第33話:死地への招待状
天霧家が放った漆黒の折り鶴による宣戦布告から、三日後。
私たちは、西園寺と天霧が指定した会談の地――「箱根・境界の社」へと向かう特別装甲車両の中にいた。
窓の外を流れる冬枯れの景色は、都市部から離れるにつれて急速に色と温度を失い、やがて分厚い鉛色の雪雲と、太陽光を一切通さない鬱蒼とした原生林に覆われていった。箱根の霊峰は、昔から東京の霊脈を守る巨大な関所であり、同時に五家の権力があえて手を出さない「中立の不可侵領域」とされてきた場所だ。
……表向きは。
「中立、なんてヘドが出るわ。あの社は実質、天霧家の暗殺部隊が特異点を処理してきた血塗られた処刑場と、西園寺家が蓄えた裏金と違法魔具の保管庫よ。土壌そのものが、何百年分の呪詛と死臭を吸って腐っている」
向かいの席に座る紫苑が、氷のように冷え切った声で吐き捨てた。
彼女は完璧な制服姿のままだが、その青い瞳には、何十重にも張り巡らされた宝生家の防衛結界の演算処理による青白い魔力光が、絶え間なく明滅している。
「敵の布陣は?」
私が尋ねると、紫苑は手元の端末を操作し、空間に血塗られたような赤い光の地図を投影した。
「社を取り囲む霊山全体に、天霧の『影使い』が推定三百。さらに、西園寺が海外の裏社会から金で雇い入れた非正規の魔導傭兵団が、重火器と違法魔術で物理的な完全包囲網を敷いているわ」
三百の暗殺者と、無法の傭兵団。
大審院で対峙した保守派の長老たちが「法の裁き」という建前を持っていたのに対し、今回の敵は純粋な「暴力と実利」の化身だった。特異点である私を兵器として捕獲し、目障りな結衣と紫苑を肉片一つ残さず処分するための、完璧に計算された殺戮の舞台。
「……怖くない、って言ったら嘘になるけど」
私の隣で、結衣が小さく呟いた。
彼女は自分の膝の上で両手をギュッと握りしめ、少し青白い顔をしていた。無理もない。結界に近づくにつれ、車内にまで浸透してくる異常な魔力圧が、内臓を直接握り潰すような悍ましい重さを伴い始めていたのだ。
私は無言で、結衣のその震える手を、両手でしっかりと包み込んだ。
「大丈夫。どんな深い影の中だって、私が絶対に結衣を守る」
私がそう言うと、結衣はハッとして顔を上げ、そして――五家の殺意など全く存在しないかのように、パァッと花が咲くような底抜けの笑顔を浮かべた。
「ううん、私が雫ちゃんを守るの。……だって、私の魔法はこの世界で雫ちゃんの手を繋ぐためだけに、存在しているんだから」
彼女の首元に巻かれたグレーのマフラーから、あの陽だまりのような温もりが私の血管へと流れ込んでくる。その瞬間、私の胸の奥で重く冷たく逆巻こうとしていた星の重力が、嘘のように心地よい心音へと変わった。
何百という殺意の只中に向かっているというのに、結衣の持つ「雫を絶対に守り抜く」という揺るぎない確信――ある種の狂気すら孕んだその純粋な愛の前では、五家の怨念など路傍の石ころに等しかった。
紫苑はそのやり取りを見て、呆れたように、けれどどこか畏怖を孕んだため息をついた。
「……まったく。あなたたちのその規格外の共鳴現象、西園寺の毒婦や天霧の冷血女が見たら、理解を超えて発狂するかもしれないわね」
*
特別車両が、深い雪に覆われた山道の終点――巨大な黒い大鳥居の前で静かに停車した。
車を降りた瞬間、肌を切り裂くような冷気と共に、血の匂いが混じった濃密な死の気配が肺を満たした。雪の重みでたわんだ鳥居の奥には、どこまでも続く果てしない石段と、禍々しい紫色の霧に包まれた「境界の社」が鎮座している。
「歓迎しよう、宝生家の哀れな簒奪者。そして、美しき流星の兵器よ」
石段の上から、冷酷で、人間としての温度を一切感じさせない声が響いた。
見上げると、鳥居の先に立っていたのは二人の人物だった。
一人は、豪奢な白狐の毛皮のコートを羽織り、指に数え切れないほどの魔石の指輪をはめた、妖艶にして底知れぬ強欲さを漂わせる女傑――日本の魔術経済を支配する西園寺家の女当主。
もう一人は、雪と同化するような真っ白な装束に身を包み、顔の半分を氷の仮面で隠した細身の女――暗殺集団を統べる天霧家の当主だった。
「ご丁寧な出迎えね。ずいぶんと物騒で下品な護衛を連れているようだけれど」
紫苑が一歩前へ出て、冷ややかに笑い返した。
西園寺の当主が、虫けらを見るような冷徹な瞳で私たちを見下ろした。
「護衛などではない。ここはもう、我々の『金庫』であり『処刑場』だ。……さて、魔女よ。大人しく我々の所有物となり兵器として稼働するか、それともこの場でその小娘どもと一緒に肉の塊となり、霊的残骸として回収されるか。三秒だけ、計算する時間をやろう」
彼が指を鳴らした瞬間――。
私たちの周囲の雪景色が、一斉に「真っ黒な影」へと反転した。
石段、木立、鳥居の影。あらゆる空間の裂け目から、天霧の暗殺者たちが泥のように這い出し、さらに遠方の木々の間からは、無数の魔導狙撃銃の赤いレーザーが、私たちの心臓や眉間を舐め回すように幾重にも交差した。
一歩でも動けば、いや、息をするだけで蜂の巣にされる。完全なる死の空間。
「――一」
西園寺の当主が、無機質にカウントを始める。
私は結衣の手をさらに強く握りしめ、胸の奥の星に意識を研ぎ澄ませた。
「――二」
紫苑が両手に絶対零度の氷の魔力を展開し、死の淵で美しく微笑む。
「――三。……交渉決裂だ。一欠片も残さず、消し飛ばせ」
その号令とともに、数百の影の刃と銃弾が、一斉に牙を剥いた。
絶望的な質量の殺意が、雪山を真っ赤に染め上げて私たちに殺到する。
「いくよ、結衣!」
「うん……!」
私たちが選んだこの温かい日常を守るための、真の全面戦争が、箱根の雪を溶かし尽くす勢いで開戦した。
第34話へ続く




