カンタンテ公爵家に犬が来た 中編
サナは、時々、パパに連れられて軍の訓練施設に来る。
ドーベルマン、シェパードなどが居並ぶグラウンドで、小さな体を躍動させて、不審者を撃退する術を学ぶのだ。
『オイ、新参者!その小さな体で、何が出来るっていうんだ』
走り込みの後休憩をしていると、軍用犬の中でも荒くれ者として有名はピットブルのレッドが、サナの小さなおしりの匂いをかぎながら毒づいた。
クンクンクン
サナを侮っていたレッドだが、肛門腺から放たれる乳臭い匂いの中に、恐ろしく獰猛な獣臭を感じる。
パパ(クリストファー)にも似た、攻撃的な性質を、どうやら、この小さな体に秘めているらしい。
『ボクは、これから大きくなるんだ!』
プリプリと怒りながら、サナも、レッドのお尻を嗅いだ。
自分よりもずっと大きな体に臆することなく、ちゃんと社交儀礼をこなす小型犬に、他の犬も興味を持ち始める。
俺も、俺もと、サナの尻を嗅ぐものだから、サナも、次々と先輩犬の尻に顔を寄せた。
その様子を、クリストファーに絞られ床に転がっていた若手兵士が、尊敬の眼差しで見つめる。
「俺なら、あんだけ囲まれたら、逃げるな」
黒光りするような肢体のドーベルマン。
強靭な筋肉を浮き上がらせるシェパード。
闘犬としての風格を漂わせるピットブル。
巨体に埋もれる小型犬は、時折、ピョコンと尻尾が見えるくらいで、おしくらまんじゅうの中に埋もれている。
「おい、チビ、お前、いい度胸してんな!」
「チビじゃない!サナだ!」
この群れのリーダーであるドーベルマンのドーマからもお墨付きをもらったサナは、訓練に来ることを許された。
そして、一時的にだが、その愛らしい容貌と体の小ささで女性兵士からもアイドル犬として人気を得た。
「かわいー!」
「こっちむいてー」
本当は、可愛いもの好きだが、日常に可愛いものなど存在しない彼女達にとって、サナは、癒し。
一応、パパ(クリストファー)の部下だから、サナも息子として一通り愛嬌を振りまいてやった。
しかし、サナの訓練を一目見た後は、蜘蛛の子を散らしたように近寄らなくなった。
何故なら、
ガウガウガウガウガウ
噛みつき訓練の際、一度牙を食い込ませると、パパの、
「止め!」
の声が響くまで決して離れないからだ。
肘上まである分厚い革製のグローブを着用しているとはいえ、あまりの気迫に訓練士のほうが慌てている。
引き離そうと腕を振っても、小さな体が空中でブンブン左右に揺らされているのに益々深く噛みつく。
その目は、パパに似てバーサーカーの色を纏っていた。
「ボクが、ママを守るんだ!」
その一念は、身体的不利すら、有利に変えていく。
軽く小さな体で障害物をすり抜け、いの一番に目標物に突撃する姿は、特攻隊長とあだ名をつけられるのに相応しい姿だ。
「わー、今日のサナも、キレキレだな」
レッドは、一見強面の顔で柔和な笑みを浮かべる。
つぶらな瞳には、小さな弟の主に対する忠誠心を称える光が宿っていた。
元々戦うことを得意とする彼だが、本来は、意外と気性は穏やかで優しい一面を持っている。
ただ、その忠誠心と高い能力を上手く育てられなければ、これほど危険な犬もいないというだけの話なのだ。
「お前の主は、有能な飼い主なんだな」
「違うよ!ママは、優しくて可愛くて、小さくて、とってもいい匂いがするんだ!」
「それは、逆に凄いな」
危険な特性と優秀な特性は、表裏一体だ。
飼い主の良し悪しで、犬の生きる道も変わってしまう。
ただ溺愛すれば良いという話ではない。
サナという犬は、この小さな体にライオン並みのハートの強さとチーターを彷彿とさせる俊足とスッポン以上の執念深さを持ち合わせている。
敵に回せば、これほど恐ろしい犬もいない。
「いつか、会ってみたいもんだ」
そうレッドが言ったからではないのだが、サナの訓練を見てみたいとサブリナがゴネたことで、軍用犬一同がカンタンテ公爵家に招待されるという珍事が起こった。
訓練士達の緊張感は、半端ない。
