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謀婚 帝国編  作者: 樫本 紗樹
四章 それぞれの願う道

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女神マリーの神託

 アナスタシアは礼拝堂の壁に描かれている女神マリーを見つめていた。民と共に農作業をし、厳しい気候の中でも暮らせるように祈ってくれた女神。彼女は女神を崇め憧れて、領地にいる時も、そして皇妃になってからも同じように農作業を手伝った。

「ここにいたのか」

 声を掛けられ、アナスタシアは振り向くと一礼をした。シャルルは彼女の隣まで歩いてくる。

「女神マリーはこのように慈悲深い笑顔を常に浮かべていらっしゃるのでしょうか」

「さぁ。私は見た事がない」

 アナスタシアは怪訝そうな表情でシャルルを見る。彼は少し気まずそうに微笑む。

「明日は一緒に行かないか」

「私が足を踏み入れていいのでしょうか」

「ナーシャがいけないのなら、他に許される者はいないと思うが」

 シャルルに言われ、アナスタシアは返す言葉がなかった。彼女は信仰心が篤いと自負している。ウジェーヌのような見掛け倒しの大司教を見ていると吐き気もする。

「言い方を変えよう。一緒について来てほしい」

「理由をお伺いしても宜しいでしょうか」

「ナーシャが一緒なら女神マリーは微笑んでくれる気がする」

 シャルルの言葉の意味をアナスタシアは測りかねた。先程の見た事がないというのは女神マリー自体をという意味だと思ったのだが、笑顔の女神マリーを知らないという事なのだろうか。彼女は問いかけるような視線を彼に向ける。

「一緒に行くのなら、神聖なる森で話をしよう」

 礼拝堂は現在人払いがされているので誰もいない。だが壁を隔てれば修道女がいるし、どこの誰が隠れているかもわからない。余程重要な話なのだろうとアナスタシアは判断した。

「かしこまりました。ご一緒致します」

「それは助かる。明朝、部屋まで迎えに行く。服装は華美な物を避けてほしいが、ナーシャは元々そのような服を持っていないな」

「えぇ。最近は農作業で汚れてもいいように修道服が増えました」

 アナスタシアは微笑む。庶民と同じでは皇妃に見えないだろうと多少は気を遣っているものの、彼女の服装は至って質素だった。市井に出かける時は修道服を着用している。

「修道服ではない方がいい気がする」

「かしこまりました」



 翌朝、まだ陽も登っていない時間にシャルルはアナスタシアの部屋を訪れた。彼は普段では考えられない程質素な服装を身に纏っている。彼女は白のワンピースに外套を羽織っていた。まだ雪の降る季節ではないが朝晩の冷え込みは厳しいのである。

 二人は黙ったまま、皇宮の北側にある神聖なる森へと向かった。森の入り口には門があり、二人の門衛が立っている。門衛はアナスタシアの姿を確認すると、シャルルに困惑の表情を向けた。

「気にするな。この森は本来私の許可する者なら入れるのだ。それとも彼女がこの森に足を踏み入れる事が許されないと思うか?」

 シャルルの言葉に門衛二人は失礼致しましたと言って開門をした。彼はそのまま森へと入り、アナスタシアもそれに続く。入った瞬間、爽やかな風が吹いた気がして彼女は足を止めた。足音が続かない事を不審に思った彼は振り返る。

「どうした?」

「いえ、空気が違うような気がしたものですから」

 シャルルは手招きをした。まだ入り口なので先程の門衛達にも声が届く。多分、聞かれるのは良くない話なのだろうと、アナスタシアは歩き始めた。少し歩き、門衛達が見えなくなる頃、彼は口を開いた。

「空気が違う故に神聖なる森と言われている。そしてそれを感じられる者は少数だと聞く。多分ルイは感じなかったのではないだろうか」

「何故そう思われるのでしょうか」

「ナーシャにはこの森がどう見える。どこに神殿があるかわかるか?」

 シャルルに問われアナスタシアは周囲を見渡す。少し陽が昇り始めてきたのか空は明るくなってきた。どこからか小川のせせらぎと小鳥のさえずりが聞こえる。そして彼女は違和感を覚えた。

「何故、この森には道がないのでしょうか」

 森の中でも人が歩けば自然と道が出来る。整備されていなくても、踏み固められた地面がむき出しになるものだ。しかしアナスタシアの立っている場所からはその道が確認できない。それどころか同じような間隔で樹木が並び、もう少し奥まで足を踏み入れると帰り道さえ見失いそうだった。

「侵入者を防ぐ為だ。道がなければ迷い、下手をすれば野垂れ死ぬ。だが、この森は受け入れない者を排除するように働くらしく、迷った者は侵入した場所へ戻るらしい」

「それは女神の加護なのでしょうか」

「私は何処に神殿があるかわかるから迷わないが、それが私に加護がある故なのかは定かではない」

 シャルルの言葉を聞きながらアナスタシアはまっすぐ前を見つめた。何と表現していいのかはわからない。だが、神殿があるなら前方の気がした。

「神殿はこのまままっすぐでしょうか」

 アナスタシアの言葉にシャルルは満足そうに頷く。

「やはりナーシャは感じるか。流石だ。感じない者は小川のせせらぎや木の実に引っ張られ、ただまっすぐの道から外れてしまう。ルイは小川の側にいたらしいから、感じなかったという事だ」

