婚約破棄
「クラリッサ・エルヴェイン伯爵令嬢!」
夜会の華やかな喧噪を切り裂く呼び声に、人々の視線が一斉に集まった。声を上げた若い男はその視線に一瞬だけ表情を強張らせたが、すぐに胸を張り、続けた。
「私はこの場で、君との婚約破棄を宣言する!」
そのあまりに唐突な言葉に、大広間は静まり返った。
王宮で開かれた夜会は、第二王子の挨拶を終え、いつものように穏やかに始まったばかりだった。
名を呼ばれたクラリッサは、しばらく婚約者であるユリディスを見つめていた。聞き間違いを疑ったというより、何をどう考えればこのような行動に至るのか、判断しかねているようだった。
やがて彼女は人々の間を抜け、婚約者の前まで歩み出る。その足取りにも姿勢にも乱れはなく、その姿からは、衆目の中で恥をかかされた令嬢としてではなく、無作法な申し出を受けた伯爵家の娘として振る舞おうとする意志がうかがえた。
「ユリディス・グレナート伯爵令息。このような場で突然何を言い出されるのですか。私に何かご不満な点でも?」
怒りや羞恥がないはずはない。それでも、その声は平静に保たれていて、わずかな戸惑いが滲んでいた。婚約者の言葉には、彼女にも思い当たる前触れがなかったのかもしれない。
「君に何の瑕疵もないことは、この私が保証しよう!」
返ってきたのは、力強い断言だった。
ならば何を理由に婚約を破棄するのか。広間にいる誰もが抱いた疑問に、彼はわずかなためらいもなく答える。
「だが、私は真実の愛を知ってしまったのだ! これ以上、この婚約を続けるわけにはいかない!」
抑えきれない囁きがあちらこちらで生まれ、隣り合う者からさらにその隣へと広がっていく。
婚約は二人だけの約束ではない。ましてや伯爵家同士の契約を、王宮の夜会で公然と反故にしたのである。真実の愛という言葉に心を動かされた者がいたとしても、その振る舞いを称賛する者などいるはずもなかった。
この夜、この場所に居合わせた誰もが確信していた。
ユリディス・グレナート伯爵令息が引き起こした婚約破棄騒動は、これからしばらく社交界を席巻する話題になるだろう、と。
その予想は、少しばかり違った形で現実となった。
翌日、婚約破棄を宣言した令息が死体となって発見された。
これだけだとあんまりなので、今日中にもう1話投稿します。




