会議に向けて
「ルイ皇太子殿下はどちらにいらっしゃるのでしょうか」
マリー聖堂大司教ウジェーヌの言葉にアナスタシアはどう対応するべきか一瞬悩んだ。見当はついているのだが、案外戻って来ないので彼女も少しだけルイの事を気にしていた。だが、前皇帝に取り入って表面上だけ大司教を演じている男を信用する気は彼女にはない。
「私は存じ上げません。そのうち戻ってくるでしょう」
「そのように悠長な態度で宜しいのでしょうか。万が一の事となれば大問題ですよ」
「そう思われるのでしたら捜索して頂いて構いません。私は忙しいので、用件がそれだけでしたらお引き取り頂けますでしょうか」
アナスタシアはウジェーヌに笑顔を向けた。彼は真っすぐに彼女を見つめる。
「それでは皇帝陛下にお目通りを願いたいのですけれど」
「陛下は招集された会議で其々平等に意見を聞く為に、会議前には誰ともお会いしない方針だとお伝えしたはずです」
「ですが、皇帝陛下以外に頼める方がいらっしゃらないのです。会議の内容については話しませんので、何卒取り計らって頂けないでしょうか」
「申し訳ございませんけれども、私は国民全員平等に接したいと思っております。貴方だけを特別扱いするわけには参りません。それに国を憂える教徒達を安心させるのが大司教である貴方の務めのはずです。私としては聖堂へお戻り頂きたいのですけれども」
アナスタシアに正論を言われ、ウジェーヌは失礼致しますと頭を下げると部屋を出て行った。彼女は扉が閉まったのを確認すると、わざとらしくため息を吐いた。
「次は取り次がなくていいわ」
「かしこまりました」
アナスタシアの言葉を女官長が頭を下げて承諾する。ウジェーヌがシャルルにしか頼めない内容など彼女にはわかっている。彼女もまた、ルイは神聖なる森にいると判断していた。わかっていてわざと捜索をしていない。ただ、空腹に耐えかねて戻ってくるという予想は裏切られていた。そろそろ捜索をするべきか、彼女も悩んでいた。
「陛下の所へ行くので、少々席を外すわ」
アナスタシアは立ち上がると、封筒を持ってシャルルの元へと向かう。彼は襲撃初日こそ何とか彼女の助けを借りて皇帝らしく振る舞っていた。だが、ジャンヌの無残な身体と、デネブの苦しむ様子を見て皇帝として振舞えなくなっていった。襲撃直後はまだ意識があったデネブも翌日に息を引き取り、彼女は彼と共にジャンヌとデネブ夫妻をひっそりと弔った。
「陛下、少し宜しいでしょうか」
アナスタシアは皇帝の間で書類を確認しているシャルルに近付いた。彼は彼女の姿を見ると少し安心したような表情を浮かべる。彼女もまた顔色がよくなってきた彼を見て安心した。彼はジャンヌ達を弔った後は吹っ切れたのか、皇帝として会議に向けて準備をしていた。
「あぁ。表向きの事を色々と任せてすまない」
「お気になさらないで下さい。皇妃として当然の仕事をしているだけですから」
皇帝の名で各領主と主要聖職者に会議の招集状を書いたのはアナスタシアである。四百年以上続くシェッド帝国は選択を迫られていると思っていた彼女は、自分の考えをシャルルに話して招集状を代理で発する許可を得ていた。
「私は何も見えていなかった。いや、見ようとしなかった」
「人は何歳になってもやり直せます。マリー様の血を継ぐ陛下なら正しい道を見据える事が出来ると信じております」
机の上には大量の資料がある。財務書類、農作物の収穫状況報告書、各聖職者の報告書、修道院の報告書。シャルルはずっと部屋にこもって資料を読み続けていた。
「ナーシャの考えはわかった。だが、果たして全員が受け入れるだろうか」
「それは陛下次第です。皇帝陛下に逆らえる者はこの国にはいないはずです」
皇宮襲撃の日、アナスタシアの言葉を受けて民衆達は大人しくマリー聖堂に向かった。そして戻ってきた彼等に対し、彼女は女官や使用人の手を借りて燕麦の粥を振る舞った。そして冬を越せるだけの食糧を約束して帰宅を促した。民衆達も皇妃に食糧を約束されては皇宮に居座る理由などない。食糧を運ぶ軍人達と共に彼等は西方へと戻っていった。
「そもそもシルヴィは本当に受け入れるのだろうか」
「シルヴィ様とエドワード陛下より手紙が届いております」
アナスタシアは持っていた封筒をシャルルに差し出した。それは今日レヴィ王国から戻った使者が携えてきた手紙である。彼は二通の手紙を受け取ると先にシルヴィからの手紙の封を切った。そして広げた便箋に視線を走らせ、小さくため息を吐く。
「シルヴィにジャンヌとデネブの事を知らせたのか」
「知らない方が辛いと思いましたので」
「ナーシャがシルヴィにだけ声を掛けていたのは知っていた。ジェロームの素性については知っていたのか?」
