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謀婚 帝国編  作者: 樫本 紗樹
幕間 シェッド帝国内の動向 二

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皇太子と大司教

 ルイは神聖なる森で倒れていた。何の準備もなく森に逃げ込んだ彼は空腹で頭がおかしくなりそうだった。幸い森の中には小川が流れており、喉の渇きは感じなくて済む。しかしいくら水を飲んだ所で空腹を完全に紛らわす事は出来なかった。

 歩く気力をなくしたルイは結局、神殿を見つけられずにいた。一体森の中に入って何日経過したのかさえわからない。彼には元々四人の影が従っていたが、思い通りにならない事がある度に解雇をし、唯一残っていた影はナタリーの元へ手紙を持って行ったきりまだ戻ってきていなかった。

 小川のせせらぎや鳥のさえずりなど、自然に関する音以外は一切聞こえない。それ程この森は厳重に守られ、侵入者を遮ってきた。ルイをここへ探しに来られる人物は皇帝だけである。子供の時ルイが泣き喚いて探しに来たのは祖父だった。しかし、成人した皇太子が泣き喚くなど流石に出来ない。だが、帰り道もわからなければ歩く気力も残っていなかった。

 ルイは虚ろな眼差しを空に向けた。シェッド帝国は曇りの日が多いが今日も曇天である。まるで心を表しているような空だと彼はぼんやり思った。本来なら皇太子が消えたと捜索が始まってもおかしくない。しかし誰かがこの森へ侵入した様子は窺えなかった。

 ルイの脳裏にアナスタシアの顔が浮かぶ。あの冷たい眼差し。あれが全てを物語っていた。母はもしかしたら自分を切り捨てるつもりなのかもしれないが、自分以外に皇太子になれる男はいないので殺せるはずがないと彼は思っている。実際、アナスタシアの子供は彼とナタリーしかいないのだ。

 ルイは力なく腕を上げると指を鳴らした。手紙を持って消えた影を見送ってから何度やっても反応はない。頭ではわかっているが、助けてほしくて彼は何度も繰り返していた。今日も反応がないと諦めて瞳を閉じようとした時、彼の側に気配が生じた。

「こちらにいらっしゃいましたか。お探し致しました」

 倒れているルイの足元に跪く黒ずくめの男。ルイは男の方に顔を向けた。

「何か、食べ物は、ないか」

 ルイは普通に話しているつもりだったが、久しぶりに声を出したせいか空腹のせいかわからないが途切れ途切れになった。黒ずくめの男は顔を上げて主の表情を確認すると驚きの声を上げた。

「あの日以来何も食べられていないのですか?」

「食べ物、ない」

 ルイの言葉に黒ずくめ男は眉を顰めた。今は秋なので木の実や茸が森の中には豊富にある。だがルイがそれを食べ物だと理解するのは難しい。そもそも火の熾し方も知らないのだから、むしろ茸を生で口に運ばなかっただけましなのかもしれない。

「それでは食べ物を調達してきます。こちらを読んでお待ち下さい」

 黒ずくめの男は懐から手紙を差し出した。封筒にはレヴィ王妃を表す薔薇の封蝋がされている。ルイは力なく手を伸ばしそれを受け取った。黒ずくめの男は一礼をすると、すっと消える。ルイは封蝋を破って手紙を広げた。


―― 兄上へ ご無沙汰しております。手紙を頂戴した件ですけれども、私には軍隊を派遣する権利などございません。また、状況を伺った所、軍隊の出動は必要ないと判断致しました。ルジョン教徒達が何故暴動を起こしたのか今一度考え、皇太子として相応しい行動をとって頂けるように願っております。 ナタリー ――


 ルイは手紙を握り潰した。ルジョン教徒達が暴動を起こした理由など彼にはわからない。どうせ皇帝である父の治世がよくなかった、それくらいしか思い当たらない。しかしそれは自分に関係がない。そう考えた時、彼はふと閃いて体を起こそうとした。だが長らく食事をしていなかった身体は簡単には起こせなかった。

「何故、気付かなかったのだろう」

 ルイは呟きながら微笑を浮かべた。悪いのは父だ。今こそ父に代わって自分が皇帝になればいいのだ。もう神殿などどうでもいい。神託などなくても信者達が新しい皇帝をと望むのなら、それは自分しかいないではないか。どうして襲撃と聞いて逃げてしまったのだろう。自分は堂々と皇宮に残り、父の罪を暴けばよかっただけなのだ。自分が皇帝になりさえすれば、あの冷たい眼差しを向けた母などどうにでも出来るのだから怯える必要もない。

