皇妃としての生き方
「本気で戦争をするおつもりなのでしょうか」
アナスタシアは黙っていられずシャルルに問いかけた。彼はつまらなさそうな表情を浮かべる。
「このままでは次の冬が越せない。買えないなら奪うしかないではないか」
アナスタシアは表情が崩れないように取り繕った。わかってはいたがシャルルにも皇帝としての器がない。近隣諸国に農作物の輸入拡大を打診したものの、色よい返事はどこからも貰えなかったという。そこで国内の生産力を上げるのではなく、戦争で奪うという発想になるのが彼女には信じられなかった。
またルイ側の者達がローレンツ公国と戦争をし、その司令官としてルイを戦場へ送り、勝利者として戻ってきた時に皇帝を入れ替えるという計画を立てているという話もアナスタシアは耳にしていた。だが彼女にはルイが勝者になるという部分がどうしても想像出来なかった。
「レスター公爵家からの支援はないのでしょうか」
レスターはレヴィ王国の公爵家である。シェッド帝国との国境沿いに領地を持ち、ナタリーがレヴィ王家へ嫁ぐのに尽力してくれた。だが、この関係は危ういとアナスタシアは思っている。レスター公爵家が無償で尽力するはずがない。エドワードに筒抜けなので裏切られていると思う方が自然なのである。しかし、彼女はこの件についてシャルルには話していない。夫より娘婿を信じたのである。
「レスター領は農業が盛んではないが祝賀会に名代で出席していたスティーヴンという息子が色々と動いてくれている。多少は届くであろう」
「もしローレンツ公国と戦争になった場合、レヴィ王国はどのように動くつもりだとその方は仰せなのでしょうか」
「レヴィ王国はガレス王国と戦争中であり、戦線を増やす気はないと言っていた。ローレンツ公国がレヴィ王国に泣きついても、我が国を敵には回すまい」
シェッド帝国とレヴィ王国はエドワードとナタリーの婚姻後、関係はより強いものになった。この大陸にある二大大国が手を取り合ったのである。周囲の中小国家も大人しくならざるを得ず、この大陸で戦争をしているのはただひとつ。だがレヴィ王国とガレス王国は元々ひとつの国であり内戦のようなものだ。だからこそ、シェッド帝国がローレンツ公国に戦争を仕掛けるのは悪手としかアナスタシアには思えなかった。ローレンツ公国もシェッド帝国から独立したとはいえ、既に百年近く前の話である。これは内戦ではなくれっきとした戦争になる。先に手を出した方が悪者になるのは見えていて、しかも負けたら完全に信用がなくなる。シェッド帝国内の各地方だけではなく他国からも侮られるようになってしまうと、国として存続出来なくなる気がして彼女は不安で仕方がなかった。
アナスタシアの不安など誰も気にする事はなく、皇宮内ではローレンツ公国を攻める事に傾いていった。レヴィ王国とガレス王国の戦争が続くように裏で色々と工作をしていたにも関わらず、両国は休戦協定を締結する事で話はまとまった。そして、その休戦協定の一環でレヴィ王国の第三王子の元へガレス王国公爵家の娘が嫁ぐ事になる。それはミハイルが頼り、ルイが一目惚れをした女性であった。
そのような時、アナスタシアの元に兄から手紙が届いた。例の花は咲かなかったけれど、新しい品種が芽吹いた。お前が置いていった宝物の側にその種を植えたから成長過程をまた報告する、というものである。彼女はその意味を必死に考え、種は例の娘かもしれないと思い至った。ガレス公爵家の娘がナタリーに近付き、何か協力をしてくれる。もしかしたらシェッド帝国が戦争を起こした時、ナタリーの立場が危うくなるのを助けてくれるのかもしれない。彼女はこの種が枯れる事なく咲くように祈っていると返事をしたためた。
朝晩の冷え込みが少し肌寒く感じるようになった頃、シェッド皇宮では軍隊が整えられ、ローレンツ公国へ向けて出陣する事になった。総司令官はルイである。
「女神マリーの加護が我が息子及び民達にあらん事を」
