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謀婚 帝国編  作者: 樫本 紗樹
二章 シルヴィと護衛騎士

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帰国後の日常

 シルヴィはシェッド皇宮内のとある部屋に(うずくま)って隠れていた。シェッド帝国内で一番の大きさを誇る皇宮内ならば、簡単に見つかるはずはない。そうは思うのだが、彼女はいつも護衛から逃げ切れなかった。

 廊下から足音が聞こえてシルヴィは息を止めた。僅かな呼吸音でも相手に見つかってしまう気がしたのだ。暫く息を止めて足音が聞こえなくなった所で深い息を吐く。膝につけていた頭を上げ、彼女は硬直した。

「それで隠れているつもりなら、まだまだですね」

 シルヴィは目を見開いた。確かに足音は遠退いていったはずだ。戻ってきたような音は聞こえなかった。それなのに何故目の前に逃げている相手であるジェロームが立っているのか、彼女は理解が出来なかった。

「な、何で。さっき足音が!」

「それは他人です。私は貴女がそこで足音を確認する前からここにいます」

 ジェロームは淡褐色の瞳にいやらしさを浮かべた。シルヴィは右の口角が痙攣するのを感じながら、強く彼を睨みつける。

「どうやって!」

「私は護衛ですよ。気配を消すのは朝飯前です」

「あんた馬鹿なの? 護衛担当の私から気配を消すのはおかしいでしょ!」

 怒りに満ちた顔でシルヴィはジェロームを睨み続けているが、彼は笑顔を浮かべている。

「シルヴィ様が逃げなければ消しません。逃げられるから追う為に消すのではないですか」

 ジェロームはシルヴィの手首を掴むと、彼女を立たせようと引っ張る。しかし彼女は抵抗した。すると彼は嫌味な笑顔を浮かべ、屈みながら空いている手を彼女の腰へと伸ばす。彼女はその手から逃げるように慌てて立つと、一緒に立ち上がった彼を睨みつけた。

「どこを触ろうとしているのよ!」

「その重そうなお尻を持ち上げて差し上げようかと思いまして」

 ジェロームは涼しげな表情である。シルヴィは手首を振り払おうとしたが、彼には離す気配がない。

「ちょっと、離しなさい!」

「離したら逃げられるではありませんか。本日の鍛錬はまだ終わっていません」

「何で私が鍛錬をしなければいけないのよ。そんなのは軍人だけでやってなさい!」

 シルヴィの文句など聞く耳を持たず、ジェロームは彼女の手首を掴んだまま歩き始める。彼女は無駄な抵抗とわかっていながら腕を振るものの、結局は離して貰えず彼に連行されていった。



 シルヴィは異母妹ナタリーの侍女として五年半、レヴィ王宮にいた。しかし戦争でシェッド帝国が負けた為、彼女は妹デネブと共に母国へ強制送還されたのである。両親は二人を受け入れたが、五年半前と皇宮内の事情は変わっていた。

 皇帝が父シャルルに代わっているので暮らしやすいだろうと判断して、シルヴィは帰国する選択をした。しかし以前は聖職者しかいなかった皇宮に、何故か軍人が堂々と歩いている。更に父から護衛を付けられた。それがこのジェロームである。命が惜しければ傍に置けと言われて受け入れたが、この男は彼女の前以外では猫を被るのが非常に上手かった。

 皇太子の愛妾の娘として育ったシルヴィは自由だった。皇女教育などなく、ルジョン教の手解きも受けていない。祖父である皇帝と側近達の態度は冷たかったが、それ以外は何の問題もなかった。好きなだけ美味しいものを食べ、毎日違う服を着て、宝飾品で着飾った。

 レヴィ王国で過ごしている間は、ナタリーの侍女という事もあり制限があった。食事は朝夕の二回しかなく、間食も出来ない。そんな不満を持っていると、ナタリーの夫であるエドワードが声をかけてきた。彼は定期的に茶菓子を用意してくれ、服も誂えてくれた。ナタリーではなく自分を選んでくれたのだと楽しく暮らしていた彼女だが、結婚三年目にしてナタリーがエドワードの子供を身籠る。

 シルヴィがナタリーの侍女としてレヴィに入国したのには理由があった。ナタリーがエドワードの男児を産み、育つのを見守る事だ。だからナタリーがやっと身籠った事は喜ぶべきである。しかしすっかりエドワードに好意を寄せていたシルヴィは、自分でエドワードの子供を産みたかったのだ。何度それらしい雰囲気を出しても、エドワードは乗ってこなかった。

 ナタリーの妊娠後シルヴィは父から新たな指示を与えられる。それはレヴィ王妃であるツェツィーリアと対立しろと言うものだ。以前からシェッド帝国とローレンツ公国は仲が悪い。その争いをレヴィ王宮内にも広げてシェッドの味方を増やす計画だ。正直、公国出身である王妃の評判を下げる為にナタリーの評判を上げる事は抵抗があった。だが上手くいけば皇宮でまた一緒に暮らそうと父に言われ、彼女は渋々その任務を遂行する事になる。

 だが、シャルルの思惑通りに事は進まない。エドワードはその策略を知りながら、虎視眈々と時期を見定めていた。それ故にシェッド帝国は戦争を起こしたものの、結果はレヴィ王国の圧勝である。

