第23話:星降る境内で、結ばれた影
特務査察官一ノ瀬礼による査察と、それに伴う紫苑の水面下の政治的カウンターから数週間が経過した。
最高評議会内部での権力闘争と一ノ瀬の越権行為を突いた告発状が功を奏したのか、学園を直接包囲するような強硬な監視網は、今は表面上、嘘のように静まり返っていた。表向き、藤ケ丘女子学園は穏やかな冬休みムードの延長線上にあり、生徒たちはもうすぐ始まる新学期や授業の話題に花を咲かせている。
けれど、私と結衣、そして紫苑の三人にとって、この「平和」が長く続かないことは痛いほど分かっていた。
それは嵐の前の、あまりにも静かで、だからこそ皮膚が粟立つほどに切ない猶予期間に過ぎない。
その冬休みの終わりが近づいたある日の夜、私たちは地元の小さな神社へと足を運んでいた。
夜の帳が降りた境内は、参拝客の姿もまばらで、凛と凍てついた夜気が肌を鋭く刺す。頭上には、雲一つない満天の星が広がっていた。私の中に眠る『流星の魔女』の圧倒的な重力は、かつてのような暴走の予兆を消し去り、ただ静かに凪いでいる。
私の首元には、いつも通り結衣が編んでくれた灰色のマフラーがしっかりと巻かれていた。
「うわあ……すごい星。とっても綺麗だね、雫ちゃん」
石段を登りながら、結衣が白い息を弾ませて夜空を見上げた。
彼女の頬は寒さでほんのりと上気し、その瞳には凍てつく星々が痛いほど美しく映り込んでいる。私たちは並んで歩きながら、自然と指先と指先を絡み合わせ合っていた。手袋の上からでも伝わってくる彼女の確かな体温が、心の底から凍えそうな私を辛うじてこの世界に繋ぎ止めている。
「うん。すごく……綺麗だね」
私は夜空ではなく、隣を歩く結衣の横顔を見つめながら呟いた。
クリスマスの夜、私の正体をすべて知り、化け物のような破壊の力を目の当たりにしてもなお、彼女は私の手を離さなかった。あの尋問室で一ノ瀬の冷酷な論理に直面しても、彼女は自分の意志で「私の傍にいる」と宣言してくれた。
あの日の温もりがあるからこそ、今の私は怯えることなく、こうして夜の空気を吸い、息をすることができる。
「ねえ、雫ちゃん。お参り、行こっか」
「うん」
境内の中央にある古びた拝殿の前に立ち、私たちは並んで鈴の緒を鳴らした。
ガラガラと澄んだ金属音が冬の冷たい夜空に響き渡る。
二礼、二拍手、一礼。
私は目を閉じ、心の中でそっと祈った。
――どうか、この温もりを奪わないで。
――五家がどんな牙を剥こうとも、私がこの子を傷つける未来だけは絶対に訪れませんように。
隣を見ると、結衣も同じように目を閉じ、真剣な表情で何かを強く祈っていた。
彼女はどんな願いを込めているのだろう。そんなことを考えながら見つめていると、結衣がふっと目を開け、恥ずかしそうに、けれどどこか決意を帯びた瞳で小さく微笑んだ。
「なにを祈ったの?」
賽銭箱の前を離れ、石段の脇の古びたベンチに腰掛けながら私が尋ねると、結衣は首元に巻いたマフラーの端をキュッとつまみ、少しだけ頬を染めた。
「秘密。……でもね、神様にお願いしたの。
『この世界がどれほど残酷でも、私を雫ちゃんから引き離さないでください』って」
「っ……!」
結衣のまっすぐな言葉に、胸の奥が激しく震えた。
「怖くないの? 五家が本気を出せば、私たちはすぐにでも引き裂かれて、私は永遠の闇に放り出されるかもしれないんだよ?」
私の震える声を聞き、結衣は迷いのない足取りで私に一歩近づき、その両手で私の冷たい頬を優しく包み込んだ。
「怖くないと言えば嘘になるよ。私だって本当は臆病だし、命だって惜しい」
結衣の亜麻色の瞳が、一滴の濁りもなく私を映し出している。
「でもね、雫ちゃんが一人で夜空を背負って震えていたあの夜を知ってしまったから……私だけが安全な場所で何食わぬ顔で生きるなんて、そんなの耐えられない。私の生活魔法も、この命も、全部雫ちゃんのためにあるの。だから、どこまでだって一緒に行くよ」
その言葉を聞いた瞬間、堪えきれなくなった感情が溢れ出し、私は結衣の華奢な身体を抱き寄せ、その胸に顔を埋めた。
彼女の体温が、彼女の命の魔法が、私をこの世界にしっかりと縛り付けてくれる。
「私も……離さない。絶対に、君を一人になんてしないから……!」
「うん。ずっと一緒だよ、雫ちゃん」
夜の神社の境内。
世界を滅ぼす星の魔力を持つ少女と、彼女を繋ぎ止めるごく普通の少女。
二人が交わした誓いは、冬の冷たい夜気の中でも決して消えることのない、本物の陽だまりのように温かく、静かに夜空の星々を圧倒するように輝いていた。
――だが、その平穏を嘲笑うかのように。
遥か上空の夜空の裂け目から、五家の本山が放った新たな「使者」の影が、音もなく藤ケ丘の街へと忍び寄ろうとしていることに、この時の私たちはまだ気づいていなかった。
第24話に続く




