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万華鏡は月を巻き戻す  作者: 舞響


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36話 その後の日常

1年後。

羽瑠18歳。


あの夏祭りの日。

両親には、私が階段から落ちて枝がささり怪我をしたことで腹部の手術をしたということになっている。

腎臓がなくなったことは…どうにかひっそりと隠されている。


それも黒木巧のおかげではある。


祖父の呼吸は、まるで細い糸が切れそうに揺れていた。

病室の白い光が、痩せた頬を淡く照らしている。


「羽瑠…死ぬ前に思い出したんだが。」


かすれた声に、私はそっと祖父の手を握り返した。


「何? お爺ちゃん。」


「ちょうど1年前に…朔という少年に会った気がするんだ。」


胸の奥がひゅっと縮む。

祖父の濁った瞳が、遠い過去を探すように天井を見つめていた。


「うん。」


「気づけば忘れていた。

なにか…不思議な気持ちだ。」


祖父の言葉は、途切れ途切れなのに、確かに私の心に届いた。


「うん。」


「羽瑠、幸せになりなさい。」


その言葉は、最期の力を振り絞ったように、静かで、温かかった。


「うん、なるよ。

お爺ちゃんも。」


そう言うと、祖父はふっと微笑み、

そのまま、静かに息を引き取った。


病室に置き去りにされたような静寂。

黒木が祖父の胸に手を当て、淡々と死を確認する。

その横顔は医者としての冷静さと、どこか深い哀しみを含んでいた。


私は黒木を追って、ふらつく足で廊下に出た。

消毒液の匂いが、やけに強く感じる。


「黒木先生。」


振り返った黒木の目は、優しく私を受け止めてくれる。


「どうしたの?」


「あの…お爺ちゃん、最後に朔のこと思い出してた。

どうして…他の人は覚えてなくて、私と先生は覚えてるんでしょう。」


声が震えた。

自分でも抑えられない不安が、喉の奥でつかえていた。


黒木は少しだけ目を伏せ、言葉を選ぶように息を吐いた。


「それは…わからないけど。

ただ、運命なんじゃない? そういう。」


「運命…。」


その言葉は、あまりにも曖昧で、でもどこか逃げ場のようでもあった。


「でも一つだけ言えるのは…

君の腎臓は、彼の中で生きてる。」


その言葉が胸に落ちた瞬間、

張りつめていたものが少しだけ緩んだ。


「…はい。」


涙がこぼれそうになるのを、私はぎゅっと唇を噛んでこらえた。



羽瑠21歳。


黒木の部屋。

午後の光がブラインド越しに差し込み、白い壁に柔らかい影を落としている。

私は教科書を広げ、黒木はコーヒーを片手に書類を眺めていた。


「ねぇー黒木先生。」


「なに?」


黒木は書類から目を離さず、気怠そうに返事をする。


「ここどういうこと?」


私は教科書を指さす。

難しい専門用語が並んでいて、頭が痛くなる。


「これはこうなるの。」


黒木はペンでさらりと文字を描き足す。

その手つきは相変わらず無駄がなくて、見ていて腹が立つほど綺麗だ。


「ふーん。」


「ほんとに看護師になる気なの?」


「今更?大学通ってるし、もうすぐ国試なんですけど。」


「まあいいけどさ。」


黒木はコーヒーを飲みながら、面倒くさそうに肩をすくめる。

でも、その目はどこか楽しそうだった。


この奇妙な関係は続いている。


「私貴方のこと許してませんから。」


「知ってる。」


黒木は淡々と答える。

その声には、5年前にはなかった落ち着きがあった。


「だから見張ることにします。貴方がやらかさないか。」


「へぇー。」


黒木は口元だけで笑う。

挑発するような、でもどこか安心しているような笑い方。


「貴方のサイコパスな一面を知っている私には、気兼ねなくなんでも話していいですよ。」


そう笑う。


黒木は一瞬だけ目を細め、私をじっと見た。

その視線は、昔のような狂気ではなく、

どこか人間らしい温度を帯びていた。


「本当に殺したりしないでくださいよ。頼みますから。」


「そんなことしないよ。

姉さんに似てると思ってたけど、姉さんはこんなバカじゃないし、もっと綺麗だよ。

君と話せば話すほど似てない。」


「失礼な。」


私は頬を膨らませる。

黒木は肩を揺らして笑った。


「それに…この関係気に入ってるだよ。」


その言葉は、

ふざけたようでいて、

どこか本音が混ざっていた。


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