シャルルは責めるような視線をアナスタシアに向ける。彼女は穏やかに微笑んだ。
「最初は存じ上げませんでした。ただ、付き合っていくうちに不自然さを感じて問い質した所、案外簡単に口を割りました」
「何故その時私に言わなかったのか」
「皇帝陛下の見る目がないというような内容を私が口に出来るとお思いでしょうか」
淡々としているアナスタシアにシャルルは嫌そうな表情を向ける。
「そういう時だけ従順な妻のふりをするのはやめろ」
「そのように言われるのは心外です。政治に口を挟むなと仰せになられたのは陛下です」
アナスタシアは微笑みを崩さない。彼女は皇妃になってから、ルジョン教に関する行動はしていても、政治には一切口を挟まなかった。人事は内政に干渉する事になるので、彼女に口を挟む権利はない。
「レヴィ人、しかも王太子の従弟がシルヴィの隣にいる危険を考えなかったのか?」
「ジェロームは紛れもなくルジョン教徒です。デネブ様の護衛と違って、彼はシルヴィ様を連れて安全な所まで避難をしたのです。どこに危険がございましょうか」
「いや、でもシルヴィは嫌がっていただろう?」
「えぇ。ですが、それを受け入れなかったのは陛下御自身ではありませんか」
アナスタシアの指摘にシャルルは口ごもる。シルヴィが散々護衛騎士を変えてほしいと訴えていたにもかかわらず、変えなかったのは彼なのだ。無理強いをする気はなくても、二人が結婚したらいいと彼は思っていた。しかし相手がレヴィ人、しかも現国王の従弟と聞けば話は変わる。
「実際シルヴィ様はこの四年で綺麗になられました。そしてレヴィ王国へ向かう途中で色々と現実を目の当たりにし、思考の幅も広がったと思います」
「ナーシャがやたら修道院行きを勧めていたのは修道女にしたいのだとばかり思っていた」
「皇妃となりシルヴィ様とデネブ様を近くで見るようになってから、シルヴィ様の賢さに気付きました。シルヴィ様は現実を知れば正しい判断が出来ると思っての行動です」
シャルルは手紙に視線を戻す。そこには現在レヴィ王宮で穏便に暮らしている事、ジャンヌとデネブの死が悲しい事、今のシェッド帝国では未来が見えないから政治を見直してほしい事、ジェロームの正体、そして落ち着いたら皇宮へ戻る事が書かれている。正直彼は娘からこのような手紙を受け取るとは思っていなかった。
「確かにシルヴィは賢い。だから私は怖くて黙るように言った。ルイより賢い娘を守るにはそれしかないと思っていたのだが、間違っていたのか?」
「前皇帝陛下が生きていた時は正しい判断だったと思います。ですがレヴィ王宮から戻ってきた後の対応は正しかったかはわかりません。それでも後悔をするよりは前を向くべきです。シルヴィ様にシェッド家の血が流れている事は明白なのですから」
シルヴィは母親似と言われているが、アナスタシアはシャルルに似ていると思っている。それこそ子供四人の中で一番似ているのがシルヴィとさえ思っている。
「私はシルヴィにはルジョン教を教えなかった。肩身の狭い思いをさせたくなかった」
「そうですね。ですがシルヴィ様は私が全部を語らなくとも私の考えを理解して下さいました。私はシルヴィ様を守り抜く事を陛下にお約束致します」
アナスタシアにもシルヴィから手紙が届いていた。ジャンヌとデネブを埋葬してくれた事への感謝と、アナスタシアの考えは理解出来るが暫く考えたい旨が書かれていた。
「ナーシャはナタリーにしか興味がないと思っていたのだが」
「元々はナタリーの幸せを守る為に考えた事です。ですが、今はシルヴィ様の事も娘だと思っています。陛下が大切にされているものは私も大切にしたいのです」
「私はナーシャが出来た妻過ぎて時に怖い」
「お褒めに預かり光栄でございます」
アナスタシアは一礼をする。シャルルは気まずそうな表情を浮かべるともう一通の封を切り中を見る。そして先程とは違うため息を吐く。
「皇妃としても出来過ぎていて怖い」
「私は陛下の考えを先回りして手を打っているだけです」
「最初から気の強い女だとは思っていたが、今はただ恐ろしい」
「私は陛下を裏切るような事は致しません。ジェロームも家族と縁を切りこちらに骨を埋める覚悟はあるそうなので、宜しいのではないかと」
「それはシルヴィの判断に任せる。シルヴィには幸せになってほしいのだ」
「そうですね。勿論私もシルヴィ様のお気持ちが最優先だと思っております」
アナスタシアは優しく微笑む。シャルルはもう一生頭が上がらなさそうな妻に不安を覚えながら、シルヴィの手紙に再度視線を落とした。いくら彼女が大丈夫だとは言っていても、こうして娘直筆の手紙を見てやっと彼は安心出来たのだ。そしてシルヴィが戻ってきた時に立場を守れるよう、会議には十分に準備をして臨もうと決意をした。