 シャルルが再び歩き出したのでアナスタシアもそれに続く。小川のせせらぎは西の方角から聞こえてくる。確かに音が聞こえるとそちらに気を取られてしまいそうだと彼女は思った。

 二人が暫くまっすぐ歩くと、正面に岩が見えてきた。近付くほどに大きく見えてきたその岩の前でシャルルは足を止める。アナスタシアも足を止め周囲の気配を伺う。神殿はこの岩の奥にある気がしたが、岩があまりにも大きくて左右どちらから迂回しても再びまっすぐの道に戻れるのかがわからない。

「何となく感じる者も、この岩の前で迷う。ナーシャはどうだ」

「この岩の奥だと思うのですが、道がわかりません」

「神殿は平地にある、そういう先入観があると気付かないだろうな」

 そう言ってシャルルは視線を下げた。アナスタシアもその視線の先を追う。この森では人の手が加えられた形跡が一切なかった。それなのにそこには不自然な何かが見えた。周囲が草で覆われており、意識して見なければ気付かない。彼はそこに近付くとその何かを持ち上げた。それは木で作られた戸であり、中には階段が見える。

「まさか岩の中なのですか」

「岩の上だ。一度下ってから上る。何故このような仕組みなのかまでは知らない」

 シャルルは慣れた手つきで中に置いてあった手燭に火を灯すとそれを持って階段を下りてゆく。中は無数の階段があり、どこに繋がっているのかわからないが彼が迷う事なく歩いていく後ろをアナスタシアは無言でついていった。暫くすると燭台が要らない程明るくなり、彼女が上を見上げると青空が見えた。曇天の多いシェッド帝国では珍しい晴天である。そのまま上りきるとそこには神殿があった。下にいた時は岩の上に何も見えなかったのだが、彼女が立っているのは岩をくり抜いた真ん中だ。このようにくりぬくのにどれ程の歳月を費やしたのか彼女は想像出来ない。ただ、朝日を受けた神殿は神々しく感じられた。

「不思議な場所ですね」

「神託を受けられそうな場所だろう」

 シャルルの言葉にアナスタシアは頷く。

「だが残念な事に私は今まで神託を受けた事はない」

「ですが、確か戦争の前に受けられたのでは」

 アナスタシアは驚きの表情をシャルルに向ける。争いを厭うルジョン教徒が戦争に出向くには、女神マリーの意向だという理由がいる。その為、彼は戦争前に神託を受けたと彼女は思っていた。

「ここには来た。だが何も聞こえなかった。もし戦争をするなと声を掛けられていたら止められたのかはわからないが」

 シャルルは視線を伏せる。彼は他国に食糧の輸出増を打診していた。だがどこからも色よい返事がもらえず、前皇帝の側近が進める戦争の話を止められなかった事に負い目を感じていた。それを察し、アナスタシアは笑顔で彼の手を取る。

「それでは二人で願ってみましょう。どのように儀式を執り行うのでしょうか」

「決まりはない。ただ、神殿の中で祈るだけだ」

 シャルルはアナスタシアの手を握り返すと、そのまま神殿へと入っていった。神殿の中は広くはない。だが清貧の教えに従っている神殿は今までとは比べ物にならないくらい空気が違う。彼女は身震いをした。

「どうした」

「マリー様がいらっしゃるような気がします」

 神殿の中にある祭壇をアナスタシアはじっと見つめた。シャルルは祭壇に置かれた燭台に、手燭から火を移す。少し明るくなった神殿の中、壁に描かれた女神マリーが浮かび上がる。同時にアナスタシアは声を聞いた。それは脳内に訴えかけるようなもので、彼女は聞き漏らすまいと瞳を閉じてその声に集中した。瞼の裏には自然と女神マリーの笑顔が浮かぶ。

 声を聞き終えてアナスタシアは長い息を吐いた。無意識に呼吸を止めていたようで、暫く呼吸が落ち着くのを待ってから隣を見ると、シャルルも不思議そうな表情をしていた。

「聞こえたか?」

「はい」

 アナスタシアは聞いた事をシャルルに打ち明ける。彼も同じ言葉を聞いたと頷いた。彼女はまさか自分が神託を受けられるとは思わず、表現しようのない感動が胸に広がる。しかし彼は渋い表情をしていた。

「これを伝えて皆が納得するだろうか」

「わかりません。ですが私は女神マリーに託された事を何よりも嬉しく思います。必ず実行してみせます」

 アナスタシアは強い眼差しをシャルルに向けた。彼はそれを微笑みながら受け止める。

「そうだな。皆が何と言おうと私達が信じて実行すればいい」

「えぇ」

 二人は共に清々しい表情を浮かべると、祭壇の灯を消してから来た道を戻っていった。

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