 静かだった森にルイの不気味な笑い声が響き渡る。何かを察した鳥達が一斉に羽ばたいていったが、それに気付いた者はいない。



 シェッド帝国帝都。帝国内で一番賑やかな都市であるが、民衆による皇宮襲撃以降は情報が錯綜し混乱を極めていた。

「あの派手好きと噂の妾が殺されたらしいぞ」

「皇太子様が寝込んでいるという話は本当なのだろうか?」

「皇妃様は大丈夫だろうか」

 帝都民は皇妃アナスタシアに好意を抱く者が多い事もあり、皇宮が襲撃された話を信じられなかった。だが、襲撃以降アナスタシアは皇宮から外に出てこない。一体この国はどこへ向かおうとしているのかと不安に思う者はマリー聖堂へ押しかけていた。皇宮襲撃をした民衆が一気に押し寄せた事で一時期は大混乱をしたマリー聖堂だったが、今は帝都民が押し寄せて日々混み合っている。

「大司教様、私達は一体どうなるのでしょうか?」

「大司教様、皇妃様はご無事なのでしょうか?」

 大司教ウジェーヌは毎日訪れる教徒達の対応に疲れていた。彼は前皇帝の時代に大司教の座に就いた男であり、信仰心など大して持っていない。それでも甘い生活をする為ならば真面目な大司教として振舞う事を厭わない男でもある。

「落ち着いて下さい。皇帝陛下も皇妃殿下もご無事です。マリー様は決して我々を見捨てたりはしません。今まで通り清貧を貫き、寄付をすれば問題ありませんよ」

 ウジェーヌは人のよさそうな笑顔を浮かべた。本来ならこういう対応は司祭任せなのだが、皇宮に入れる者は限られている。皇妃が無事なのかを知りたいと言う教徒達を説得出来る立場の者は彼しかいないのだ。彼は内心享楽的な生活が出来なくなっている事に苛立っていたが、それは微塵も感じさせない。

「それでは何故襲撃事件など起こったのでしょうか?」

「襲撃を行ったのは西方の民だと聞いております。シェッド帝国は広く、隅々まで教えが行き届いていなかったのかもしれません。私達はそのような愚かな真似をしないように致しましょう」

 ウジェーヌは笑顔でそう言いながら内心では焦っていた。シェッド帝国は建国以来皇帝の意思で政治を動かしてきた。そして皇帝の政治を支えていたのは聖職者達である。それなのに、先日皇帝名義で各領主と主要聖職者に招集命令が発せられた。勿論マリー聖堂大司教である彼も招集命令が出ている。皇帝が相手なら何とでも言い負かす自信があるのだが、皇妃だとそうはいかない。アナスタシアの行動は帝国中央では有名な話である。何故司祭は畑仕事をしないのかと言い出す庶民も出てきている。正直、彼にとってアナスタシアは面倒な存在だ。前皇帝の時代はルジョン教を信仰しているふりさえしておけば何の問題もなかった。彼は皇帝の機嫌取りに終始徹して今の地位を手に入れ、襲撃前までは気まぐれに修道女に手を出しつつ、寄付金での贅沢三昧をしていた。この生活を今更手放すのは嫌だった。

「さぁ皆様、マリー様に祈りを捧げられてお戻り下さい」

 ウジェーヌは微笑を浮かべると、教徒達を祈りの間へと案内する。彼は今自分の立場を守るのに必死であり、教徒達と話している時間が惜しいと思っていた。それでもここを疎かにすると自分の足元が揺らぐと渋々対応していたのである。

 教徒達から解放された後、ウジェーヌは自室で椅子に腰掛けてため息を吐く。ルイは賢くない。だからルイを皇帝の座に就けて傀儡すればいい。そう彼は思っていたものの、襲撃事件の日から行方が知れない。皇太子が行方不明というわけにはいかないので、表向きは体調不良で臥せっている事になっている。しかし、ルイを捜索している雰囲気は一切ない。

 捜索していないという事は居場所がわかっているという事だ。ウジェーヌには一ヶ所思い当たる場所がある。だが仮にも大司教という身でその場所へ足を踏み入れるのは躊躇われた。ルイを味方につける前にシャルルから破門をされてしまえば生活はままならない。彼はどうやって自分の立場を守るべきか必死に思考を巡らせた。


 皇帝シャルルが招集した会議が始まるまであと十日。

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