先ず、上司の奥方との会話は、一切禁止。
話しかけられても、頭を下げることしか出来ない。
そして、獰猛な犬達が、もしも慣れない公爵家の庭で暴走したらと考えると、辞表を出したくなるほど胃が痛くなった。
しかし、当日、彼らは、想像もしていない光景を見ることになる。
「まぁ、貴方達が、サナの先輩達なのね」
リーダーのドーマを先頭に立ち、ズラリと並んだ軍用犬達は、まるで借りてきた猫のように大人しい。
しかも、サブリナが手を出すと、ペロペロと控えめに舐めるのだ。
さらに、その光景を少し不貞腐れた子供のような顔でクリストファーが眺めている。
「サブリナ、舐めさせすぎじゃないか?」
明らかに、嫉妬である。
「まぁ、クリス、そんな事を言ったら、皆さんに笑われるわ」
十六歳になったばかりという若妻は、愛しい夫と初々しい夫婦のやりとりをしているだけだ。
ただ、クリストファーに物申すなど自殺行為だと刷り込まれている訓練士達にすれば、もはやサブリナは猛獣使いにしか見えない。
『凄いものを観てしまった……』
訓練士達は、初めて見る上司の奥方に羨望の眼差しを向けた。
そして、ドーマやレッド達も、サブリナから香る濃いクリストファーの匂いに背筋を伸ばすしかない。
『この女……ヤバいな』
『サナの主、最強だろ』
犬同士で目配せをし、絶対服従を心に誓う彼らの横で、サナは、自慢げに胸を張った。
「さぁ、サナ、ママに勇姿を見せてね」
「わん!」
この日のサナは、いつもにもまして気合が入っていた。
力が入り過ぎで、牙が防護服を突き破り、訓練士の腕に噛み跡を残したのは、ちょっとした御愛嬌だ。
「サナ、凄いわ!カッコいい!」
サブリナの声援に、張り切るサナとドン引きする先輩犬。
「やり過ぎだぞ」
「目がいってないか?」
過剰なアドレナリン放出を心配されるも、
「はーい、サナ、いい子~」
とサブリナが抱きしめると、キューンと甘えた声を出す。
ここまでくれば、二重人格だ。
ただ、これで終わっていれば、誰にも迷惑をかけずに全て円満だったのだが、一人の男が手を挙げた。
「サブリナ、俺も、訓練を見て欲しい(そして、褒めて欲しい)」
その言葉に笑顔を浮かべたのは、サブリナだけだ。
「まぁ、クリスの勇姿も見られるなんて、今日は、本当に良い日だわ!」
サブリナの背後で、護衛として控えていた騎士達は、絶望の表情を浮かべる。
さっきの息子を見ていてもわかるが、サブリナに褒められる為なら全力で相手を叩きに潰しに行くスタイルは、パパ(クリストファー)譲り。
本家本元がどれだけ苛烈なのかは、見なくても分かる。
しかし、ここで血みどろの戦いを繰り広げられることは、(クリストファー以外)誰も望んでいない。
「奥様、あちらにサナ様とお友達(軍用犬オールスターズ)の喉を潤す飲み物をご用意しております」
サブリナの傍で控えていたルシエルが、そっと囁いた。
呼応するように、サナと他の犬達も、舌を出して、
ハッハッハッ
と息を荒くする。
「まぁ、喉が渇いてしまったの?気づかずに、ごめんなさい」
サブリナは、サナをルシエルに預けると、自らも立ち上がりクリストファーの元へと歩いていった。
「クリス、折角皆様が来てくださっているのですもの。お茶をご用意いたしますから、お休みになって頂きたいわ」
太い腕に細い腕を絡められれば、いきり立っていたクリストファーの体から力が抜ける。
「サブリナが、そう言うのなら」
騎士も訓練士も、耳を疑う。
よほど死にたいようだな!
息の根を止めてやろうか!
が口癖の軍部トップが、尻尾を振る犬のようになっている。
「さぁ、皆様、あちらにお茶をご用意いたしております。暑い中、ありがとうございました。暫し、お休みくださいませ」
公爵家の娘として、完璧な接待をこなすサブリナを、家人達は成長した孫を見つめる祖父母のように目を細めて見守る。
「いろんな意味で、凄いものを観てしまったな……」
その後、サブリナは、訓練士の間で『ビーストマスター』と呼ばれるようになった。




