拾ってきた少年は、すっかり屋敷にいついてしまった。パーカーはずいぶん反対したのだが、彼よりだいぶ年下のうら若い女性とはいえ、雇い主に逆らえるはずもないのだ。


 ――レディ・メアリが彼に期待している役割は、もっとエリザベスに対して口やかましく振る舞うことであるのも十分承知してはいるのだが。

「……いたた……ふぅ」

 何だか、胃が痛いような気がしてきた。胸のポケットに入れた錠剤の瓶にパーカーの手が伸びる。

 これを飲めば楽になれるのはわかっているのだが――あまり薬に頼るのもどうかと思うと、痛みをこらえて手を戻してしまう。

 どうせ、主が戻ってきたら嫌と言うほど、薬を飲まなければならない羽目に陥るのは目に見えているのだから。


 ◆ ◆ ◆


 レディ・メアリの屋敷には、毎日ロイを使いとして走らせている。自分で商売を営んでいるエリザベスは、何かと忙しく、毎日往復しなければ仕事が滞ってしまうのだ。

 レディ・メアリの屋敷から大急ぎで帰ってきたロイは、巨大な袋をパーカーに差し出した。

「……はい、パーカーさん。これ、持って帰って棚に戻しておけって。パーカーさんならどこにしまえばいいかわかるって言ってたよ。それから、こっちが指示書だって」

「ありがとう。助かったよ――うーん、マギーがいないとなると少し忙しくなるな……」

 エリザベスからの指示書を見て、パーカーは苦笑いした。


 五枚の便せんにぎっしりと指示が書かれている。中には伯爵家のタイプライターを拝借して打ったのだろう。三通の手紙も一緒に届けられて、それぞれ宛先を書いて投函するようにと指示があった。

 本来の執事としての仕事の他に、エリザベスの助手としての仕事も入るから、パーカーの日常は常に慌ただしいのだ。

 主がいない間、忙しいながらも少しはのんびりできるかと思っていたのにそれは甘かったらしい。


 ロイにお駄賃をやってから、渡された品を抱えてエリザベスの仕事部屋へと入る。ここは先代の時代には書斎として使われていたのだが、今は三つの事務机にタイプライターに帳簿類、金庫……と、先代の頃とは完全に趣を変えた設えになっていた。

「……やれやれ」

 エリザベスの手元から返されてきた資料を、元の場所に並べる。それから、きちんと仕事部屋の中を整えた。


 本来なら、と仕事部屋の中を見回しながらパーカーは考えた。

 エリザベスは商売から手を引いても十分にやっていけるのだ。領地だって無事に取り戻した。商売を全て売れば、孫の代まで遊んで暮らせるほどの額を手にすることができるだろう。

 けれど、彼女はそれを潔しとしなかった。


「……私、商売をたたむつもりはないの」

 何とか彼女を言いくるめて、安値で買いたたこうとしている商売人達を相手にしていた時のことを思い出す。彼女は、どんな相手が来ても負けたりなんてしなかった。

 自分の目で見て、自分の手で調べて――そうやって得た情報だけを確実なものとして取り入れる。それが彼女のやり方だったはずなのに。


 ――あんな胡散臭い情報を集めるなんて。

 家を留守にする前、彼女が一生懸命新聞記事を切り抜いていた時のことを思い出せば、彼の胃がきゅうっと苦痛を訴えてきた。

 ――いや、薬はもうしばらく我慢我慢。

 彼女が何を考えてあんな切り抜きを集めていたのか、パーカーには理解することができないけれど。

 戻ってくるまでの間だけは、しっかりと胃を休めてやろうと思った。


 ◆ ◆ ◆


 レディ・メアリの屋敷から戻ってきたエリザベスは、上機嫌とは言えないにしてもそれほど機嫌が悪いというわけでもなかった。

「リチャード・アディンセル? まあ、悪くはなかったわよ。今までお見合い相手と較べると、ぐーんと素敵な人だったかも」

「……ワイズマン伯爵のご令息はたしか……」

「結婚前に愛人作る宣言されたわよ。まったく、頭にきちゃうわよね。私が大陸帰りだからって、何やっても許されると思っているのかしら」


 今までのお見合い相手と違い、リチャード・アディンセルには好感を抱いたらしいとパーカーは判断する。

 その判断は、続くエリザベスの言葉で裏付けられた。


「彼、大陸に興味があるんですって。私にいろいろ聞きたいみたいなことを言っていたわよ……何だか、私でいいのかしらって思っちゃうくらいいい人だった」

「……では」

「わかんない。だって、まだ真面目に考えてないんだもの……でも」

 にっこりとエリザベスは微笑む。

「リズって呼んでもらってもいいかなって思うくらいには素敵な人だったわ」


「それはようございました」

 パーカーの胃のあたりを、ちくりとした何かが横切る。けれど、パーカーはそれについては無視することにした。

 幼い頃から使えてきた主が幸せになってくれるのならそれでいい。なぜなら彼は執事なのだから。

 

 ◆ ◆ ◆


 パーカーの胃の平穏は、数日で破られることになってしまった。

「アンドレアスに会いに行くわよっ」

 意気揚々と姿を現したエリザベスは、完全に武装を整えていた。

 胃がきりきりとしながらパーカーはエリザベスの後に続いて、アンドレアス商会に足を踏み入れる。

 上着の内側に拳銃を仕込んでおいたのはエリザベスには内緒だ。もっとも、彼の腕前では的に命中させるのはかなり難しいことなのではあるが、あるとないのでは違うだろう。

 

 エリザベスはてきぱきとアンドレアスをやりこめ、彼の上にいる者に連絡をつけることを約束させるところまでこぎつけた。

 そこまではよかったのだが――。


 どうやら、「裏の社会につながりを持つ者」に会いに行くことになってしまったらしい。

 胃薬を探し求めるパーカーには見向きもせず、エリザベスは連絡を待って行動を起こす気満々なのだった。


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