皇帝であるシャルルは式典を平然と執り行った。アナスタシアも彼の横に控えてその式を見守る。戦争を女神マリーが望むはずがない、と思っても今回ばかりは帝国に暮らす者ならば危機感を共有していた。国内のライ麦の収穫量が減り、輸入の小麦だけでは到底賄えない程の飢饉がシェッド帝国を襲っていたのだ。彼はナタリーに無心をしたが断られた。それで同じ内容の手紙を書くようにと言われたのだが、彼女は決して書かなかった。今回の飢饉は自業自得なのである。民の声を聴き、農地改革をしていればよかったものを放置したせいだ。シェッド帝国には宝石鉱山が複数あり、資金が枯渇しているはずはないのだが民達には使われない。自分達が誰のおかげで満足に食べられるのかをわかっていない証拠である。
シャルルは約束を守り、アナスタシアは皇妃になってからシェッド帝国中央の修道院を巡る生活をしていた。だから彼女は帝国中央の民達がいかに困窮しているかを知っている。それは彼女の故郷よりも苦しく、早急に彼にも訴えた。しかし内政に口を挟むな、で終わったのである。彼女は仕方なく修道院で芋の育て方を教え、民達が力強く生きる事を願うしかなかった。帝国中央では芋は田舎者が食べるものだと食されないが、生きるか死ぬかの状態で選り好みをしている場合ではないと説いて回った。
戦争は長引くかと思われたが、あっさりと決着がついた。ローレンツ公国は元々軍隊を持たない国であり、調子に乗って進軍していった所レヴィ王国の土地を侵し、それを待っていたと言わんばかりにレヴィ王国と開戦となり、即ルイが捕虜となったのである。
ルイが捕虜になった事は箝口令が敷かれているが、アナスタシアの耳にはシャルルを通して届いていた。彼女はその話をどう受け止めるべきか複雑な心境である。やはり彼女が想像出来なかったように、ルイは勝者にはなれなかった。しかしそれはどうでもいい。レヴィ王国との戦争になってしまった以上、ナタリーの立場が揺らぐ事の方が心配で仕方がなかった。だが、レヴィ宛に手紙を書いて届くかもわからず、彼女は非常にやきもきしていた。
そのような時、アナスタシア宛に手紙が届けられた。女官も突然机の上に置かれていた手紙を不審に思ったものの、筆跡に見覚えがあった為に彼女の元へ運んできたと言う。彼女にも宛名が娘の筆跡にしか見えない。しかし戦争が終結してから手紙が届くには些か早すぎるのである。しかも封が切られていないので検閲もされていない。彼女は恐る恐るその手紙の封を切った。
それは紛れもなくナタリーからの手紙であった。今回の戦争でレヴィ王宮を去ろうと思ったが、エドワードが引き留めてくれた事、彼とこれから幸せな家庭を築こうと決めた事、ライラという義妹だが友人が出来た事、シルヴィとデネブを見送った事が書かれていた。
ライラという名がガレス公爵家の娘だとアナスタシアにはわかった。隠れるように暮らしていたナタリーには友人となる人が近くにいなかった。種は彼女の宝物の隣で友情という名の花を咲かせたのだ。彼女にはそれだけで十分であった。
この後、アナスタシアは戦争の賠償金に苦しむシェッド帝国の内政には一切口を挟まない代わりに、皇妃としてルジョン教徒と共に生きる生活を認めてもらい、修道院を巡る生活を続けた。ローレンツ公国からは一定量の小麦を輸入出来る事になったが、それは国民には配られず、皇宮内と嫌な気配を察したシャルルによって新たに創設された軍隊用であった。彼女は貧しい生活を強いられる国民達に芋やかぼちゃ、かぶ等を育てようと声を掛け、時には民と混じって汗を流して農作業をした。しかし彼女はあくまでもシェッド家が治める帝国中央しか歩けない。彼女の故郷である北方をはじめ、帝国には複数の民族が暮らしている。そちらの方の動きを兄から連絡は受けていたものの、彼女にはそれを抑える力はなかった。帝国の解体に力を注ぐ兄を止める事も出来ず、かと言って内政に口を挟まないと約束した以上シャルルにも言う事が出来ず、彼女はただ来たるべき日をなるべく穏やかに迎えられるようマリーに祈りながら、皇妃として自分に出来る事を日々こなして過ごした。




