第21話:査察官と、陽だまりの反論
旧校舎の特別室。
普段は使われていないその部屋は、特務査察官・一ノ瀬礼によって、完全に魔力的な隔離空間へと改変されていた。室内の空気が異様に冷え切っているのは、窓の外の冬景色のせいだけではない。そこには、人間の感情を一切排除した「最高評議会の法と論理」という名の重圧が満ちていた。
中央の金属製のテーブルを挟み、一ノ瀬は優雅に、しかし事務的な手つきで書類ファイルを開いていた。その両脇には、表情のない黒服の査察官が微動だにせず控えている。
対面する席には私と結衣、そして私たちの間に身を挺すようにして紫苑が陣取っていた。
「――実に合理的だ、とは思いませんか」
一ノ瀬は眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げ、感情の読めない目を向けた。
「世界を滅ぼしかねない特異点――『流星の魔女』。最高評議会が何十年もの歳月と膨大な犠牲を払って管理・封印してきた危険因子が、よりによってこんな地方の一般学園で、何の統制も受けずに野放しになっていた。……宝生様、あなたの管理責任は想像以上に重いですよ」
「責任の所在は私が本山に直接弁明致します」
紫苑が冷徹な声で一歩前に出た。次期当主としての威厳を全開にし、一ノ瀬のプレッシャーを真正面から押し返す。
「一ノ瀬査察官。あなたの目的は私の査問ではなく、あの少女の隔離と、一般生徒である白瀬さんの不当な引き離しだ。遠回しな脅しはやめなさい」
「これは脅しではありません。冷厳な『事実の確認』です」
一ノ瀬は一切動じず、淡々と書類のページをめくった。その指先には、血の通った人間の温もりすら感じられない。
「数日前の中庭における大規模な魔力解放。そして、御影の自律型猟犬を完全消滅させた際のあの膨大な質量。――これらはすべて、評議会の定めた『特異点の即時管理処分』に該当します。彼女はここにいるだけで、周辺一帯の生命と空間の安全を脅かす生体爆弾なのですから」
「そんなの……っ!」
隣に座っていた結衣が、思わず声を荒らげた。
彼女の小さな身体が怒りと緊張で微かに震えているが、その亜麻色の瞳は一歩も引いていなかった。
「雫ちゃんは爆弾なんかじゃありません! 雫ちゃんがどれほど自分の力を恐れて、誰にも迷惑をかけないように、ずっと必死に、一人で耐えてきたか……あなたに何が分かるんですか!」
「白瀬結衣さん」
一ノ瀬の視線が、スッと冷ややかに結衣へと向けられた。
その目は、怒りですらなく、「計算外の不純物」を見据える冷徹な検察官の目だった。
「あなたにこそ、最も重い法的な容疑がかけられていることを...本当に自覚していますか?」
「え...私……が?」
「ええ。あなたは、最高評議会が禁じる『特異点への非合法な魔力干渉』を行い、暴走を誘発した。……いや、それどころか、あなたは自分の拙い生活魔法を『鞘』に見立てることで、彼女の枷を意図的にコントロールし、自分好みの暴力を振るわせるための『飼い主』気取りでいたのではないですか? …あるいは、精神的に依存させた特異点を裏で操る共犯者か何かか...」
「っ――ふざけないでっ!」
私は反射的に立ち上がり、金属のテーブルを強く叩いた。
私の胸の奥で、わずかに星の重力が逆巻く。一ノ瀬の冷酷な言葉が、結衣の純粋な善意を踏みにじり、最も触れて欲しくない「結衣を私という呪いに巻き込んでしまった」という私の恐怖を、精密なメスで抉り取ろうとしたからだ。
「結衣は何も悪くない! 私が勝手に、彼女の優しさに甘えて……!」
「雫ちゃん、待って」
結衣が、そっと私の袖を引っ張った。
彼女はゆっくりと立ち上がり、私の前に進み出て、まっすぐに特務査察官を見据えた。その顔に、先ほどの恐怖の色はもう微塵もなかった。
「一ノ瀬査察官。あなたは、私たちが『利用し合っている』とおっしゃいましたね」
結衣の声は驚くほど澄んでいて、旧校舎の冷たい空気を震わせるほど力強かった。
「私が雫ちゃんの魔法を支えているのは、命令されたからでも、脅されているからでもありません。……私が、この人の傍にいたいからです」
「……ほう? 一般人の分際で、魔女の共犯者になるという誇りでもお持ちか」
「共犯者なんかじゃありません」
結衣ははっきりと首を横に振った。
「私は、雫ちゃんの――大切な人です。彼女が一人で抱えていた痛みを少しでも分け合いたいと思ったから、私の意志で、私の生活魔法をこの人に貸しています。それが法律に違反するというなら、私を一緒に罰すればいい。でも、この人から私を切り離すことは、絶対にさせません」
結衣の凛とした言葉に、一ノ瀬の眼鏡の奥の瞳が、初めてほんのわずかに細められた。
「……感情論は法廷では無意味です。人間の温もりなど、特異点の圧倒的な重力の前に一瞬で踏みにじられる砂上の楼閣に過ぎない。――証明してみせましょうか?」
一ノ瀬がスッと手を挙げ、スーツのポケットから奇妙な文様の刻まれた『法的な魔力拘束具』を取り出した。
「これを彼女の右手につけ、白瀬さんの波長を強制的に遮断する。……ほんの数秒で、彼女の内部の星の重力が暴発し、この部屋は宇宙のチリと消える。それが、あなた方の『絆』の真実の価値です。安全な隔離施設に移送するための、やむを得ない査察プロセスだと言い訳も立ちますよ」
それは脅しではなかった。彼は本気で、官僚的な手続きと冷酷な実験の延長として、私たちの絆を試そうとしているのだ。
黒服の査察官たちが一斉に動き出し、私を取り押さえようと迫ってくる。紫苑が氷の刃を生成して迎撃の構えをとった、その瞬間だった。
「――触らせない」
私は自分の前髪の星型ヘアピンに手をかけ、結衣の冷えた右手をしっかりと握りしめた。
結衣のマフラーから、あの陽だまりのような優しい波長が、私の血管を通じて全身へと駆け巡る。
私は一歩踏み出し、特務査察官の冷徹な論理を真っ向から否定するように、静かに、しかし世界を揺るがすほどの圧倒的な意志を込めて告げた。
「砂上の楼閣なんかじゃないわ。……私の星を繋ぎ止めているのは、世界で一番強くて、一番温かい、この子の命の魔法だもの」
その瞬間、私の背後に、誰もが息を呑むほどの『星屑の光』がふわりと咲き誇った。
一ノ瀬の冷徹な計算が、私たちの絆の前で、音を立てて崩れ去ろうとしていた。
第22話に続く