 シルヴィは戦争に負けたのは無能な異母弟のせいだと思っていた。異母弟ルイは彼女の大嫌いな祖父が大切に厳しく育てたせいで妙な自信家である。エドワードからレヴィ王国の総司令官ジョージは戦争を避ける道を探している等の情報を流したのに全く活用しなかったようだ。ガレスから嫁いできた娘の動きを知りたいと言われ、それもエドワードに聞いて伝えたのに何も出来なかった。ルイさえしっかりしていれば、このような状況にはならなかったと彼女はルイを憎んでいた。



「さて、鍛錬を始めますよ」

 シルヴィは嫌々ながら腕立て伏せを始めた。何故皇帝の娘である自分が鍛錬などしなければいけないのか、散々ジェロームに文句を言った。しかし、文句を言い続けると食事を抜かれる。隠れて何かを食べれば、何故か露見して更に鍛錬が追加される。階段を上れば息が上がり、腰のくびれなどなかった彼女だが、今では三階まで上っても平気であるし、腰のくびれもしっかりわかる。全身の脂肪が筋肉に変わったかというとそうでもない。胸と尻にはほどよく残っており、魅惑的な体形になっている。

 シルヴィはこの身体を武器に何とかジェロームから逃れようと、言う事を聞きそうな軍人に声をかけたのだが、それもまた何故か彼に筒抜けであり一回も成功した事がない。痩せた事で父シャルルを夢中にさせた母ジャンヌによく似てきた。以前とは違う男性からの視線は彼女の心を満たしていたが、誰からも声を掛けられる事はない。

 ちなみにシルヴィはジェロームに対して、色仕掛けを一度もした事がない。それは危険だと本能で察していた。乱雑に自分を抱いた後、平気な顔をして鍛錬だと引っ張られる想像は難しくない。それなら貞操を守った方がましだと思ったのだ。色々な男性に色目を使った彼女の身体はまだ清らかなのである。

「はい、よく出来ました」

 シルヴィは身体を床に預けた。にこやかに微笑んでいるジェロームが憎たらしくて仕方がない。

「一体いつになったらこの生活は終わるのよ」

「もう少しです」

 シルヴィは瞳を輝かせた。レヴィ王宮から戻ってきて四年。この苦痛からやっと逃れられるのが嬉しくて仕方がなかった。

「いつ?」

「詳しい事は私にはわかりかねます」

 ジェロームは表情を引き締めた。シルヴィはもう三十歳を超えているので嫁ぐ事は諦めていた。だが、心優しい男性がこの現状を知り、手を差し伸べてくれたのかもしれない。もう誰でもいいからこの現状から救い出してほしかった。

「残念ながら、その想像は間違っていると思います」

「何よ、あんたに何がわかるの」

「わかります。ずっとシルヴィ様を見てきましたから」

 ジェロームは嫌味な笑みを零した。シルヴィは彼の自分を馬鹿にしたようなこの表情が大嫌いである。彼女は誰でも馬鹿にするが、誰からも馬鹿にされたくはないのだ。

「とにかく、もう暫くの辛抱ですから我慢して下さい。但し、鍛錬の方がましだったと泣かれても、私は対応致しません」

「本当に腹の立つ言い方をするわね。父上の前では猫を被って、あんたの腹の底は真っ黒なのでしょうね」

「そうかもしれません」

 ジェロームは笑顔を浮かべた。全くシルヴィの言う事など堪えていない。彼女はもう何でもいいからこの生活が早く終わることを願った。



「またなの?」

「申し訳ございません。干した時は確かにあったのですが、一着だけ風に飛ばされたのかと探してみたものの、どうしても見つかりませんでした」

 シルヴィは首を傾げた。最近何故か服がなくなる。誰かが盗んでいるのかとも思うのだが、それを着た女性は今の所報告されていない。犯人捜しをしようと洗濯干し場を監視しようとしても、毎回ジェロームに邪魔をされて捗っていなかった。

「もういいわ。今後は気を付けてね」

 使用人は失礼しますと言って部屋を出ていった。デネブは楽しそうにシルヴィに笑いかける。

「一着だけ風に飛ばされるのも変だから、まず盗みよね」

「私の気に入っている服を狙うなんていい根性しているわ。見つけたら蹴ってやろうかしら」

「でもシルヴィの着た服が売れるとも思わないし、妙な話」

 皇帝の娘とはいえ所詮シルヴィは庶子である。彼女の持っている物に付加価値はつかない。勿論素材はいいが、それ故に他の者が着ていると不自然なのだ。レヴィ王国に戦争で負けて、賠償金を払ったが故に国庫は逼迫(ひっぱく)している。しかしそのような事を彼女は知らず昔と同じように生活をしている。違うのは食事の量だけである。

 ちなみにデネブはシェッド帝国に戻ってきてからも体型は変わっていない。シルヴィと同じく護衛を付けられたものの、デネブはその護衛と結婚をして皇宮内で暮らしているのだ。しかもその護衛はデネブを鍛えるのではなく甘やかしている。この差が信じられなくてシルヴィは父に訴えたものの、お前も結婚すればいいと言われて詰んでいた。ジェロームの猫被りは完璧なので、虐められていると訴えても冗談だと流されているのだ。実際、殴られたり蹴られたりした事はないので、虐待の事実はない。むしろ見た目が綺麗になった為、父のジェロームに対する評価はいいのである。

 シルヴィは自分だけ貧乏くじを引いたのが悔しくて仕方がなかったが、かといって今の生活から抜け出す術は思いつかない。ジェロームから聞いたもう少しに期待をするだけである。

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