第24話:偽りの平穏、動き出す歯車
神社の境内で交わした静かな誓いから数日後。冬休みが終わり、藤ケ丘女子学園には再び慌ただしい新学期の空気が戻ってきた。
朝の冷たい光が校舎の廊下を照らし出す中、私はいつものように結衣と並んで昇降口をくぐった。首元には、変わらずあの灰色のマフラーがしっかりと巻かれている。紫苑が本山に仕掛けた告発状と政治的謀略が功を奏したのか、一ノ瀬礼をはじめとする特務査察官たちの姿は学園の周辺からパタリと姿を消していた。
表向きは、完全に平穏な日常が戻ったように見えた。
「ねえ、雫ちゃん。今日の放課後、新しくできたカフェテリアの限定タルト、一緒に食べに行かない?」
靴を履き替えながら、結衣が嬉しそうに微笑んだ。その横顔を見ていると、あの神社の夜に交わした言葉が夢だったのではないかとさえ思えてくる。私と結衣の絆は以前よりもずっと強く、そして温かかった。
「うん、行こう。楽しみだね、結衣」
私が微笑み返すと、結衣はふわりと花が咲いたように目を細めた。
けれど――その平穏が、あまりにも脆い薄氷の上で作られた「偽り」に過ぎなかったことを、私たちはその日の昼休みにと思い知らされることになる。
*
午前の授業が終わり、ざわめく教室の空気を切り裂くように、校内放送のチャイムが鳴り響いた。
通常のアナウンスではない。全校生徒の意識を強制的に束縛し、学園全体の魔力回路を同調させるための、耳障りな重低音を伴った臨時放送だった。
『――〇〇雫。および、生徒会副会長・宝生紫苑。至急、旧校舎棟三階「特別監査室」へ出頭しなさい。繰り返します――』
教室の空気が一瞬で凍りついた。
生徒たちの間に、得体の知れない動揺とざわめきが広がる。「特別監査室ってどこ?」「何のアナウンス……?」という声が飛び交う中、私の心臓は嫌な音を立てて早鐘を打った。
一ノ瀬ではない。彼の動きが内部告発によって封じられた今、最高評議会の「管理・保守派」の老害たちが、別の裏ルートを使って直接実力行使に出てきたのだ。
「雫ちゃん……っ!!」
結衣が不安そうに私の上着の裾をキュッと掴んだ。その指先が、微かに、しかし確かに震えている。
「大丈夫。行こう、結衣」
私は自分の前髪にある星型のヘアピンにそっと触れ、結衣の冷えた手をしっかりと握り返した。私たちが逃げ出さない限り、このシステムから隠し通すことはできない。
*
旧校舎三階。普段は絶対に立ち入りが禁じられている鉄格子の扉の前に、紫苑がすでに来ていた。
彼女の顔色は青白く、その銀色の髪はいつもより鋭く冷たい冬風に揺れていた。彼女がこれほどまでに血の気を失った姿を見るのは、初めてだった。
「紫苑……!」
「……最悪のタイミングよ」
私たちが駆け寄ると、紫苑は歯を噛み締めながら、押し殺した声で言った。
「一ノ瀬の失脚を狙った私の告発状が本山で審議されている最中、最高評議会の長老どもが、別の法務管轄を使って理事会に直接介入したわ。……彼らの目的は、一ノ瀬のような交渉の余地がある個人ではない。『学園のシステムそのもの』を差し押さえることよ」
「システムを、差し押さえる……?」
「ええ。今回の使者は人間ですらない。本山の法務局が送り込んだ、無機質な『学園統括・自動監査プログラム』よ。感情も慈悲も持たない、冷徹な魔術の検問装置が、この学園の結界と生徒たちの魔力波長を丸ごとスキャンし、基準から外れたすべての異物を自動的に切り捨てるわ」
紫苑の言葉の意味を理解した瞬間、背筋に凍りつくような悪寒が走った。
自動監査プログラム。それは、個人の感情や事情を一切考慮せず、規定の魔力基準から外れたすべての異物を自動的に排除・初期化する、生きた裁断機だ。
そして、そのプログラムがスキャンすれば、私の胸の奥にある『流星の魔女』の莫大な質量など一発で検出されてしまう。それだけでなく、私の魔法を抑え込んでいる結衣の『生活魔法の波長』までもが「違法な特異点への癒着・汚染源」として検知され、二人まとめて本山へ連行されることになる。
「逃げることはできないの?」
「無理よ。すでに旧校舎全体が、本山の直轄結界で完全に包囲されているわ。今ここから逃げようとすれば、それだけで『反逆の即時処刑対象』とみなされる」
紫苑が悔しそうに拳を握りしめた。彼女が水面下で築き上げていた政治的防衛線が、予想外の上層部からの強硬突破によって一網打尽にされようとしていた。
その時、目の前の重厚な鉄の扉が、ギイ……と音を立てて冷たく開き始めた。
部屋の中から漏れ出てきたのは、人間のものではない、金属的で青白い無機質な魔力の光だった。それは天井から床へと幾重もの複雑な魔法陣を投影し、旧校舎の廊下の空気を凍りつかせていく。
「――認証完了。〇〇雫、および関係者。速やかに入室し、自動監査の対象となりなさい」
部屋の奥から響いてきたのは、生体パーツを持たない、機械音声そのものの冷徹な声だった。
そこに立っていたのは、顔の半分が銀色の魔導マスクで覆われた、法務局の「自動処刑人形」たちだった。
逃げ場など、最初から用意されていなかった。
一歩でも足を踏み入れれば、私たちの日常は、冷酷な法務の論理によって完全に粉々に引き裂かれる。
「雫ちゃん……」
結衣が私の手を、痛いほど強く握りしめた。彼女の瞳には恐怖の色ではなく、この理不尽な運命に対する激しい怒りと、私を守り抜くという揺るぎない覚悟が宿っていた。
私は深く、深く息を吸い込んだ。
首元に巻かれたグレーのマフラーから、あの陽だまりのような温もりが血管を伝わり、狂いそうになる神経をしっかりと繋ぎ止める。
「大丈夫だよ、結衣。行こう」
私たちは手を繋いだまま、冷たい青白い光が渦巻く特別監査室の闇へと、一歩を踏み出した。
五家が仕掛けた冷酷なシステムの中で、私たちの本当の戦いが、今、音を立てて牙を剥こうとしていた。
第25話へ続く




